天才は天才がゆえに孤独かもしれない。
中学3年生で高校数学を終えてしまう生徒がいる。英文法書を一人読みこなし、高校1年生で大学で学ぶ高度な構造文法まで掌握してしまう生徒がいる。
彼ら彼女らはなぜそれほどまでにストイックに学習出来るのか。理解出来るのか。それは彼ら彼女たちが自分の欲望を制御できる天才だからだ。
言い換えれば、ありふれた雑音や快楽から自分をシャットアウト出来る意志を持っているからだ。
努力の先にあるだろうある種の成果を期待すると言うよりは、彼らには自分の進むべき道が見えているのかもしれない。
塾業界に長くいると、さまざまな天才に出逢う。刺激の少ない岩手のような田舎から、東大の医学部を目指すような生徒はまれびとではあるが、生まれ持った才能に溺れることなく、自分を信じて進む姿は芸術的でもある。
今でこそ僕の街には東大医学部コースを標榜する大手予備校の分室があるが、リモートもYouTubeもない時代の天才たちは、受験の情報さえも自分で精査しなければならず、ましてや受験問題の分析さえも個人の気質に委ねられたのだ。
現在我々がパソコンのキーボードを叩いて、過去問の傾向を探るのとは次元が違う知識と学習範囲が要求された。
天才は間違いなく孤独だろうと思う。自分を本当に理解してくれる同胞なる友人を見いだすことは困難だったろうと思う。
天才は天才が故に孤独かもしれない。僕ら凡人の及ばない領域で構築されていく知識は、共有されて初めて日の目を見る。
宇宙物理学や最先端医療に於いて多くの天才が闊歩しているが、残念ながら政治の世界には不在のようだ。見渡せば、孤独に耐えられそうな政治家は国会議事堂にはいないようだ。
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