感謝に救われた
今の生活を変えたいとか、生きざまを変えたいとか、マンネリ化した生活から脱却したいと思っている人は多い。
しかし多くの人達が、願望ではなくて愚痴で終わってしまっていることが多いのではないだろうか。
金持ちにならなくても、整形をしなくても自分を変えられる。
自分がわくわくすることをやればいい。自分がやりたいこと、自分が楽しみたいことを頑張ればいい。100%結果はついてくるんじゃないかな。
自分が本気で楽しめることは、人も楽しいことだ。自分が虚しさを感じるのは、楽しさではなく快楽だからだ。そういう意味では、自分がやっているアクションの判断は簡単だ。
占いに頼らなくても、手相を見てもらわなくても、自分の意識と正直に向き合えば判ることだ。
競馬ですっからかんになった時の虚しさや、パチンコで1万円負けた時の悔しさは、人生の糧になるだろうか。それですっぱりと決別できれば、大きな糧となるだろうけれど、リベンジに燃えて人は墓穴を掘っていく。
酒や煙草で体調を壊した人も同じだ。何度もダメージを受けて気付けないのは、愚かだからではない。なにかに動かされているのだ。
世の中に悪い人はいない。魔が差すのは、魔が入り込む隙があるからだ。その隙は偶然生まれはしない。感謝がないからだ。
感謝は運命を切り開く最大の妙薬であり、言わば見えない敵や魔物を撃退する最大の武器だ。僕はそう思うな。
感謝の念を抱き、わくわくすることをしている人には、叶わない。敵対心があるところに敵は現れる。勝負を挑む人に、ライバルは登場する。それだけのことだ。
僕はいつも 『お金もない、髪もない』という自虐的ギャグを連発しているけれど、運だけは持っていると自負している。万事休すと思える時に必ず救いの手がやって来る。人生で何度も何度も救われた。
一体誰に?感謝という神にである。神はひょっとするといないかも知れないが、でも感謝という波動は人を守り、そして生き甲斐を与えてくれる。必ず。
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