忘れ去られて行くもの
中学の時に亡くなった同級生や、職場の同僚で20代で亡くなった友人たちのことをふと思い出すことがある。
気の遠くなるような歳月が過ぎても、彼らの眼差しや、なにげない仕草を昨日のことのように思い出す。
それはまるで、波一つ立たない川の静かな流れのように、僕の意識の中をこぼれ落ちて行く。
人は何のために生まれそして死んで行くのだろうか。人生を一瞬で駆け抜けて行った友人たちを思うと、その疑問符が、真綿のように僕にまとわりついてくる。
彼らの分まで一生懸命に生きようなどとは僕は思ったことがない。僕の人生など、そんなにたいしたもんじゃない。彼らが生きた時間、それが全てであり、唯一のドラマだったはずだ。
そのドラマの中に、僕と言う人間がたまたまちょい役で飛び入りしていただけの話で、シナリオには一切影響しない存在だ。
当然のことだけれど、人は時の流れと共に忘れ去られて行く。故人の思い出を携えた人たちが亡くなってしまえば、残された石塔が風化して行くがごとく、記憶も風化して行く。
その人間が抱いた悲しみや絶望や歓喜は、ひょっとしたら地球上を流れる風や大気の中で、紅茶に垂らすひとひらのシナモンのごとく、ほんの微かな微風となって漂っているかも知れない。
天国にいる期間がどれくらいなのかはわからないけれど、きっと忘れ去られたタイミングで、彼らはまた新たなシナリオを構築して、ドラマの主人公を演じて行くんだろうと思う。きっと僕らも同じように。
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