神様の数だけ宗教がある
古事記と旧約聖書は研究すればするほど深みにハマると言うのか、きっと抜け出せなくなる。だから僕は積読程度で深淵は覗かない。
そもそも古事記も旧約も登場人物が多すぎる。一見ストーリーがありそうでいて、急に肩透かしを食らったり、逃げ場のない迷路に拉致されてしまう。
古事記の話題をさりげなく持ってくる知識人は、宗教人と言うよりは、まるで無限の謎解きに夢中になっているゲーム少年みたいだし、旧約聖書を話題にのぼらせる知識人は、旧約聖書そのものの存在を後生大事に守っている、金脈鉱山の守り役みたいである。
いわば古事記は支配者の武勇伝だし、旧約聖書は人類のミステイクを嘲笑う一大スペクタルロマンだ。
これらの書物で持って、ある意味人生を狂わされた人達は数知れない。知らなければいいものを、知ってしまったが故の悲劇。悲劇という言葉が不謹慎ならば知ってしまったが故の自己欺瞞とでも言い換えてみようか。
僕は古事記も旧約聖書も禁断の果実だと思っている。ある意味人間の本質を洗脳してくるタイムマシンだ。
宇宙創生も人類の誕生も、神様に委ねてはいけない。その時点で我々人類は精神的な言葉の奴隷になってしまう。
それはマルクスの資本論を読んで、マルクスを知ったつもりになっているよりタチが悪い。
あめのなかぬしのかみ。この神様の名前を知ったからと言って、神の本質を知ることなど出来ない。それなのに知ったつもりになっている人がたまにいる。ちょっとウザい。
神社に祀られている神様のほとんどが古事記に由来する神様だ。古事記がもし存在しなかったなら、これほどまでに全国に神社があったかどうかは疑わしい。古事記の影響力は凄まじい。
旧約聖書からさまざまな宗教が生まれた。キリスト教だけがスポットライトを浴びているが、ユダヤ教の頑固たる支柱である旧約聖書は、世界に点在する多くの新興宗教の土台骨となっている。
神様の数だけ宗教が存在すると言われているが、僕ら人類は神様なしでは不安でそして生きて行く指標が見つからない存在のようだ。
これってやっぱり、古事記や旧約聖書による洗脳なんだろうか。考えさせられてしまう。
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