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父親

2011年10月17日 (月)

負け犬の遠吠え

自分の人生を一言で言えば、挫折と再生の繰り返しと言うところだろうか。人生にもしもという仮定法を持ち込んでもしょうがないけれど、きっと僕は過去に戻ってもまた同じような人生を歩むんじゃないかと思う。

何の因果かトラウマか知らないけれど、横柄な権力者や、コネや要領の良さで地位を築いたような人間を見ると具合が悪くなる。品のないお金持ちもしかりだ。

つまりは負け犬の遠吠えなわけだが、それにしても自営業という仕事は、波乱万丈わくわくドキドキだ。そんなわくわくドキドキに付き合わされている僕の家族も大変だろうけれど、主人である僕を信頼するしかないわけで、仕方がないんだろうなと思う。

サラリーマン塾教師を辞めて、独立して早21年。なんとか家族に3度の飯を食わしてきたけれど、決して楽な暮らしではなかった。ストレスで何度体調を崩しただろうか。それでもなんとか仕事を続けてこれたのは、家族の支えと、塾生たちの学ぼうとするエネルギーに鼓舞されてきたおかげである。

僕が仕事に専念してきたことで、僕は家族を顧みないことが多かった。息子たちの教育に関しては、全く無頓着で、放任してきてしまった。市内で塾を営む方々は、子供たちを進学校に入れ、殆どが国立大学などに入れている。そうじゃないのは僕のところだけかも知れない。

進学校に入れないのは、成績が噛み合っていないためであり、大学に入れない(入れない)のは、僕の経済力のなさだ。僕の収入では息子を大学に入れることなど、到底叶わない。大学受験の指導をして、この矛盾と向き合い、自分の心と戦うのは正直しんどかった。過去形で書いてしまったが、今もそうだ。

家では僕はいっさい息子たちに勉強を教えない。いや正直に言おう。教えられない。昼の高校の授業をし、午後から夜10時まで塾で個別指導をし、帰宅する僕には、もはやエネルギーは残っていない。このスケジュールで僕のエネルギーが残っているとすれば、仕事の手を抜いているか、それとも余程の超人だろうと思う。これに農繁期は農作業がかぶってくるし、日曜日はボランティアの卓球の指導が入る。

僕は買って21年目になる軽トラックで通勤している。「塾を経営して、高校の講師までして、お金に不自由はしていないだろう。軽トラック通勤は貧乏人への嫌がらせか」などと、酔った席で絡んでくる同級生もいるが(・・笑い)、貧乏人である僕が貧乏人の嫌がらせなどするわけがない。

自宅は築40年程になる。自分で言うのもなんだが、それなりに簡素ながらきれいに保たれている。子供部屋もベランダも廊下の天井も、そして今月は台所の完全リホームも僕が一人でやった。父親は大工、祖父は桶職人だった。僕にもその手の血が流れているのかも知れない。金をかけないことに於いては、自信がある。

例年僕の塾には60名~70名の塾生が在籍する。人数を言うと同業者の先生から「この不況ですごいですね」などと、感嘆のお言葉を頂くが、ほとんどの塾生は週1コースの5000円の月謝だ。5000×70名、多い月で35万円ほどの売上になる。

教室の家賃、駐車場代、電話代、電気代、コピー機のリース料、そして每日往復する38キロの2台分のガソリン代を差し引くと、手元に残るお金は20万円にも満たない。それから毎月僕ら夫婦の3万円の年金と、健康保険税、種々の経費を支払うと、春先から夏にかけての生徒の少ない時期は赤字に転じてしまう。10月に頂く教材・光熱費でなんとか赤字分を補填するのだが、家計はいつも火の車である。

ゆえに農業を営み種々のバイトをこなしてきた。3年前からは市内の私立高校で、講師として雇ってもらっている。非常に助かっている。感謝でいっぱいだ。

21年前塾を始めた時は、東大や早慶の合格者を塾生から出すことが目標だった。その目標は叶ったものの、その代償もまた大きかった。父親としてはまったく失格だと思う。

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2011年8月 8日 (月)

親父の背中

昨日の中尊寺でのとよ爺先生と息子さんの会話を聞いていて、僕は倅と言うものは男親の背中を見て育つものだと想いを新たにした。

僕の息子たちはどうだか知らないが、僕は親父の働く背中が生きる手本だった。中卒で働き始めた父は、農業と出稼ぎと大工仕事で一家を支えていた。

不運にも30代なかばで怪我と病魔に襲われ、ずっと不自由な暮らしを余儀なくされた父だったが、走り続けた56年の人生は、立派な人生だったと思っている。

学歴はなかったが、人生の本質を模索する目は持っていた。僕が高校生の時は、日雇いの仕事をしていた父だったが、毎朝4時には起き、仕事に出かける前に畑や田んぼの仕事に精出す父だった。

高校時代受験勉強の真似事をしていた僕は、徹夜で4時頃眠りに付くことがあったが、決して体調のいいわけでない父が、4時に起き、バイクに草刈機械をのっけて田んぼに出ていく姿は、頭が下がる思いだった。

僕の受験勉強など『クソ食らえ』と思うほど、自分のやっていることがお遊びに思えたものだ。

機械的で巧妙に仕組まれた現代社会で、惰眠をむさぼることはいともたやすい。本当の生きる力は、汗と直感で鍛えられていくと僕は思っている。

今回出会った今村克彦氏もそうだ、とよ爺先生もそうだ、ぎりぎりのところまで自分を追い込み夢を現実に変えていく。

今村先生は幾度か救急車で病院に運ばれている。とよ爺先生も、心臓に人工の器具を入れた生活をしておられる。両氏とも無理をして欲しくないと願うかねごんである。

にっこりと微笑む表情にまだ童顔の面影が残るとよ爺ジュニアであるが、僕は眼の奥に鋭い洞察力をしっかりと垣間見た。

さあ、今日からまた仕事だ。塾生のために、そして家族のために、しょうもない背中であるが、汗をかきながら頑張ってくるか。

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2011年6月19日 (日)

父に贈った最後のプレゼント

父の日になると聞きたくなる曲がある。井上陽水の『人生が二度あれば』だ。

僕は残念ながら父親孝行というのをしないでしまった。父は55歳で他界したのだが、自分のことが精一杯で何もしてやることが出来なかった。せめてもの償いは、孫の顔を見せてやれたことだろうか。父親に関しては後悔ばかりが残っている。

男親というものはどこの家でも寡黙なものだ。父は僕にあまり多くを語ることはなかった。酒を飲むとよく座敷で一人カラオケをやっていた。

父がおじいさんになったのを記念したわけではなかったが、僕にしては珍しく、息子が生まれた年の父の日に、夏ものの半袖セーターを父に贈った。でもそのセーターを父は一度も着ることがなく父は天国に行ってしまった。

棺桶の中に入れたサマーセーターが、僕が父に贈った最後のプレゼントだった。

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2011年1月 8日 (土)

父親のストレス

多くの親御さんや先生方が思うこと。『どうしてこの子は勉強をやらないんだろ』。教育現場の普遍のテーマである。

勉強が出来ない理由はいたってシンプルだ。勉強をしないからである。しかし勉強をしない理由となるとこれが単純ではない。

うちの子がさっぱり勉強をやらないのは、どこかに疾患があるのではないかと、子どもを心療内科に連れて行ったり、中には何か霊の影響ではないかと、霊能者なる人物に加持祈祷をしてもらう親御さんまでいる。

子を思う親の気持ちとして、分からない訳ではない。しかし、勉強が嫌いな子が努力嫌いかというと、そうとも限らない。部活動に於いて、部員の模範となるような努力人だったり、勉強はしないけれど、お金が絡んでくると猛烈に頑張る者もいる。

社会で生きて行くために必要な知識や学力を身につけさせたいという親の願いとは裏腹に、飄々と趣味人のごとく勉強をしない生徒たちを見ていると、日本という国はエネルギーが停滞しているなと感じる。

勉強しないのは子どもたちの甘えもあるのだろうけれど、彼らなりに世の中を眺め、学校の勉強をしなくとも生きていける術があることを知っているからである。

どこでもいいから高校に入れればいい。何でもいから仕事にありつければいい。そんな子どもたちが実際多くいる。

いくら教師や親達が「人生はそんなに甘くないんだよ」と言っても、アリとキリギリスの寓話とは裏腹に、キリギリスの生き方を選択する若者が多くいるのが日本の現実だ。そしてそれゆえに経済力がなくなり、国力が衰退してきてしまったのだ。

僕はこれは、親世代の燃え尽き症候群が子どもに伝播してしまった結果だと思っている。

家族のため会社のため、毎日毎日満員電車に揺られ、上司の命令にはNOが言えず、部下からは不満を言われ、家に帰れば、子どものことや近所の不満を女房に愚痴られ、挙句の果てに毎年減り続けるボーナスの金額に、家のローンまで厳しくなっていく現実。そんな父親のストレスを一番察しているのは、実は子どもたちではないだろうか。

名のある大学を出て、名のある会社に勤める父親の姿に、自分の将来を重ねあわせても、そこに明るい未来が見えてこない子どもたちが多いのではないだろうか。

とめどない記事をしたためてきたが、結局何を僕が言いたいのかというと、父親の力が弱体化してきたことが、不登校や子どもたちのやる気の無さ、学力の低下を生んできたのではないかと思っている。

女性陣の反撥を覚悟で言うならば、男はもっと頑固で理不尽でなければならない。小さな世界に閉じこもらず、保身だけに気をとらわれず、生涯アクティブでポジティブでなければならない。・・・と自分自身に言い聞かせているかねごんであった。

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2010年10月 9日 (土)

我が家が長続きしてきた秘訣

現代社会に於いて、子どもたちの自立が難しい時代だと言われている。親御さんが子どもに手をかけ過ぎるのもあるだろうが、子離れが出来ない親御さんの問題もあるのだろう。

僕の友人や知人には、職業柄塾の先生や学校の先生が多い。そして年代的に良く話題に上るのが、息子や娘の勉強の指導についてである。

中には家庭教師のごとく、自分の子どもを教えている先生もいらっしゃるようだが、僕の周りの友人の大部分は、放任主義のお父さん先生が多い。

僕には息子が二人いるが、長男の時もそして来年高校受験を迎える次男にも、家庭ではほとんど勉強を教えたことがない(小さい時に本の読み聞かせはしたが・・)。

息子に教えてくれと頼まれもしないのに、こちらからご機嫌を伺って教えるほど残念がら暇ではないし、忍耐力も持ち合わせてはいない。「勉強を教わりたいなら、お父さんの塾に来なさい」というのが僕が勝手に決めた僕のルールである。

女房は初めの頃こそ、「お父さんは塾の先生なのだから、息子たちに教えてよ」と懇願していたが、今はあきらめたようだ。僕は男だから分かるが、中学校から高校にかけて、息子にとって父親はある種ライバルである。ゆえに父親に対して反抗的になる。

「ほっといてくれ」 「俺は俺で決める」 「お父さんの考えは古いんだよ」 そんな言葉が飛び出してくるのはごく自然な形であり、成長の証だと思う。思春期には一度父親の権威を否定しないと、うまく自立できないのが男の子の性(さが)のような気がする。

そういう時期に、父親が受験勉強に付き合ってあげるだけじゃなく、物分りが良くて、解く力もすごくあってなどという状況は、子どもをずっと父親の権威の元に置くことになり、尊敬に値する存在どころか、子どもをスポイルする存在になりかねない。

父親の存在が重すぎて父親を否定出来なくなると、男子は自分の外に自分の世界を見つけようとせず、ひたすら内向的な世界に安住の地を求めようとする。

中には思春期の息子とお父さんがべったりの関係で、素晴らしい成果をあげているケースもあるだろう。しかしそれは、母親のスタンスが絶妙であったり、家族構成がうまく機能したまれなケースであって、僕は例外的成功だと思っている。

かつて僕はこのブログで、商家は3代で潰れるという記事を書いたことがあり、多くの反響を頂いた。長男を稼業につかせようと、父親が口を出し、手をかけ過ぎると、3代目頃は自立心をなくし、運命を切り開くエネルギーが枯渇するのである。もちろんそこには甘やかしもあるだろう。

そういった流れを知っていた旧家では、3代目には娘を跡取りにし、婿を取ることで新たな血脈のエネルギーを注入してきたのである。

戦後の憲法下では男女平等が基本理念ではあるが、DNAを子孫に伝える事に於いては、生物学的に男性の遺伝子が優先する。残念ながら遺伝子は平等ではない。

余談になるが僕の家では僕が17代目。息子が家を飛び出しそうにもないので18代目ということになる。息子の勉強や仕事に関して何も口出しをしない家風が、我が家が長続きしてきた秘訣のような気がする。

ちなみに僕は、父にも祖父にも「勉強をしなさい」と言われた記憶がない。お陰で散々な学校の成績ではあったが・・・・。

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2009年12月19日 (土)

父の命日

今日は父の命日だった。父が死に20年がたつ。55歳の若さで旅立っていった父に、僕は何もしてあげられなかったけれど、父の亡き後どうにか家族を養ってこれたことに正直ほっとしている。

天国の父は塾教師をやっている僕をどんなふうに思い眺めているのだろうか。座敷に飾られている父の写真の下で、最近は小さな子ども達が遊んでいる。自宅で何を始めたのだろうかと訝しげに見ているかも知れない。

父が亡くなり僕は女房と一歳にならない長男と実家に戻った。そして今の塾を始めた。塾も20年になる。

父が孫である僕の長男を抱いた写真が一枚だけ残っている。照れくさそうにそして嬉しそうな顔で写っている写真だ。その3週間後に父は天国に行ってしまった。突然だった。

人生の別れはいつも突然やってくる。そのことは重々承知しているつもりでも家族や親しい人との別れは辛い。僕のように毎日元気な子ども達と接していると、死というものがどこか遠くの星の出来事のように感じるのだけれど、実はいつも隣合わせに死は潜んでいる。

5年前に一度体調を崩し倒れてからというもの、生きることの意味を模索することをやめた。人間は生まれた瞬間から死に向かう存在である。本人が心の中で、いや魂の奥深いところでまだまだ生きて世の中で頑張るのだと思えば生きるだろうし、いくら本人が生きたいと願っても、魂の本質が「もう僕は帰るよ」と決めたならば、あちらの世界に戻って行くのだろうと思う。

55歳、父は若かったけれど、きっともう帰ることに決めて帰って行ったのだろうと僕は思っている。僕は今年、還暦を迎えるまで塾教師であり続けることを自分に誓った。少なくともあと10年頑張るつもりだ。また一歩一歩が始まる。

父の分まで長生きをしてなどとは思わないけれど、死をしっかりと見つめて生きていきたい。

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2009年12月 1日 (火)

父親たるもの・・・・

「父ちゃんが誰のために苦労して働いていると思ってんだ!」

「勉強する気がないなら高校なんて行くな!」

こんな切れ方をするお父さん方は実に多い。僕も父親であり家の主なのでその気持ちはよ~く分かる。しかしである。息子や娘を叱るときに、自分の仕事のストレスをぶつけてはいけない。

男たるもの嫁さんをもらい子どもを作ったうえで、自分が大変な責任と使命を背負ったことは重々承知のはずである。そして責任と使命を背負った以上に、夫となり父親になった喜びはそれ以上だったはずだ。

僕は子どもの成績の悪さや、躾のなさはすべて自分の責任だと思っている。塾教師という実に不安定極まりない仕事をしている父親ゆえ、夜は家にいず、休みの日ともならば、仕事関係の付き合いやら金策に走り回る日々だったので、まったく息子を放任状態にしてきた。だから息子たちを責める資格は僕にはない。

ただ一生懸命働く父親の姿は見せたいと思い頑張っている。僕も子どもの頃は勉強が大嫌いだった。中学校の頃は給食を食べ、部活をやるために学校に行っていた気がする。

我が家の食卓は貧乏ゆえあまりにも質素だった。ゆえに中学校の給食は僕にとってパラダイスだった。風邪で数人が休んだ時などは、おかずの酢豚をおかわりできる喜びに舞い上がった。

今振り返ると、単純でアホな生徒だった。でもそんな自分がいとしく思えるこの頃である。僕はよく女房に言われる。「あなたは家族がいなかったら仕事のストレスでとっくに死んでいたわよね」と。

まさにその通りだと思う。家族は決して重荷などではない。子どもや嫁さんがいるからこそ父親は頑張れるのである。

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2009年10月20日 (火)

春の来ない冬などない

自殺者が増えている。金銭上の理由や健康上の理由で自らの尊い命を絶ってしまうことは本当に悲しいことだ。

確かにプライドや社会的地位など、どうでもいいと言う人はいない。しかしそんなものがなくとも人間は生きていける。間違いなく生きていける。たとえ借金苦で自己破産をしたとしても、住民票があれば生活保護が受けられる。死ぬことはない。

もう一度スタートラインに立ってやり直せばいい。サラリーマン時代や、もしくは会社を営んでいた時に各種税金を支払い、地域や国に貢献してきたではないか。困ったときは国に面倒を見てもらっていいのである。

生きていれば必ずいいことがある。今は人生が冬の時代であるだけで、やがて春が来て、夏が巡ってくる。春の来ない冬などない。

人が去ったとしても、それはお金や仕事の利害関係で結ばれていた人達だ。女房や恋人まで去ってしまったと言うのなら、所詮そんな関係だったのだ。また一から働いてもっと若いピチピチの女房をめとればいい。

幸福な人生は仕事とお金で決定するという思いに社会ごと洗脳されているから、最悪の道を選んでしまう。還暦を過ぎて仕事に行き詰って自殺などの悲しい記事を目にするが、60歳も過ぎれば体力的にも仕事に行き詰るのが当たり前である。

還暦を過ぎてバリバリに一線で活躍しているほうが特殊なのである。そんな特殊なケースをお手本にして自分を苛む事なかれである。縁側で猫を相手に日向ぼっこの人生でも良いのではないだろうか。

僕の父は30代半ば交通事故に遭い、生死をさ迷った。その怪我から回復したと思いきや、今度は癌を患い長い入院生活をしいられた。大黒柱を失った我が家はその間、生活保護で食つないだ。

癌を克服して働き始めた父は、本当に強かった。中学しか出ておらず、学歴がなかった父は、家族のためにどんな仕事も厭わずやった。50代半ばで人生を終えてしまったが、僕にとって父は、父親という存在の大きな目標であり、尊敬する最良の人間である。

半世紀の人生の中で、死にたいと思ったことがないと言えば嘘になる。辛いこともあった。しかし僕は生前の父の存在に救われてきた。

人間は天寿をまっとうするまで、どんな形であれ生き続けなければならない。僕はそのことを父から教わった。そしてそのことを僕は子どもたちに伝え続ける義務がある。

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2009年8月 4日 (火)

親としてのポジション

先日市内で家業を継いでいる卒塾生のKくんが塾に立ち寄ってくれた。多くの従業員を抱える彼は、会社運営や、ちょっとトラブッている家庭の事情などをさりげなく打ち明けてくれたのだが、Kくんは父親になって自分が変わったと話してくれた。

もちろん会社で責任ある立場にいる人間なので、変わらざるを得ないのだろうけれど、僕から見ても確かに変わった。

幼い頃に父親を早く亡くし、いろいろな苦労をしてきた彼である。東京の大学を終えた後、家業を継ぐべくイギリスに留学し、修行もしてきた。高校大学時代ラガーマンとして鍛えた身体は、今も健在で見るからに逞しい。

「や~僕も先生と同じで頭髪がやばくなってきましたよ」などと目を細めてしゃべる癖は、塾に通ってきていた高校時代と変わらない。

「俺が塾に入った時、先生の息子さんとてもちっちゃくて、チョコチョコ歩き回っていたけれど、俺の娘がちょうどそれくらいになりましたよ」とKくん。

「息子も来春学校を卒業で、今は就職活動でいまだ陽の目を見ず、悪戦苦闘しているよ」と僕が言うと。「え~もうそんな年になりましたか。俺も年を取るわけだ」とKくんは目をパチクリしていた。

我が塾の社長であり、風と虹の教室http://kazetoniji.cocolog-nifty.com/の代表である僕の家内に、奥州市や市内の子育て支援センターなどから幾つかの講演の依頼が来ている。その内の一つは家内のスケジュールの都合で僕が代わりに行くことになりそうなのだが、僕は正直戸惑っている。

塾の生徒の指導は僕なりにがんばってきたつもりだ。死にたいと言ってきた生徒の自殺を食い止めたこともある。どうしようもなく荒れていた生徒を更生させたこともある。塾生が東大や早慶にも入った。しかし僕は現時点では、自分の息子達の教育に関して完全に失敗している。ゆえに子育ての失敗談ならいくらでも言えるが、成功例は今のところ言えない。

僕は2人の息子の父親になって、人並みに愛情を注いできたつもりである。しかしまったく言い訳にしかならないが、息子の教育に関しては、塾家業が忙しく(いや、忙しいふりをして)放任してきた。結果大変なことになっている。

でも息子たちから教わっていることも多い。僕は、子どもが勉強しないで困っている、いや苦悩している親御さんの気持ちが手に取るように分かる塾教師だと自負している。だから息子たちに感謝している。ちょっと複雑な感謝ではあるが・・・・・・。

そんなことを卒塾生のKくんと話をしながら考えていた。

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2009年5月19日 (火)

息子達のこと

高校時代に読んだ本や出会った音楽は、確実にその後の人生に多大な影響を及ぼし、本人が意識するしないにかかわらず物の考え方や感性の方向性を形作っていくものだ。

従って15歳から18歳ぐらいの時期の読書体験や音楽体験は血液の養分を作り出す食事のように、細胞の隅々までインプットされ染込んでいく。

高校時代私は勉強は好きではなかったが、本はいっぱい読んだし音楽もたくさん聴いた。喜んでいいのか悲しんでいいのか、この習癖は完全に二人の息子達に遺伝している。特に下の息子は学校の勉強はとことん拒絶するが、暇があれば本を読み音楽を聴いている。

私が20代に読んだ村上春樹の作品を、中2になる彼はほぼ読破した。私が漠然と疑問を抱いていた村上作品の不鮮明さみたいなものを、時に息子に論破されてどきりとすることがある。この情熱を英語や数学にと思うのだが、今だかなわぬ夢である。

昨夜も私がブログを打ち込んでいる横で、ビルエバンスのCDを聴きながら、私に「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の解説を私にしてくるのであるが、正直言って息子の読解力の方が私を上回っている。

塾教師を父親に持つというイメージは私には分からないことが多くあるのだが、息子達なりに何がしかの葛藤はあるのだろうと思う。長男は大学に進まず就職の道を選んだ。次男は進学校に進まず地元の普通高校に入るつもりらしい(と言うか今の成績ではそこしか入れないのだけれど・・・)。

二人ともいっさい私に勉強のことは聞かない。話を振ってもそっぽを向かれてしまう。私も彼等の判断や決断には干渉するつもりはない。息子達には息子達なりの生き方がある。

いい年をしていまだに卓球の大会に出ては、息子達と同じ年代とガチンコで勝負をしている父親をきっと変な大人だと思っているだろうし、たまにギターを抱え、わけの分からない歌をがなりたてている父親という存在に対して、困ったものだと思っているのかも知れない。私という存在が、父親として息子達にとって決してお手本となる存在ではないかも知れないが、自由奔放な人間のお手本としてはまあまあいけてるのではないかと、ほんの少しだけうぬぼれている。

私が父親として、息子達に思っていることは、よそ様に迷惑をかけたり、命に危険があるような状況にない限り、子供たちには自由にさせておきたいということである。もちろん勉強がやりたいと言えばサポートするつもりであるし、上の学校に進みたいと言えば、さらに生活を切り詰めるなりバイトをするなりして何とかしようという心づもりはある。それだけのことである。

子供は親に似ると言うが、私は父親に一度たりとも勉強をしろとは言われたことがない。まったくない。早ね早起きをすることと、農業を手伝うことを言われたぐらいである。

「勉強が出来ないのも個性だ」と言い切る私の感性は、脈々と培われてきた血筋でもある。

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