他人と妥協したくなかったら自分で生きるための生活を構築しなければならない
自分の居場所を見つけるのは意外と大変。だから自分の居場所が家庭や職場だって人は幸いだね。
何処にいてもそこが自分の居場所じゃないと思う人がいるとしたら、それは悲しいことだよね。
生きることの違和感ってのかな。自分はなんでここにいるんだろうと思いつつ、妥協して生きることは辛いだろうね。
実は僕はそういうことが何度かあった。俺ここに居ていいのかなとか。なんで俺この人たちといるんだろうとか。自問自答しながら生きていた時があった。
だから塾を始めたんだと思うけど、他人からノルマを課せられることは本当に嫌だったね。生きている時間を、ほんのわずかなお金で買われて、拘束されるって僕には耐えられなかった。
きっとあのままサラリーマンをしていたら、僕は存在していなかったと思う。
そんな人間なので、不登校や会社に行けなくなってしまう人の気持ちはよくわかる。よくわかるけれど、そのままじゃダメだってこともわかるのよ。
他人と妥協したくなかったら自分で生きるための世界を構築しなければならない。21歳の頃までは、僕は生きる世界を音楽に求めた。毎日詩を書き、メロディをつけて歌っていた。
1983年ヤマハポップコンからあみの『待つわ』がリリースされあっと言う間にナンバーワンヒットとなった。僕が応募していたオーディションでもあった。
この歌が売れるのか・・・22歳。僕が音楽を諦めた瞬間だった。
その年、東京で僕は大手学習塾の講師になった。そしてそれ以来ずっと塾業界で生きてきた40年以上も。
自分が何処へ行けばいいのか正直なところわからない。でも今居る場所が少なくとも自分が納得した場所であることは間違いない。
人から命令されるのが嫌だったら、自分で全て責任を負う覚悟で、自分の道を歩むしかない。道がぬかるんでいても、道が寸断されても、自分で這いつくばって進んでいかなきゃならない。そんな40年だったかな。
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