宮沢賢治の文学、その創造性は多くの日本人に影響を与えてきた。
僕にとって宮沢賢治という人間は、東北人の感性を代弁してくれる同郷の詩人であり、自己の内面に語りかけてくる言葉の振り子を、いつも揺らし続けてくれる道先案内人だ。
賢治が抱えていた魂の慟哭とも言うべき、絶対善に対する希求は、彼の詩や童話の中で、弱々しいを愚鈍を装いながらも、強烈なイデオロギーを伴い読み手を放射してくる。
賢治の詩を読んでいると、僕はいつも、雪解けに芽吹くふきのとうを連想する。厳しい寒さに耐え、雪の下で春を待つふきのとうと、賢治の言葉が重なってしまう。
僕は賢治の詩を童話を心から愛している。僕の感性の8割は、宮澤文学のエッセンスで構築されてきたと言っても過言ではない。米作りをしてきたのも、先生と呼ばれる仕事を続けてきたのも、そして詩のようなものを書き留める習癖も、音楽を奏でてきたのも賢治の影響であり、賢治の背中を追っても追っても追いつけない、僕のジレンマが、僕の生涯を突き動かしている。
今銀河鉄道に乗って宇宙を旅している賢治は、この東北の惨事を見つめ、何を思っているだろうか。
賢治が警告し続けてきた文明の傲慢さが、100年の時を超えて現実となってしまった今、彼の魂は、地球への帰還を猛烈に求めているのかも知れない。
賢治が散策した北上川のイギリス海岸や、賢治が愛した早池峰の山にも放射能の灰は降り注いだ。雨にも負けず風にも負けずと賢治は農民を励まし、自分を鼓舞したが、賢治が今のこの東北の状況を言葉にするならば、どんな痛烈なメタファーを文学にしたためただろうか。
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