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一関一高附属中学校設立に対する私見

2008年12月23日 (火)

これで反対意見は最後にします

一関一高附属中学校の願書の受付が先週終了し、最終的な倍率が出た。2.8倍の倍率であった。大方の予想よりは低い倍率だったように思う。私も個人的には3.5倍ぐらいの倍率を予想していたが、ふたを開けてみれば世論に煽られることもなく、平静を保った受験志願なのではないだろうか。

昨年の秋に、一関一高附属中学校開設に対する私見をブログにしたためて以来、私見に対して2000件近いアクセスを頂いた。読まれた方はご存知だと思うが、附属設立に対する反対意見を述べさせて頂いた。当初批判のメール等も頂いたが、学校行事やPTA等の会合に於いて、私のブログに対する賛同の意見もだいぶ頂戴した。

一高附属の設立発表時の新聞には、医者や弁護士を世に送り出す英才教育を目指す、などの文字が飛び交い世論をだいぶ煽ったが、度重なる説明会ではそのようなトーンは陰をひそめ、優秀な人材の育成と言うような表現に変わった。

一関一高の卒業生の職業を見ると、圧倒的に目に付くのが学校の教師である。私の母校でもない学校に対してとやかく言う立場ではないが、今まで延べ200名ほどの塾生が一高に入学して行った。教員になっている卒塾生も多い。昨年の秋に書いた内容と重複するのだが、ここでもう一度私の反対の論旨を述べてみたい。

勉強というものはさまざまな負荷がかけられ、そのストレスや軋轢さえも学びとなる。勉強をバカにするもの、家庭の価値観が違うゆえの友人に対する苦悩、人間はそういった経験を経て成長をして行くものだ。

入試によって選別された一定のレベル以上の子ども達が、切磋琢磨する姿は確かに理想的な姿かもしれない。授業をボイコットするも者や、先生に暴言を吐く者もいないだろう。しかしそこにこそ、ある種の問題が隠されている。

将来教員をはじめとして、社会のリーダー的存在を目指す人材が、温室のような(表現が適切ではないかも知れないが・・・)環境で、まじめな素直な子ども達だけの集団の中で、真のリーダーシップを学んでいけるのだろうか。

今の日本を見て欲しい、かつての安部首相も、現在の麻生首相も優秀な大学を出られているが、はっきり言ってお坊ちゃま大学の秀才方である。庶民感覚はまったくない。政治学のエリート教育が笑ってしまう。かつて田中角栄は中卒で、首相にのし上った苦労人であった。汚職という悲しむべき首謀者の汚名を着せられた政治家であったが、実行力と国民の繁栄を考えた政治手腕は今でも評価されている。

現在東京都に於いて、公立の中学校が荒れている原因に、リーダーとなる中学生が不在であることが指摘されている。学力に於いても運動能力に於いても優秀な人材は私立に流れていく。その本流をとめることは誰も出来ない。しかしその代償として、格差社会が蔓延して行った。

東京や千葉では公立の先生方の離職者が増えている。私立や進学校で学んできた先生方が、自分の価値観を揺さぶられる子ども達に対応できないのである。また教員採用倍率も3倍に満たない関東地区の都道府県もでてきた。今回の一高付属の倍率よりも低いのである。先生というかつての聖職が、この状況になったのは、児童に対する学力と言う名の非情な選別が、経済力と言うモンスターを暗黙のうちに子ども達の心の中に刷り込ませた代償であると私は考えている。

そういった悪習を10万ちょっとの田舎町にもたらす必要はないのである。これが私の附属設立に対する反対論旨だった。しかし来月の入試を皮切りに、一高附属はスタートする。塾教師として傍観ばかりを決め込むわけにはいかない。反対意見はこれで最後にさせていただく。開校し船出をする一関一高附属中学校に対して、塾としてできること、やらねばいけないことを今後世の中の動向を見据え、対応して行くつもりである。

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2008年1月29日 (火)

一関一高附属中学校併設への私見パート3

 個人個人の心身の発育は、本当に千差万別である。学習面でももちろんそうである。そしてそこに家庭環境がさらに複雑に絡んでくる。

 例えば離婚の問題がある。私の長男のクラスは、小学校の時3割が片親の家庭だった。PTA活動等でいろいろ考えさせられることも多かった。

 英才教育と言う言葉がある。今回の一関一高附属中学校の設立に対して、何人かの小学校の校長先生からプライベートにお話を伺う機会を得た。その中で印象に残った話がある。

 給食費を払わない家庭が増えていて、故意に払わないのはけしからんと言う世の中の論調があるが、実際は本当に大変なご家庭が増えている。塾の先生を前にしてこんな話も失礼かと思うが、附属中学校が開校し、入試制度が始まれば、今以上に小学生の塾通いは加熱するだろう。本来の子どもの能力の選別ではなく、経済力や、家庭環境による選別になりはしないだろうか。というお話を拝聴した。

 附属中学校に入学するために、英才教育が必要かどうかは別として、2年3年と入試が続いていけば、塾は問題を分析し、より良い指導プログラムを構築してくる。きっと私もそうするだろう。独学での入試勉強は、小学生だけに難しい。したがって経済格差が、そのまま教育格差になってしまうおそれがある。

 このシリーズの前回でのブログの繰り返しになるが、教育のチャンスは平等に与えられるべきである。

 中学生ならば、たとえ家庭環境が劣悪でも、乗り越えられる精神力を、クラブ活動や、人間関係で培うことが出来、大いなる展望を持ち、一高入学を希望し、躍進していける。中学生ならば、塾に行く経済力が家庭になくとも、充分独学で勝負できる。その一高の門戸が、3年後からわずか160人に限られてくる。

 高校入試も今以上に加熱することは、火を見るより明らかだ。

 私がなぜこれ程までに経済の話にこだわるのか・・・・。私の塾では、週1回の個別指導で、5000円という月謝設定をしている。この料金でも、経済的理由で月謝が払えず、退塾していく家庭がある。

結果公立高校を失敗し、私立高校に入るのだが、そのお金が続かず中退という悪循環の結果が生じている。

 この仕事をやってきて、忘れられない言葉がある。私大は受かったものの、国立に合格できず、家庭の経済事情で就職を決意した塾生がいた。彼女は私にこう言った、「結局貧乏人は働けということなんですね」。

 彼女の涙ぐんだ言葉が、今も私の心にひっかかり続けている。

 

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2008年1月27日 (日)

一関一高附属中学校併設への私見パート2

 先週、私立高校の推薦組の塾生が全員合格を勝ち取り、今日は一関高専の推薦組が3倍の難関を乗り切り全員合格の朗報を頂いた。こんな日は実に気持ちがいい。

 さて一関一高附属中学校入試のための保護者説明会が、県内各地で来週から始まる。当セミナーの、一関中学校関連の固定リンクへのアクセスが日ごとに急増している。保護者の皆様から多くのご意見を頂いた。今後の指導に役立てたいと考えている。また貴重な時間を割いて頂き、アクセスして頂いていることに心より感謝を述べたい。

 実は私自身、保護者の皆さんの関心の高さに、正直驚いている。私どもに寄せられたご意見を幾つか紹介したいと思う。

 『都会と地方の経済格差や、文化的格差は、教育の格差に大きく起因しているのではないか。今回の附属中学に期待する。』

 『何が附属中学だ。英才教育をする暇があるなら、底辺のこども達の学力向上に教育機関はもっとエネルギーを注ぐべきだ。』

『学歴がないばかりに、派遣社員での仕事しかない。東京の本社からきた若造にあごで使われる。地方の教育の底上げが必要だ。』

 『意識が高い親たちが、こども達に付属中学校を受けさせることによって、高学歴をめざす意識の改革を地方にも定着させるべきだ。』

 私は、教育の質を高めることは、当然大切なことだと思う。問題点は、素晴らしい潜在能力を持ちながら、劣悪な環境の中で埋もれてしまい、教育のチャンスを与えられない子友達がいることだと思う。

 今度の一関一高附属中学校の設立が、教育レベルの底上げになることは間違いないだろう。しかし教育の格差が今以上に広がってしまうことも想像される。

  チャンスは平等に与えられなければならない。私どもの塾が、最大の企業努力で低料金を維持してきているのも、そう言った理念からである。

 昨日、小学校のお子さんが二人いる営業マンの方が、私の塾を訪れた。波長があって、1時間近く立ち話をした。その方は一高のOBなのだが、息子が仮に附属に入れたにしても、授業に付いていけるんだろうかと、不安を話しておられた。

 その方とも話したことなのだが、進学校に行って伸びなくなってしまう生徒が増えていると聞く。我々塾のあり方にもその責任の一因がある。

 地元の進学校に親が希望し、本人も希望する。しかし成績が伴わない。表現は悪いが、お金と手間暇さえかけてくれれば、我々は合格に導ける。塾業界に長くおられる先生方ならば、みんな知っているテクニックだ。入試に出ないところはやらせない。膨大の量の過去問を分析し、頻度の高い問題の演習を徹底して繰り返させる。

 例えば県内の公立入試に置いては、国語の問題で、品詞名を問う問題は出ない。形容詞や形容動詞、連体詞等の区別が出来ればよい。理科では、体、動物の範囲で、消化器官や肺循環等の内容は必修だ。しかし、動物の分類は出ない。ちなみに植物の分類もほとんど出た試しがない。

 書き続ければ、レポート用紙数十枚の合格マニュアル本になってしまい、生徒が塾に入って来なくなるのでやめておくが(・・・笑い),点数だけどうしても取らせなければならないとなると、残り少ない時間の中で選択すべき指導方法は、おのずと決まってくる。

 生徒の学力を伸ばすのではなく、得点能力を伸ばしてしまう。結果高校に入って授業についていけない。たとえて言うならば、ゴムが伸びきった状態で高校に入れられ、遊びがないまま高校生活に突入してしまう。これでは伸びようがない。

 保護者の皆さんより私が若かった頃、上記のことがなかなか勇気がなくて言えなっかた。近年はバリバリ言っている。言い過ぎるものだから時として反感も買う。

 明日一関一高附属中学校入試説明会に出席して来る。それを聞いてきてから、この続きをまたしたためたい。  (つづく)

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2007年9月 1日 (土)

一関一高附属中学校併設への私見

  去年、一関一高に附属中学校を併設するという記事が新聞に載って以来、仕事柄さまざまな所で保護者の皆さんに意見を求められてきました。今回は、この件についてあらためて私なりの私見を述べさせていただきます。

現在一関市において、私学を含め9校の高校があります。それぞれの学校が地域の特色を生かし、また生徒のいろんな能力を尊重しながら学校運営にがんばっておられます。

また中学生の皆さんも様々な希望を持ち、学校を選択しています。甲子園を目指したいので学院で、と言う方もいるでしょう。また良い大学に入りたいので一高へ、という生徒もいるはずです。福祉を学びたいので二高の総合科を選ぶという女子生徒も多いでしょう。

いろんなニーズによって高校が選択されています。そういうふうに希望を持って高校に入ったにもかかわらず、高校との折り合いが合わなかったり、自分の将来の進路が変わったりして中退していく生徒が多いのも現実です。

25年も前の話で恐縮ですが、私は東京の四谷大塚系列の私塾で、私立中学校の受験指導を2年間ほどやっていたことがあります。            開成、武蔵、等の有名中学校を目指す小学生のレベルの高さに、本当にビックリしたのを憶えています。

小さなこども達が毎日夜10時過ぎまで、塾で勉強する姿は決して望ましい姿ではありません。  しかし、時代が求めていたニーズでもありました。時はバブル前夜、良い学校さえ出れば、将来は約束されたような錯覚を、親達や社会は抱いていたように思います。

時は今、昔のような学歴神話こそ影を潜めた気がしますが、まだまだ高学歴社会への傾倒はぬぐい去れないものがあります。

話はちょっと変わります。現在公立学校の先生方の休職が増えています。精神的ダメージによるものです。   全国で3万人とも4万人とも言われているようですが、過去10年間で2倍の数になっているそうです。    なぜでしょう。それほど学校の環境が悪化したのでしょうか。  私はちょっと違う視点でとらえています。  バブル崩壊後、公務員や教員志望の学生が急に増加しました。        特に教員試験などはすさまじい倍率で、一次試験などはほぼ満点じゃないと通らない、そんなうわさも飛び交っています。間違いなく頭脳優秀な方々が学校の先生なられています。      しかしその努力してきた過程の中で、めんどうが起きそうな人間関係をあえてさけてきた傾向は無かったでしょうか。問題行動の多い、粗野な生徒の心情をくみ取ってあげるという点で、なにか我々教える立場の者に不足してきたものがなかったでしょうか。

小学校卒業後、選ばれた生徒として附属の一関中学校に集い、勉強することは、学びやすさにおいて確かに多くのメリットはあります。   教える側にしても扱いやすい生徒さん達でしょう。 しかし今、格差社会が進んでいる現代社会が故に、弱者や恵まれない環境に苦しむ人達の痛みを、わかってあげられる指導者が求められています。そして、そのような人材を育成していくことが、教育のつとめであると考えます。勉強が得意な人もそうでない人も、真面目な人もおてんばな人も、一緒にワイワイがやがや過ごす時間の中で、構築され熟成されていく教育もあるはずです。

従来通り、中学三年生になってからの進路選択が、この地方の風土に合った教育システムだと、私は考えます。

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