77の最終章
そもそも僕の平凡な人生をある意味いい意味でもそうじゃない意味でも狂わせ始めたのが、15年前に遡る駒形神社の77の奇跡だった。
何度もこのブログで書いてきたので知っている人は知っているのだけれど、もう一度かいつまんで説明すると、奥州市の駒形神社に行くたびに、参道に向かう手前の十字路で、信号待ちする1番前の自動車のプレートナンバーがいつも77という奇跡が30回以上続いたのである。
この現象は東日本大震災と共に消えた。
この77の現象に気づいた頃から無性に磐座に興味を持ち始めた。岩を御神体とする近隣の神社に惹かれてまくりの日々が始まったのである。
そしてたどり着いたのが坂上田村麻呂が蝦夷との戦いで張り巡らした磐座の結界。岩手六芒星である。
六芒星神社がマスメディアに取り上げられて、世間がざわつき始めた時に、僕は六芒星の中心の神社である配志和神社を含めこれら7つの神社を示唆する意味で、77の奇跡が生じたのだろうと思った。
ところが今年になって、父が50年前に買い求めた布袋さんや祖父が60年前に買って神棚に置いていた恵比寿さんが気になり出して、jazz小屋の前の蔵扉に鎮座させ供養してからというもの、ことあるごとに僕の周りに七福神が溢れ出してきた。
酒屋に行っても七福神、新聞を広げても七福神。昨日古本を購入したらしおりが七福神ならず七十七銀行のしおりだった。兎にも角にも7が溢れ出した。
そういうことで、塾に鎮座していた弁財天さん毘沙門天さんそして寿老人さんを蔵扉に集合させて七福神をコンプリートした。
このことで何が始まろうとしているのか僕は皆目見当もつかない。ただ今までの経験値でいくと、何か新しい出逢いがありそうな気がする。
神は僕ら人間の想念を写し出すある種の鏡だ。だから神社には象徴として鏡が置かれている。
神様は実態はないがエネルギーを備えている。そのエネルギーは僕ら人間の想念や祈りによって作られて行くものだ。もし神様の年齢が1000歳だとしたら、1000年も前から祈りの対象とされてきた崇高なエネルギーである。
ただし神様のふりをするよからぬ霊体もいるらしいのでお気をつけ願いたい。宗教団体の教祖さんや占い師さんの中には当て物が得意な人がおられるようだが、何度も言ってきたように触らぬ神に祟りなしである。
当塾のホームページはこちら☞➡大験セミナー
【新講座のご案内】
大験セミナーの月謝は週一回90分指導で5000円からとなっておりますが、毎日16時から21時の間いつでも自由に塾を利用出来るコースを作りました。月謝は20000円です。中学3年生には超おすすめです。逆転満塁本塁打ゼミとして推奨します。
受講希望者の方は電話でお問い合わせください。よろしくお願いします。
0191–23-0824 大験セミナー

























最近のコメント