星を巡る
現在の考古学は、発掘が全ての基本で、まずは埋もれているものをいかに表出させるかにかかっている。
しかし急激な地殻変動やカオス的崩壊で沈没してしまった文明の痕跡の表出はほぼ不可能に近い。
ないものは存在しない。これが現代の歴史学でありいわば科学の常識でもある。
考古学と宗教は引き離せない事案だ。キリスト教以前と以後の世界観は劇的に違う。僕はよく新聞メディア等から郷土歴史研究家と紹介されることがあるのだけれど、実は僕が一番興味を持って思索しているのは、人類の原始宗教観である。
我々人類が本当の死の意味や輪廻転生について知らせられない限り、本来の宗教論も文明論も存在しない。いや、論じることも出来ないと思っている。
自らを常識人と自負する方々は、死後の世界や輪廻転生をタブー視する傾向がある。ましてや宇宙人存在の有無など論外だろうと思う。
その論外なものにあえて挑戦しようとする僕も、常識人からすれば論外な輩だろうと思う。
人間同様に文明も輪廻転生を繰り返してきたというのが、僕がこのブログで言い続けてきた僕の理論である。
人間はなぜ転生するかという疑問に対して、それは魂の進化のためだとする宗教家が多いけれど、僕は違うと思っている。魂や人間性などと言うものは転生の数や地球上での貢献度に比例して進化するものでも覚醒するものでもなく、人間は全ての善と全ての悪を体現する存在で、現在・未来・過去全てに於いてフラットの存在だと思っている。
つまりあの人は素晴らしい、などと言う評価は、時代やその国の宗教や、イディオロギーによって表裏一体の評価になりうる。
家畜を殺して食用としている僕らが、鬼畜生と蔑まされた時代があり、隣人を殺戮する行為を英雄扱いされた時代もあると言うことだ。
サンテジュグペリの星の王子様という作品は、現在の人間を語る材料として素晴らしい作品だ。王子様が砂漠のキツネを飼い慣らすことの責任は、多くの示唆に富んでいる。
星を巡る王子様は本来の人間の転生を寓話的に示唆している気がしてならない。本来僕らの魂(本質)は自由に飛翔出来るはずだったものだ。それを妨げるものがあるとしたら、それは宗教の神という隠れ蓑を着た多次元の存在か、もしくは我々に埋め込まれたDNAの操作かそれはわからない。
僕はいまだに考え続けている。
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