岩手六芒星の妄想は続く
延暦7年12月7日(789年1月7日)、長岡京の内裏で桓武天皇から節刀を授けられた征東大将軍・紀古佐美が激励を受けて陸奥へ進発した。阿弖流為率いる蝦夷軍と戦ったが、敗戦。その時の副大将が安倍猿島墨縄(あべのさしますみなわ)という人物。
実はこの安倍氏の末裔が東北の安倍氏ではないかと勝手に妄想を膨らませているかねごんである。阿弖流為軍に負けたことで、打ち首寸前だった安倍猿島墨縄だが、なんとか命は救われたらしい。そのうっぷんはかなりのものだったろうと思う。関東の出のようだが、蝦夷との戦で、岩手の土地勘を得た安倍一族が、東北の派遣を狙ったと考えるのはあながちまったくの夢物語ではないのではないだろうか。
紀古佐美のあとを受け継いだのが、征夷大将軍坂上田村麻呂。阿弖流為ともれは田村麻呂に降伏し京都へ。802年そこで阿弖流為は命を落とした。阿弖流為という求心力を失った蝦夷に、歴史上突然あらわれる安倍氏。
実は,磐井の六芒星を妄想し藤原清衡の血脈を遡って行った時に、安倍貞任、宗任らの安倍氏と京都陰陽師の安倍氏のルーツが僕の頭の中でリンクした。その瞬間に神社オタク歴四半世紀の僕の直感が、何かを捕まえた(笑い)。
義経が来たであろう迫街道を守護する萩荘の三島神社。奥州街道を守護する鬼死骸村の鹿島神社。そして北上川を北上してくる敵を防御する狐禅寺の滝神社。北上高地を守護する舞草神社。奥羽山脈を越え骨寺村からくる敵を防御する達谷の巖谷西光寺。そして中尊寺を北限に据えたこの六芒星が誰によって画策されたかは、僕にもわからない。
1200年の時を経て、阿弖流為の時代のロマンが僕に降り注ぐ・・・
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