塾教師でいることで叶った夢
故郷を出て都会で成功する人。都会のビルの谷間で光を見ることなく人生を終わる人。
故郷で家族を作り大地に根を下ろして生きている人。故郷に愚痴りながら孤独の人生を終えて行く人。
何もない人生に於いても、試練の連続の日々の人生に於いても、留まることも飛翔することもそれぞれの自由ではあるが、その決断の先にある未来を掌握出来ないもどかしさは誰にでもある。
多くの友人たちや親戚、そして家族との永遠の別れをしてきた。「幸せだったよね」と問いかけてみる。もちろん答えは返ってこないけれど、きっと幸せだったと思う。
不満や後悔があったかもしれないが、人生は価値あるものだったはず。
愛する人がいたという事実。愛されていたいう事実があったからこそ、僕らは存在してきたはずだ。
朝起きて家族と交わす「おはよう」のあいさつ。飲む一杯の珈琲。これを幸せと言わずして、何を幸せと言うだろう。
僕は年金をもらう年齢になった。父の生きた年齢より10年長く生きてきた。しかしリタイヤすることは出来ない。塾もそうだし高校等の講師もそうだ。今の暮らしを維持するために、僕は働き続ける。
正直人生に悔いはない。好きな音楽をやってきた。好きな文章書きもやってきた。好きな神社探訪も、岩手六芒星という形で実を結んだ。
ジャズ喫茶のマスターという夢は叶えられなかったけれど、DIYした納屋で夜な夜なジャズを聴いている。
塾教師になることは夢ではなかったけれど、塾教師でいることで、他の夢が多く叶った。感謝しかない。
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