どうしてここに神社があるのだろう
僕が神社に興味を持ち始めた昔、どうして神社がここに建立されたのだろうというごく自然な疑問が湧いてきた。
岩を御神体とした神社に出会うようになって、どうしてこの岩が御神体で、向こうの山にある似たような岩は違うんだろうと言う疑問がまたまた湧いてきた。
神社という概念が陸奥の地で芽生えたのは、蝦夷を征服しようとした奈良時代後半以降の朝廷の意図だった。神社を本格的に勧請されたのが坂上田村麻呂の時だった。
そう神社の位置が僕の人生の中でずっと気になっていたことは間違いない。
後三年の役後、安倍氏との死闘に危機感を覚えた源義家が当地に勧請してきたのが源氏の武士が信仰していた八幡神社。
この八幡神社の場所の選定も謎。まさか北斗七星の形に配置していたなんて、お釈迦様でも知らなかったんじゃないかな。
神社の場所に猛烈な興味を持った結果が、岩手六芒星の発見に至ったわけだけれど、実は僕以前に源義家はこの六芒星に気づいていて、六芒星の周りに等間隔に八幡神社を建立していたんだね。
YouTubeやSNSで岩手六芒星を検索すると、さまざまな方々が六芒星を語っていらっしゃる。嬉しいですね。
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