学校教育の最終目標は
日本の教育は機能しているのか。どうだろうか。基本的にはほとんどの人が字を読むことができて、普通に意思疎通が出来るという点に於いては機能してきたのだろうと思う。
ただ満足しているのかという点に於いてはクエスチョンマークかもね。
学校教育の最終目標は、生徒それぞれが社会に適合して生活して行くことが出来るということに主眼が置かれているんだろうけれど、幸福度の達成ということでは今の日本の教育は疾走感があるね。
将来を見据えてはいない。受験に偏ったジャッジメントで能力を判断されることで、若者たちは自分の能力に見切りをつけてしまう。
低いレベルの学校に入った人はそれなりに、と言う感覚が間違いなく定着している。そして格差社会が蔓延ってしまった。
出来ない生徒をなんとかしようと言う指導者もいる。しかしほとんどの教育者は「しょうがない」と思っている。理由は単純だ。人間には能力差があると思っているからだ。
努力や鍛錬で変わるってことはわかっていても、その努力や鍛錬をする家庭環境の基盤がないと人は変わらない。そういうことを経験で知っているから「しょうがない」と思ってしまうのだ。
若い先生はそういった諦観の経験値がない。故に問題を抱える生徒や児童をなんとかしようとする。でもその根底にあるものに壁を感じると、理性がリセットされ、底辺の子どもを支援するスタンスがアベレージ化する。
親御さんにしてもそうだ。上の子はほっといても出来たので下の子も大丈夫だと思っていたら、厳しい状況にというのはよく耳にする。
勉強することと仕事は違うという方がいる。確かに体力や手先の器用さが全てという仕事はある。
学校教育の目標からすれば、そういった導きも大切だ。
しかし適材適所の落ち着き場所はやっぱり自分の努力と感性でチョイスするものだろうと思う。それぞれの哲学はやっぱ必要かな。
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