負け犬の遠吠え
自分の人生を一言で言えば、挫折と再生の繰り返しと言うところだろうか。人生にもしもという仮定法を持ち込んでもしょうがないけれど、きっと僕は過去に戻ってもまた同じような人生を歩むんじゃないかと思う。
何の因果かトラウマか知らないけれど、横柄な権力者や、コネや要領の良さで地位を築いたような人間を見ると具合が悪くなる。品のないお金持ちもしかりだ。
つまりは負け犬の遠吠えなわけだが、それにしても自営業という仕事は、波乱万丈わくわくドキドキだ。そんなわくわくドキドキに付き合わされている僕の家族も大変だろうけれど、主人である僕を信頼するしかないわけで、仕方がないんだろうなと思う。
サラリーマン塾教師を辞めて、独立して早21年。なんとか家族に3度の飯を食わしてきたけれど、決して楽な暮らしではなかった。ストレスで何度体調を崩しただろうか。それでもなんとか仕事を続けてこれたのは、家族の支えと、塾生たちの学ぼうとするエネルギーに鼓舞されてきたおかげである。
僕が仕事に専念してきたことで、僕は家族を顧みないことが多かった。息子たちの教育に関しては、全く無頓着で、放任してきてしまった。市内で塾を営む方々は、子供たちを進学校に入れ、殆どが国立大学などに入れている。そうじゃないのは僕のところだけかも知れない。
進学校に入れないのは、成績が噛み合っていないためであり、大学に入れない(入れない)のは、僕の経済力のなさだ。僕の収入では息子を大学に入れることなど、到底叶わない。大学受験の指導をして、この矛盾と向き合い、自分の心と戦うのは正直しんどかった。過去形で書いてしまったが、今もそうだ。
家では僕はいっさい息子たちに勉強を教えない。いや正直に言おう。教えられない。昼の高校の授業をし、午後から夜10時まで塾で個別指導をし、帰宅する僕には、もはやエネルギーは残っていない。このスケジュールで僕のエネルギーが残っているとすれば、仕事の手を抜いているか、それとも余程の超人だろうと思う。これに農繁期は農作業がかぶってくるし、日曜日はボランティアの卓球の指導が入る。
僕は買って21年目になる軽トラックで通勤している。「塾を経営して、高校の講師までして、お金に不自由はしていないだろう。軽トラック通勤は貧乏人への嫌がらせか」などと、酔った席で絡んでくる同級生もいるが(・・笑い)、貧乏人である僕が貧乏人の嫌がらせなどするわけがない。
自宅は築40年程になる。自分で言うのもなんだが、それなりに簡素ながらきれいに保たれている。子供部屋もベランダも廊下の天井も、そして今月は台所の完全リホームも僕が一人でやった。父親は大工、祖父は桶職人だった。僕にもその手の血が流れているのかも知れない。金をかけないことに於いては、自信がある。
例年僕の塾には60名~70名の塾生が在籍する。人数を言うと同業者の先生から「この不況ですごいですね」などと、感嘆のお言葉を頂くが、ほとんどの塾生は週1コースの5000円の月謝だ。5000×70名、多い月で35万円ほどの売上になる。
教室の家賃、駐車場代、電話代、電気代、コピー機のリース料、そして每日往復する38キロの2台分のガソリン代を差し引くと、手元に残るお金は20万円にも満たない。それから毎月僕ら夫婦の3万円の年金と、健康保険税、種々の経費を支払うと、春先から夏にかけての生徒の少ない時期は赤字に転じてしまう。10月に頂く教材・光熱費でなんとか赤字分を補填するのだが、家計はいつも火の車である。
ゆえに農業を営み種々のバイトをこなしてきた。3年前からは市内の私立高校で、講師として雇ってもらっている。非常に助かっている。感謝でいっぱいだ。
21年前塾を始めた時は、東大や早慶の合格者を塾生から出すことが目標だった。その目標は叶ったものの、その代償もまた大きかった。父親としてはまったく失格だと思う。
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