不登校が当たり前になった時代で必要なこと
不登校という言葉が教育の場で正式に使われるようになったのは平成10年・1998年頃かららしい。
当時は学年で、2、3人が学校に通えない生徒児童が居て問題になっていたわけだけれど、それが現在では10倍くらいになっている。
言葉は悪いが、不登校がメジャーな現象として教育現場で受け入れられてしまっている。かつてのように担任の先生が頻繁に家庭訪問をすることは無くなった。この状況で家庭訪問をしていたら学校での業務ができない。
学校に来ない生徒たちの学習状況を把握することは必要だと思う。通信添削やYouTube等で勉強している生徒は良しとして、低学力のまま放置されているケースは問題ありだ。
彼らは将来引きこもりの社会人になってしまう。働くことが人生の目標だとは言い切れないが、個人の人生が不発に終わる状況は残念な気がする。
仮にその子の本質が(魂と言ってもいいかもしれないが)引きこもりの人生を経験することを意図していたとしてもである。
人は誰かのために存在する。そして誰かがあなたのために存在する。
人間の本質を若い世代にレクチャーする場が不可欠だ。
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