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日記・コラム・つぶやき

2017年12月11日 (月)

震災後初めて

東日本大震災が起きて今日で6年と8か月が過ぎました。
震災後僕はずっと古着屋さんで衣服を買い続けてきました。深い理由があるわけではないのですが、ジーパンもジャケットもセターもすべて1000円以上のものは買った記憶はありません。
 
戦中のように贅沢は敵だとかそういったわけではないのですが、震災後新しい服をすんなり買えない自分がいました。
その代わりと言ってはなんですが、温泉にはしばしば通うようになりましたので、逆にお金は使っているのですけれど(苦笑い)。
昨日家内と仙台に遊びに行ってきました。家の仕事も卓球の指導もさぼり、美味しいものを食べ、ぶらぶらとしてきました。震災後初めての仙台歩きでした。駅前のジュンク堂書店のビルがなくなっていたのにはびっくりでしたね。浦島太郎になったような気分でした。200メートルほど離れたビルの地下に移動していたんですね。6年の歳月は大きな変化をもたらしていたんですね。
実は無印商店で、セーターを買いました。新品のセーターです(笑い)。3000円ほどでした。震災後の僕の喪中が終わった日でした。街はクリスマス一色ですね。今週は地元の小学校でのクリスマスライブがあります。読み聞かせのお母さん方とのコラボで、15年目になりますね。今年最後のライブでもあります。
今年は3月からほぼ月2回の割合でミニライブをやらせていただきました。一関限定のなんちゃってシンガーソングライターとしては、嬉しいかぎりです。初老おやじの自作曲に拍手を頂いてなんかちょっとだけ若返った気がします。(気がするだけですけれど・・笑い)。
冬期勉強会もあと1名で定員が埋まります。今年も無事に年が越せそうです。感謝でいっぱいです。

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2017年8月10日 (木)

生産性を重んじるあまり、どれほどの素晴らしい原石を見捨ててしまったことか

若者が若者の状況でいられる時代というのは、実際のところ長い。結婚をして子どもが出来ても、表現は悪いがあんちゃん、ねぇちゃんのような雰囲気で闊歩している方は多い。若いね~という言葉は褒め言葉と言うよりは、ちょっと批判めいた感じがしないではない。

しかし、あんちゃん、ねぇちゃんであるがゆえに、家庭を持ち子どもを育てることは大いなる学びで、間違いなく人間として大切なコアーを身に着けて行くと僕は考えている。だから、若いのに親になってだいじょうぶかしらというのは,心配のし過ぎではないかと思う。確かに幼いがゆえに育児放棄という親もいるが、これは歴史を遡れば、いつの時代もあったことで、少なくとも現代社会に限った病理などではない。

逆によく、若いのにしっかりしているという表現があるけれども、世間が評価しているしっかりしているというのは、判断力があって、独立心があることだと思う。つまりは自分自身に対して、自己責任能力をしっかりもっている人間のことを形容する言葉のような気がする。

20年ほど前から公立の学校に於ける不登校が増えてきた。いつの頃からか定かではないが、行きたくないというのを無理に強制させても・・・という風潮が生まれ、なんとなく学校に行かない状況を容認する社会が生まれている。

いじめられるから学校に行けない。先生が暴君だから行かない。部活を強制されるから行かない。給食が食べられないから行かない。学校のトイレを使えないから行かない。宿題がやれないから行かない。学校に行けない理由に正当性を持たせるとしたら、ひょっとするとすべてが正統的な理由なのかも知れない。

一方、そりゃ違うだろうという観点から見れば、全ての理由が瓦解する。職業柄、不登校に対して意見を求められることが多いのだけれど、僕は個人的には学校に行かないという選択肢はあるのかなと思う。しかしそれは、あくまで個人的救済や、何らかの個人の目標があっての話で、全ての不登校にYESということではない。

学校に行かないというチョイスはさほど問題ではないが、深刻なのは、不登校が引き金になって、そのまま社会から孤立してしまうことだ。不登校の半数の生徒が、大人になっても引きこもり状況という現状を、我々はもっと真剣に受け止めなければならない。

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高校に行き、そして大学に入らなければ、まともな仕事がないという観念を植え付けられた若者たちは、その観念に立ち向かう前に、逃避をしてしまう。我々は若者たちに、職業の選択の自由を、もっと大胆に、そしてアグリッシブルに提供しなければならない。この社会は、生産性を重んじるあまり、どれほどの素晴らしい原石を見捨ててしまったことか。その社会的損失は計り知れない。 

先ほど述べたように、若者でいる時代は長い。その間に培われるであろう忍耐力や、協調性や社会性を軽視する教育であってはならない。人生を有意義に生きるということに於いて、ある程度の学歴や経済力が必要であることを、若者たちに知らしめることは大切だけれども、それが絶対条件であるかのような洗脳であってはならない。

彼は運動能力はいいんだけれど、勉強がね~とか、彼女は頭はいいんだけど性格がね~などという人物評を耳にする。当然のことだけれども、完璧な人間などいない。だから人間は努力をするわけだ。

中・高生は、入試勉強が大変だと言うけれど、おっとどっこい待ってくれと言う感じだ。人間死ぬまで学びの連続だ。若い頃が一番学びやすい。だからことさら勉強することを推進されるわけだけれど、実は一生涯勉強だ。

中庸であることは難しい。しかし平均的な人生を歩むことは決して青春の敗北ではないし、諦観を装う大人の仲間入りでもないのだ。30を過ぎ40になり、そして50になっても、間違いなく青春の塊はくすぶり続けている。燃えてしまえば、あとはいっきに驀進だ。ためらうことなかれ!

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2017年8月 4日 (金)

そんな矢に撃ち抜かれ、天を仰ぐことがある

ブラザーコンプレックスやシスターコンプレックスを抱えている生徒が多くいる。兄弟姉妹の相違をいろんな場面で比較されるされることは、何気なくスルーしているつもりでも、ボクシングのボディーブローのように効いてくるのだろうと思う。

『お兄ちゃんは出来たのにね~』古典的な禁句表現だけれど、いまだに家族間でこの会話をしているご家庭がいるらしい。

確かに兄弟すべてが優秀というケースはある。ちなみに僕の塾でも、3兄弟が僕の塾に通ってきて、全員が関一に入り、全員が国立大学に入学というあっぱれな兄弟・姉妹は何組かいた。しかし稀なんじゃないかと思う。

逆に兄貴が問題児で、弟も問題児というケースも稀だ。親御さんにしてみれば、不公平なく愛情をかけて育ててきたのに、なにゆえに勉強ではこんなに差が出るんだろうと、ため息をつかれている方もひょっとするとおられるかもしれない。

しかしそれが個性というものだろう思う。かく言う僕も一応子育てには参加してきたけれど、兄弟の様々な相違を個性と達観するまでには、多くの歳月を費やしてしまった。

生徒に『勉強しないの?』と尋ねると、『姉は一高を出て国立大学に行っていますから。』などと的外れな返答をしてくる生徒が時々いる。

これなどは完全な開き直りのケースで、さんざん姉と比較されてきて、心の中で何かがぶち切れているのだろうと思う。姉が優秀なんだから、俺だって優秀なはずだ。勉強をしないことをとやかく言うんじゃない!という態度が、矢となって突き刺さってくる。さすがの僕もそんな時は、そんな矢に撃ち抜かれ、天を仰ぐことがある。

同じ両親から生まれても、顔も違うし運動能力も違う。まちろん学習能力も違う。それが人間なんだね。DNAはあくまでも遺伝子的なレベルでの問題で、精神や感性、ましてや魂の問題となると、科学の再配は蚊帳の外だ。・・・・と僕は思います。

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2017年8月 3日 (木)

今日は徒然なるままに

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小さな小さな寺子屋塾を始めて27年が過ぎようといています。自分の身の丈にあった仕事を心がけてきたものですから、分室を作ろうとか、法人や会社組織にすることなどいっさい考えたこともなく、マイペースでここまでやってきました。

起業をするのは簡単な時代ですけれど、継続することは本当に大変なことだな~と実感した27年間でしたね。長年続けてこれた秘訣はなんですかと、たまに聞かれます。

塾で儲けようと思わないことですかね。家族5人を養ってきましたけれど、塾の収入だけで生活できた年はそんなになかったですね。若い頃は昼のバイトをしましたし、まちろんコメ作りもやってきました。40代の後半からは、高校の非常勤講師をやらせて頂いたり、短大の講師をやらせて頂いたり、なんとか生活をさせて頂いてきました。

末の子が学校を終えて、ようやく子育ても終了かと思いきや、今度は母の介護が始まるなど、なかなか休む暇はないですね。まあそれも身体が丈夫なゆえにやってこれた日々だったように思います。頑丈な身体に生んでくれた両親に感謝しています。

父が健康にすぐれませんでしたので、小学5年生の時から本格的なコメ作りをやってきました。そんなわけで米作りは飽きてしまい。昨年でやめました(笑い)。その代りめちゃくちゃ休耕田の草刈り作業が増え、毎日悪戦苦闘している日々であります。

今年の春は塾の大家さんが亡くなり、そしてすぐ家内のお父さんが亡くなりました。20代で父を亡くした僕にとって、本当にいろんなことを支えて頂いてきた大家さんと家内のお父さんの死は、悲しくてつらかったですね。今年の夏は二人の初盆です。

今年のお盆は、あえて休むことなく仕事をすることにしました。仕事供養みたいな感じです。

たまたま去年と今年は、入塾の調子がよく、8月で受験学年が定員になる状況が続いています。卒塾生のお子さんが入塾し始めたことが大きな塾の力になっていますね。感謝ですね。卒塾生の一期生が今年44歳を迎えます。27年間塾をやってこれたってことはそう言うことなんですね

明日から一関は夏祭りです。塾は休みません。何も予定がない生徒さんは、塾で勉強するのもいいですよ。それでは。

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2017年7月28日 (金)

僕が学んだ大いなる哲学

人間というものは感情の生きものなので、吠えたくなる時はある。毎日のストレスにどう対処するのかは、数学や理科の公式のようにうまくはいかない。ただ男性に比べると女性は感情の発露が発言に特出する傾向があって、男性である僕からみると、正直ドキッとすることは多い。

僕は臆病な人間なので、なるべく敵を作らないように小さくなって生きている。そうじゃなくても、田舎町においては、塾の経営者というのはちょっと特異体質的なところがあって、僕の意向とは裏腹に、いつのまにか矢面に立たされていることがある。

ブログやSNS等で、言いたいことを書いているように思われることも多々あるわけだけれども、これでもだいぶ自重しているつもりではある。かつてのように、いずこからか、果てしない嫌がらせのメールが来ることも、脅迫めいたコメントをもらうことがなくなった。

僕が学んだ大いなる哲学がある。人は本当のことを指摘されると怒る。しかも猛烈に怒りをあらわにする。反省という日本語は確かに存在するけれども、ある種の人間にとっては幻想か幻のような言葉なのだろうと思う。

地位や財産があれば、ゴリ押しは許されると思っている人種の方がいるわけだけれども、そもそもそそういう方々は地位や財産が幻であることを知らない。仁徳があって初めて、人間は物質に見合った輝きを放つ。

中身が伴わない偉いお方が、高価なアクセサリーを身に着け、豪邸に陣取る姿ほど、はかないものはない。

今日は午前中、市道の草刈り作業をやった。頼まれたわけでも強制の作業でもないけれど、ひとり黙々とやった。今日はそんな気分だった。土曜日や日曜日は卓球の指導やら、草刈り作業で過ぎてゆく。睡眠時間も毎日5時間を超えることはない。正直肉体は疲れて入るけれど、精神はまあまあかなと自画自賛している。

今日から夏期勉強が始まる。午前中は母のプチ介護があるので、今年の夏期勉強会は午後からのスタートとなる。ゆえにお盆休みもない。しかし、気分はなんか爽快だ。よくマラソンランナーがランニングハイになる時があるようだけれど、それに似ているかもしれない(笑い)。

さてシャワーを浴びて塾に行くか・・・

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2017年6月15日 (木)

短大・大学は行く価値があるのか

日本の大学進学率は、横ばい状況になっている。私立大学のA,O入試で、大学に入りやすくなっている昨今ではあるが、経済的な問題が、進学の壁になっているようだ。

大学は行った方がいいですか?生徒からよく尋ねられる質問だ。家庭環境等の問題で、進学を悩む生徒も多いわけだけれど、行きたいなら行くべきだと思う。

確かに大学の質が低下してきた近年、行く価値があるのだろうかと躊躇する生徒もいるのだろうが、後々の就職や仕事のことを考えれば、大卒や短大卒の資格は、あって邪魔になるものではないし、長い人生を考えれば、大学の学びは大切なものだろうと思う。

一流企業は、一流大出の人材を求めるわけだけれど、3流4流の生き方というのも間違いなくある。ほどほどに頭がよくて、ほどほどに仕事が出来れば、人生はなんとかなるものだ。一流にこだわる必要はない。

大学で目的もなく、遊びほうけるなら、そりゃ行かなくてもいいだろうけれど、目的があって学びたいことがあれば、行った方がいい。

お金に関しては、奨学金とバイトでなんとかなるはずだ。コンパは行かなくていい。車も必要ない。金がかかるなら、成人式も行く必要がない。ガラケイがあればスマホはいらない。卒業旅行?そんなものは行かなくていい。

僕は風呂無しのアパートに6年住んでいたが、夏は水道の水を浴びていた。ジーパン2本とTシャツ3枚あれば6月から9月まで生きられる。サバイバルは結構楽しいものだ。ちなみに東京生活の6年間はテレビは必要なかったし、大学や市の図書館に行けば、本は無尽蔵にあるので、買う必要もなかった。お金を使わない工夫はくされるほどあった(笑い)。

大学で僕が学んだこと、それは人生は結構暇だということだ。仕事に忙しいと言いつつ、ギャンブルやお酒や不倫に精出すかたは多いきっと時間の使い方を知らないんだろうと思う。

暇な時間の有効活用を大学で学んだ僕は、実に多くの時間を楽しんでいる。ギターがあれば曲が生まれるし、軽トラックで山をかけ巡れば、様々な驚きと出逢う大学を出たおかげで、なんだか知らないうちに、先生と呼ばれる仕事までさせて頂いている。

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3流4流だってちゃんと生きる世界はあるのだ。迷っているなら大学や短大に行ってみよう。僕はそう思う。

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2017年5月20日 (土)

無知の知

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無知の知という言葉がある。自分が何を知っていて、何を知らないのかを客観的に見つけられる姿勢こそが、生きて行くための知性のような気がします。

現代文明はまさに科学の恩恵を受けて、便利で一見豊かな社会になりました。しかし、知らぬ間に多くの闇がはびこり、幸福そうじゃない人が増えているように思います。

お金と地位に固執する人間。逆に自由であることを求めるあまり、生活の基盤を喪失してしまう人間。そのような社会で、我々が大切なものは、どのようなスタンスでしょうか。

我々は地球や自然によって生かされている存在なのだという認識だと思います宇宙と言ってもいいかも知れません。

宗教や哲学で表現すれば、詭弁としての神や絶対的権力者としての存在が介入してしまうかも知れませんが、一人一人の存在を存在たらしめている愛と言えばいいでしょうか。

愛であれば、嫌悪も憎しみも、僕らの存在を危機に貶めることはないはずですね。一日に感謝をし、やって来る明日に感謝をする。その繰り返しが、幸福の種を育てていくように思います。

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2017年3月23日 (木)

不確定社会に生きる我々は・・・

合格発表が終って1週間が過ぎた。新高校生は、スマホを買ってもらったり、制服の寸法どりなど、何かと忙しい日々かも知れない。

塾では、合格した高校から出された宿題を持ち込んで勉強に励んでいる生徒がいるが、全体的にはのんびりした春休みの日々なのだろうと思う。

今朝の一関は雪だった。卒業シーズンが終わって雪が降るのは6年ぶりかな。冬タイヤを交換している光景をここ2,3日見かけたが、まだまだ季節は移ろいやすく、冬タイヤは必用なようだ。

昨今の入試を見て思うことがある。基本問題が姿を消し、中途半端な基礎力では問題が解けなくなった。500点満点で200点をとることが厳しい生徒が増加している。

つまり数学にしても英語にしても、理科の計算問題にしても、だいたい分かったでは解答出来ないのだ。完全に分からないと足元をすくわれる問題が増えた。学校の授業になんとなく付き合っている中学生は、蚊帳の外という感じがするのではないだろうか。

岩手県は公立高校の倍率が低下し、正直とても入りやすくなった。それほど勉強しなくてもという感じが、そこはかとなく水面下で広がっているかも知れない。おまけに国立大は別として、私立大学もある程度の通信簿の点数を維持するば、推薦で入ることが容易だ。

で・・・なにが生じているのかというと、言葉は悪いが低レベルでの安定化だ。もうすぐセンター試験テストに記述式が導入されるということで、英語教育の見直し論が巷にあふれだしているが、そもそも英検にしても大学入試のセンター試験にしても、マークシートテストだ。もうすでに昔からお気づきの方がいるかも知れないが、英語の知識を試す問題であって、実技的な問題では決してない。ゆえにこれほど長年にわたって、莫大な予算と時間を英語教育に投じてきても、日本人は英語が使えない。

受験科目に英語があるから、仕方なく英語をやっています的な状況が永遠と続いてきた。おまけに昨今は文法の授業が悪の根源のように言われ、外国人により会話授業を促進しているが、まじかよという想いがするね

僕らの世代は、文法ありきで英語を学んできた人種だけれど、文法を学ぶことで、その言語を話す国民というか民族の性質みたいなものがよく理解できたきがする 。仮定法や知覚動詞や分詞構文などを眺めていると、なるほどこう来たかみたいな、発見があったね。

今の高校では5文型なるものも、ほとんど教えない。僕はこの分構造の理解こそが、英語の根本だと思っているがんこ爺なので、猛烈な違和感がある。

塾業界は、来年度に向けてまた忙しい時期を迎える。生徒募集だ。どんな理論をかざそうと、理屈をこねようとも、生徒が入って来なければ、ただの絵に描いた餅だ。僕の塾も同様に同じ。

どこそこに生徒が合格しましたなんて言う実績は、昨今それほど重要ではない。なぜならほとんどの生徒が受かるからだ。うちの塾のように月謝の安さも重要じゃない。格差社会の昨今、お金持ちは高い授業料の塾に向かう。

宣伝がうまい塾に生徒が集まる。これは資本主義経済の基本理念だ。スマホを買い求める生徒さんで、テレビCMの影響を受けない生徒さんはいないだろうと思う。不確定社会に生きる我々は、情報こそ唯一のサバイバルツールだと思っている。逆にその情報にうまく誘導されていることに残念ながら気づかない。

権力とお金に負けないためには、精神や心の自由度が必要だ。それを鍛えるのは、学びだろうと思う。わけのわからないテレビ番組や、このようなブログやFBに構っていないで(笑い)、本を読もう。春休みだしね。

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2017年2月10日 (金)

居場所

自分が入った学校や職場に不平や不満を愚痴りたくなる気持ちは良くわかります。しかし自分が居る場所は、間違いなく自分が選択した場所であり、何らかの結果としての居場所です。

ひょっとすると努力不足の結果としての居場所かもしれませんが、あなた自身が選んだ学びの場かもしれません。

自分の能力を知る方法は様々です。ただ言えることは、周りの人間が自分の写し鏡であることは忘れない方がいいかも知れません。

僕らは毎日努力と精進に比例して進化していきます。年令は関係ありません。継続は力です。このことは宇宙の真理だと思います。

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2016年12月 5日 (月)

花泉(はないずみ)町の地名の由来

僕が住んでいる町は花泉町。とってもシンプルで素敵な地名だと自負している。

この町名の由来は、その昔坂上田村麻呂が征伐の折に夢を見せられ、その夢をたどって早朝に西山に入り、二本の桜の木のある所に立って剣を地にさしたところ、そこからこんこんと清水が湧き出たところから、その場所を花立泉(かりゅうせん)と呼ぶようになり、花泉という地名の由来となったらしい。

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現在の花泉清水の八幡神社の境内に、その花立泉(かりゅうせん)の跡が再現され、当時をしのぶことが出来る。

神社の境内からは花泉の雄大な丘陵地帯を展望できる。

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巨木の樅ノ木を背景に、長い年月の中で風化してきた狛犬が、その歴史の残像を物語っているかのようだ。

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