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宮沢賢治

2015年11月 7日 (土)

宮澤賢治・羅須地人協会

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前から行ってみたいと思いつつなかなか訪れることが出来ないでいた、花巻農業高校内にある宮澤賢治の羅須地人協会に先日足を運んできた。

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あまりにも有名な賢治の黒板の文字である。これをパクッて、塾の前に黒板を置いて、「塾ノ中ニ居リマス」 かねごん などと昔考えたこともあるのだが、どうも宮澤賢治を冒瀆する感じがしてやめた。

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秋の日差しの中で、宮澤賢治の羅須地人協会は、イーハトーブの風にそよそよと佇んでいた。

花巻農業学校の教職をもし宮澤賢治が辞することがなかったならば、賢治の人生はもっと穏やかなものになっていたのだろうか、などと物思いにふけるかねごんだったわけだけれど、やはり詩人である賢治は、人生に妥協することは出来なかったのだろうと思う。

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2015年9月 6日 (日)

浅沼利一郎著・宮澤賢治と早池峰を翔る

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この本を書かれた浅沼利一郎さんと、先月直接お会いして話を伺うことができた。こよなく早池峰山を愛する登山家で、宮澤賢治を賢治先生と呼ぶ真摯な宮澤賢治研究家である。

浅沼さんはきっと早池峰には数百回登っておられると思う。著者のなかで語られる早池峰の四季折々の姿の描写は圧巻だ

わずか15回ほどしか早池峰山に登ったことがない僕が言うのもなんだが、僕が今までに読んできた早池峰山に関する本の中では、浅沼さんの本が一番詩的だ。早池峰の美しさが行間からあふれだしてくる。

宮澤賢治の作品には、早池峰を舞台にした作品が多くある。僕が大好きな『どんぐりと山猫』もそんな賢治の作品である。主人公のかねたいちろうが、僕と同じ苗字だったこともあり、小学校のころに、シンパシーを感じて読んだのを覚えている。

そんな話を浅沼さんとしていた時に、浅沼さんから驚くべき話を伺った。なんと「かねたいちろう」の生家が実際に早池峰の麓の村にあるというのだ。浅沼さんが写した写真を見せて頂いた。

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かねたいちろうが歩いたどんぐりと山猫の森を、いつか歩いてみたいと思う。

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2015年8月30日 (日)

賢治が湯治した温泉




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今日は一切の予定を顧みず、ひたすら温泉に浸ってきた。花巻鉛温泉、そして大沢温泉と温泉の梯子特に大沢温泉は宮澤賢治が幾たびか利用した温泉で、昔の面影を今に残すレトロな温泉である。

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湯治用の宿の長い廊下をわたって行くと、そこは雨に煙る露天風呂。混浴風呂なのだが、残念ながら殿方のみが入浴していた(笑い)。

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この橋は、宮澤賢治が幼少の頃家族と一緒にやってきて記念撮影をした場所。当時の風景そのままの情緒あふれる趣が、平成の今も残されている。

湯治場の宿は、素泊まりで一人3000円ほどで宿泊できる。もちろんエアコンなどの近代設備はないし、裸電球そのまんまの部屋で土壁がむき出しの宿だけれど、温泉と風景は抜群だ。

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紅葉の季節にまた家内と行ってみたい。今度は湯治の宿で、一泊したいと思うかねごんであった。ちなみに日帰り温泉は4種類の露天ぶろなどに入れて600円です。みなさんもいかがですか。

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2013年6月29日 (土)

イーハトーブの風

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この人は誰でしょう。

答えは宮澤賢治です。

花巻農学校で教員をしていた時の宮澤賢治が、思想的にも童話や詩作の創作意欲に於いても、生涯で1番輝きを放っていたような気がする。この写真には、あの背中を丸めた物憂げな賢治の雰囲気はない。

花巻農学校で教鞭をとる直前、24歳の賢治は愛する妹トシを失い、『永訣の朝』をはじめとする慟哭の作品を書き続けた。5年間の教員生活のなかで書いた童話も数多い。『注文の多い料理店』『どんぐりと山猫』など、賢治独特の世界観が爆発する。

生徒たちに百姓をすることを奨励する自分が、教師をやっていることに矛盾を感じた賢治は、花巻農学校の教員をやめ、農業従事者の道を選ぶのだが、彼の魂は彷徨の晩年に突入する。

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37年の生涯の中で、賢治の作品が脚光を浴びることはなかった。彼の文学の世界は、彼の死後、日本人の魂や感性を代表する作品として、読み継がれてきた。

賢治は輪廻転生を信じていた。彼の魂はいま何を模索しているのだろうか。

最近僕は、賢治の童話集を読んでいる。彼の存在が身近に感じられる。

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2012年8月26日 (日)

賢治の言葉

宮沢賢治の文学、その創造性は多くの日本人に影響を与えてきた。

僕にとって宮沢賢治という人間は、東北人の感性を代弁してくれる同郷の詩人であり、自己の内面に語りかけてくる言葉の振り子を、いつも揺らし続けてくれる道先案内人だ。

賢治が抱えていた魂の慟哭とも言うべき、絶対善に対する希求は、彼の詩や童話の中で、弱々しいを愚鈍を装いながらも、強烈なイデオロギーを伴い読み手を放射してくる。

賢治の詩を読んでいると、僕はいつも、雪解けに芽吹くふきのとうを連想する。厳しい寒さに耐え、雪の下で春を待つふきのとうと、賢治の言葉が重なってしまう。

僕は賢治の詩を童話を心から愛している。僕の感性の8割は、宮澤文学のエッセンスで構築されてきたと言っても過言ではない。米作りをしてきたのも、先生と呼ばれる仕事を続けてきたのも、そして詩のようなものを書き留める習癖も、音楽を奏でてきたのも賢治の影響であり、賢治の背中を追っても追っても追いつけない、僕のジレンマが、僕の生涯を突き動かしている。

今銀河鉄道に乗って宇宙を旅している賢治は、この東北の惨事を見つめ、何を思っているだろうか。

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賢治が警告し続けてきた文明の傲慢さが、100年の時を超えて現実となってしまった今、彼の魂は、地球への帰還を猛烈に求めているのかも知れない。

賢治が散策した北上川のイギリス海岸や、賢治が愛した早池峰の山にも放射能の灰は降り注いだ。雨にも負けず風にも負けずと賢治は農民を励まし、自分を鼓舞したが、賢治が今のこの東北の状況を言葉にするならば、どんな痛烈なメタファーを文学にしたためただろうか。

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2011年11月30日 (水)

ポートレイト・どんぐりと山猫

宮沢賢治のポートレイトの影響ではないけれど、若い頃猫背気味に歩くことがカッコイイというのか、アンニュイ気取りというのか、そんな頃があった。

東北の冬は長い。ゆえに背中を丸めて春を待つという感覚がどうしてもある。今のように部屋ごとにヒーターがあるわけじゃなく、炬燵や囲炉裏で丸まって寒さをしのぐ子ども時代の冬は寒く厳しかった。背中を丸め、僕はいろんなことを思い、そして夢想した。

岩手から東京に出た時に一番違和感を覚えたのは、背筋を伸ばし、猛烈な速さで歩く都会人の姿だった。ポケットに両手を突っ込み、背中を丸めて歩くことがカッコイイと思っていた僕の価値観が猛烈に揺さぶられた(笑い)。

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この賢治の写真は、一体誰がどんな意図で写した写真かは分からないが、もし背筋を伸ばし、空を見上げるような写真が世間に出ていたら、彼に対する作品の評価も変わっていたのではないかと、そんなことを考えてしまう。

もし宮沢賢治がこの時代に生きていたとしたならば、今回の震災や放射能の問題に対して、どのようなスタンスで、どんな作品を書いただろうか。故郷を愛する賢治は、猛烈な社会風刺的寓話を書いただろうか、それとも激情的強行手段をとっただろうか。

かねた一郎さま 九月十九日 あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。 あした、東電とのめんどなさいばんしますから、おいで んなさい。とびどぐもたないでくなさい。 山ねこ 拝

こんな手紙が来るかも知れない・・・・。

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2010年11月19日 (金)

違和感を覚える

久しぶりに宮沢賢治についての記事になる。

僕が最近気になっていることの一つが、宮沢賢治が様々な分野に担ぎ出され、違う畑で独り歩きしていることだ。様々なボランティア支援団体やスピリチュアルな団体、そしてシュタイナー教育にいたるまで、宮沢賢治の名前を冠し、言葉は悪いがうまく利用している輩が多い。

彼の文学や詩が、時に宇宙論やある種の哲学概論にまで発展し、博識者の著作物に登場するのだが、ちょっと違うのではないかと僕は杞憂している。

最近はいろんなところで、賢治の詩の朗読会であったり、賢治に関する講演会が開かれているが、結構な入場料を取り、賢治がお金儲けの片棒を担がされている気がしてとても残念である。

岩手をちょっと訪れただけで、農業の農の字も知らないインテリ気取りの人間が、賢治の農業概論を論じたり、イーハトーヴ論などと題して岩手の風土を論じる姿などに、非常なる違和感を感じるのは僕だけだろうか。

確かに童話作家であり詩人である宮沢賢治の残した功績は計り知れない。しかし、人寄せパンダのごとく賢治の威光を借りる現状はいかがなものだろうか。

『どんぐりと山猫』や『注文の多い料理店』、『風の又三郎』の傑作を残し若くして天国に行ってしまった宮沢賢治。彼の作品を読むたびに感じることであるが、彼は本当に故郷を愛し、自然を愛し、動物たちを愛した人間だと思う。

そこには何の打算もない。ひょっとしたら周りが言うような、思想や哲学さえもないのかも知れない。ひたすらに農民を心配し、貧困を救おうとしたデクノボーの姿に、僕は痛々しささえ覚える。

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かねごんのデビュー作  annoy 『僕の夢』

かねごんの受験応援ソング  shine『エール』  

かねごんの異色ブルースsun『かぶとむし』

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2009年4月 9日 (木)

春と修羅

いっきに春がやってきた。ウグイスが朝からしきりに満開になった庭先の梅ノ木にやってきて鳴いている。

080916_112914 人間に危害を加えられることがないのが分かっているのか、春に里に下りてくる小鳥達は私の姿を見ても逃げない。ただし我が家にはメス猫のキラがいるので、スズメやホウジロなどの小鳥達がときに犠牲になってしまう。

自然界で生き抜くことは大変である。あまり人間が関与すれば、自然の連鎖がおかしなことになってしまうだろうし、難しい。

毎年この4月になると思い出す詩がある。宮沢賢治の『春と修羅』である。今日は詩の前半部分をここに掲載してみたい。賢治の詩の世界を堪能していただきたい。     

 『春と修羅』 (mental sketch modified)

心象のはいいろはがねから

あけびのつるはくもにからまり

のばらのやぶや腐植の湿地

いちめんのいちめんいのてんごく模様

(正午の管楽よりもしげく琥珀のかけらがそそぐときも)

いかりのにがさまた青さ

四月の気層のひかりの底を

唾し はぎしりゆききする

おれはひとりの修羅なのだ

(風景はなみだにゆすれ)

砕ける雲の眼路をかぎり

れいろうの天の海には

聖はりの風が行き交ひ

ZYPRESSEN 春のいちれつ

くろぐろと光素を吸い

その暗い脚並からは

天山の雪の稜さへひかるのに

(かげろうの波と白い偏光)

まことのことばはうしなわれ

雲はちぎれてそらをとぶ

ああかがやきの四月の底を

はぎしりし燃えてゆききする

おれは春の修羅なのだ

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2008年12月20日 (土)

賢治がやりたかった教育

賢治は花巻農学校で教鞭をとったが、彼の教師としての才能を評価する人はとても多い。

裕福な家に生まれ育ったことにコンプレックスを持つ彼の感性は、教師向きではないと評する賢治研究者もいるが、純粋に農業の未来を考え、後継者を育成しようとした賢治の姿は痛々しいほどに伝わってくる。

岩手の過酷な農村の実状を、まるで自分の悲しみのように受け止め奔走する賢治。風のごとく人生を走り抜けていった詩人、その生涯は決して幸福なものではなかった。

彼の人生の中で一番穏やかな風が吹き、陽だまりのような安らぎを感じたのが、農学校時代の四年間だったのではないだろうか。生徒達と田んぼに出かけ、山に登り、そして演劇をやり、土壌改良に情熱を注いだ賢治の教師としての日々は、ほんとに幸福の日々だったに違いない。

その後羅須地人協会を自ら立ち上げた頃から、言い知れぬ孤独感を彼は抱いていく。彼が教師として教えたかったものは、純粋に農業に生きる人生のすばらしさであり、その芸術性だったような気がする。

もし宮澤賢治が、教師を続けることが出来ていたならば、後世に残る文学作品は生まれなかったかも知れないが、少なくとも人間として精神的に楽な人生を歩めた気がしてならない。

岩手県バージョン訛の賢治の詩の朗読をどうぞお聞きください。

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2008年6月12日 (木)

啄木と賢治

 我が郷土と言っても、実に岩手は広い。岩手の面積は四国とほぼ同じ広さである。ちなみに我が町一関はほぼ東京都23区に匹敵きする。

 「岩手が日本に誇れるものは何だろう」そんなどうでもいい質問を、どうでもいいタイミングですると、塾生も塾生で「岩手が誇れるもの・・・?そうだな・・・自然」そんな答えが返って来たりする。ちなみに岩手県が全国1位なのは、炭の出荷額、そして三陸のワカメである。

 郷土の作家はとなると、岩手は一気にメジャーになる。宮沢賢治、石川啄木この二人の文学者を知らない日本人はいないだろうと思う。二人の作品は書簡集をはじめ多くを読んできた。彼らの評論集も目を通してきた。実に様々な捉え方があり、分析がありものだと感心をしたり、疑問符を投げかけたりしたものだ。

 賢治と啄木は同じ岩手に生まれながら、まるっきり性格やタイプが違う。水と油と言ってもいいくらいである。啄木はやんちゃな風来坊。賢治は修行僧のような人間だ。

 啄木の歌集は実にニヒリズムに富んでいる。自虐的感性とつま先立ちしたロマンチシズムが鬼才を放つ。どちらかと言うと時代の先端を行こうとして、逆に古典文学の呪縛に絡めとらわれてしまった苦悩する天才文学青年だ。

 一方賢治は、100年200年先の文学を見通した早熟で、ナチュラリスト、宗教的詩人であった。今後おそらく100年たっても彼の作品の感性は、時代をリードして行くだろう。

 どちらが好きかと尋ねられることがあるが、例えて言うなら、岩手に来て盛岡冷麺と南部そばのどちらが好きかと聞かれたようなもので、比較する土俵が違うように思う。

私の勝手な私見なのだが、啄木が存在しなければ宮沢賢治の文学も存在しなかったような気がする。盛岡中学校(現盛岡一高)の先輩であり、歌人として名をはせた啄木に憧れ、東京に出た賢治だった。日本詩壇に輝くこの二人の巨星、本当にキラ星のごとく異彩を放つ作品が多い。

 君に似し  姿を街に見るときの  

 こころ踊りを  あはれと思へ

 私が啄木の歌の中で一番好きな歌である。純真でいて、はにかんでいて、そして素朴な彼の感性が私には伝わってくる。

 みんなに でくのぼうと呼ばれ ほめられもせず くにもされず

 そういうものに わたしはなりたい

 賢治の『雨にも負けず~』に書かれている最後のフレーズである。わたしはこの言葉を読むたびに、彼が人生で目指したものの、他人に対する癒しや、絶対的な愛の希求を感じづにはいられない。

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