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2025年5月

2025年5月31日 (土)

時代は変わる

あらゆる情報が垂れ流しになり、本質をカムフラージュするがごとく上書きの嘘が蔓延する今、希望喪失難民が急増している。

高校を終えて就職した若者たちの3分の1が、1年以内に入社した会社を辞める。そのほとんどがアルバイトの生活に入る。

時間を制約され、命じられる労働と賃金がリンクしないと言うのが理由らしい。俗に言う割に合わないと言う不満ゆえの離職だと思うのだが、自分のやる仕事の先に将来が見えて来ないと言うのが本音だろうと思う。

一生涯バイトのような暮らしをしてきた僕が言うのもなんだが、確かに僕らは働くために生まれてきたのではないような気がする。

ご飯を食べるために働くと言う感覚は現代の若者たちには希薄なようだ。僕の思い過ごしかもしれないが、今の若者たちはこの世の中を観察するために生まれてきたように感じられてしょうがない。

会社のために働くという意識がなく、結婚願望も希薄で、何かを犠牲にして頑張ると言うど根性タイプなどでは決してない。

今の若者たちはやる気がない。と言う声をあちこちで耳にする。僕は彼ら彼女らがやる気がないのではなく、希望格差社会に慣れてしまったがゆえに、一種の悟りを得てしまったのではないかと思っている。

頑張っても報われない社会。だから若い今を楽しもうぜ。そんな声なき声が若者たちから聞こえてくる。


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2025年5月30日 (金)

腹が減った

近年までワンコインで昼食を食べることが出来たのに、近頃は値上げの嵐で、ラーメンもカレーも700円とか800円で、ワンコイン生活者の僕には厳しい日々となっている。

500円で食べることが出来る昼食。ほぼ消えたね

仕方ないので菓子パンなんかを齧って昼をやり過ごすこともある。でも腹が減るんだよね。

兎にも角にも塾通いが急激に減速した僕の町では、塾業界は末期症状。どんどん塾が閉店している。

生き残りをかけてサバイバル状態と言いたいところだが、サバイバルする気力も業界にはもはやない。

僕が塾をはじめた35年前は市内に学習塾は公文を除いて8件ほど。それが市内の生徒数が半減したコロナ前には塾の数が3倍近くになっていた。

必然的に需要と供給のバランスが崩壊してしまった。僕が塾をやってきた35年間で10件の塾が撤退して、12件の塾が進出してきた。そのほとんどがフランチャイズ塾。

35年間継続している塾は僕の塾を含めて市内では3件だけ。

腹が減ったなんて言ってられないな。食いぶちを求めて頑張らないと。


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2025年5月29日 (木)

見えるものは本当に存在しているのか

僕らが視覚で認識している世界は本当に存在しているのだろうかと、ふと思うことがある。

逆な言い方をするならば、見えないからといって存在していないと決め付けることも出来ない気がする。

街灯がない自宅周辺は、夜になると満点の星空を堪能出来る。でもこれらの星は本当に存在しているのだろうかと、無性に不安になることがある。

張りぼての宇宙。そんな妄想をしてみる。

人間は自分の能力が定かではないので、学歴や資格に固執するのかも。1枚の目に見える証書で自分や他人を評価する。でもその証書さえも人間の能力を本当は語るものではない。

言うまでもないことだが、愛する感情や悲しみや絶望も誰にも見えない。落胆している表情や歓喜している姿で分かったような気にはなっているけれど、それだけのことだ。

僕らの住んでいる不確実な世界。見えているものだけを信じて生きることは出来ないし、同様に見えないものを無視しても生きていけない。

この星が本当に存在していることを理解できている生物は、地球上にどれだけいるだろうか。


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2025年5月28日 (水)

たまに遭遇する自分の記事

自分で蝦夷のこととかアラハバキのこととか、陰陽道のことをGoogleで調べていると、自分の書いたブログ記事が出てくることが時々ある。

このブログも20年ほど書いてきたので、現在の僕の思考とかつての自分の記事の内容が微妙に違う記事がある。これを進化と捉えるか退化と捉えるかは自分でもよくわからないところがあるわけだけれども、自分の変遷が見えて面白い。

知識量というものは基本的には読書量だとかつての自分は思っていて、兎にも角にも自分の馬鹿さ加減を本を読むことで誤魔化してきたわけだけれど、最近はちょっと違う見解が自分の中で生まれてきた。

知識と言うのはその七割以上はひらめきだと思うようになった。いくら知識を溜め込んでも、ひらめきがなければ、知識は知識のまま体積するだけで、自分を動かしてはくれない。

ものごとを知ると言うことは、それが誰かの役に立つことで知識は成就するのだと思う。

故に誰かに伝えた情報や知識は、その時点でもう自分のものではない。先生と呼ばれる人種は、昔の知識にずっと頼っていると枯渇して、知識の残骸に埋もれた廃人になってしまう。怖い人種なのだ。


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2025年5月26日 (月)

本当に久しぶりに曲を書いている

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夜な夜なこの通称ジャズ小屋で最近曲を書いている。

金のかからない僕の道楽だ。どんだけシャウトしても大丈夫が故、ギター片手に本当に久しぶりに曲を作っている。

昨年のマルシェで売るはずだったギブソンのアコギ。売れなかったのもこういうことだったのかと、勝手に納得して弾いている。

歌う場があるかどうかは定かではないけれど、作ったら作ったでまた新しい縁があるかとずうずうしく思っている。

ところで僕は聴く音楽はジャズなのだが、作る歌は昭和歌謡。そのギャップが自分でも笑ってしまう・・・

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公立高校の減少

盛岡地区を除いては旧制中学校であった俗に言う岩手県の進学校の難易度がここ2年ほどで急に下がっている。少子化による倍率の低迷が原因だ。

公立高校の統合が議題にあがるようになって久しいが、かつて1学年200人いた郡部の公立高校は1学年30人に満たない状況になっている。

その結果何が生じているのか。私立高校への集中である。

かつて私立高校は公立高校が落ちた生徒が行くところとか、お金がかかって入れられないと言うのが世の中の評判と言うか、定説だった。

地元の公立高校では部活もままならないし、進学もままならない。と言うことで、私立高校への入学者が増えている。

一関市の平均年収の状況では、私立高校の助成金は満額もらえるので、クラブ活動費はかかるが、授業料はほぼ無償。私立高校は関連大学とのパイプが強いので、進学を希望すれば私立大学への進学はほぼ叶う状況だ。

故に私立高校は生徒増が続き、僕のような爺い講師も首にならずに雇ってもらっているというわけである。

余談になるが岩手県内の私立高校では、大谷翔平の母校である花巻東高校が生徒数ではダントツである。大谷効果は計り知れない。

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2025年5月25日 (日)

本日のブログは失礼します

連日の草刈り作業で疲れました。本日のブログは失礼します。

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また明日以降よろしくお願いします。

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2025年5月24日 (土)

新年度に入ってアクセス数が増えたと思ったら

3月に200万アクセスを達成した当ブログだが、新年度に入って日々のアクセス数が加速している。

ブログのアクセス解析を見るとどうもひとりの人が1日に300ページも400ページも閲覧しているようで、何かの記事を探しているのか、気になる記事があったのかは分からないけれど、ものすごい勢いで大験セミナーわくわく日記を検索しているようだ。

それにしても僕のこのブログは岩手県の人はあまり読んでいなくて、関東や関西圏の方々に読まれている。塾の生徒募集には残念ながら全く貢献していない(笑)。

まあ日々貧乏話を書き連ねて、自分のストレス解消にしているブログなのでよしとしよう。

実は僕には読書中毒症とでも言うべき読書依存症の疾患(笑)があって、大学時代から結婚するまでの10 年間、毎日一冊ペースで本を読んでいた。1年間で365冊。10年で4000冊弱ほどの冊数を読んだことになる。

さすがに結婚をして、農業をやりながら今の塾を開いてからは独身の頃の三分の一ほどの分量になり、そのままのペースで60歳半ばで生きてきた。

ところがである。昨年の暮れあたりから、また読書中毒症が再発して、1日1冊ペースが復活してしまった。

ことの発端は岩手六芒星に関するテレビ取材だった。サービス精神旺盛な僕は、何か面白いことをテレビで言わなければならないと思い、ネタ探しに、東北古代史に関する本を読み漁っていた。

テレビ取材が終わっても読書中毒症は治らず、塾生が少なくて暇なことも手伝って、日々古本屋に出かけて行っては、本をゲットしてくる日々である。

断捨離をするどころかまた本が増えている。う〜

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マンガのような光景に唖然

本日土曜日と言うことで、午前中高校の授業がなかったものだから、果てしなく青々と草が伸びた休耕田の草刈りをやっていた。

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ひとまず田んぼ1枚が終わり、家の納屋カフェでお気に入りの曲を聴きながら珈琲タイム。

雨も降らなかったので気分良く塾に向かおうと、車に乗ってドアを閉めた途端、車の後ろから霰が降ってきたような音が。

なんと後ドアの窓が見事に粉々に崩壊。ドアを閉めただけななのに・・・

急遽軽トラックに乗り換えて出勤。自動車税も固定資産税も電気代もお金が無くて未納だと言うのに、またお金がかかる案件が勃発。透明のビニールシートでも張って急場を凌ぐか。

昨夜棺桶がずらっと並ぶ夢を見た。嫌な夢を見たと思い、スマホでググってみた。すると現状の問題が解決する吉夢だそうだ。

現状の問題はお金がないこと。是非解決に向かって欲しい。夢だのみだけれど。

自動車の窓が走行中に崩壊しなかっただけでも良しとするか・・・

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2025年5月23日 (金)

したり顔の大人は努力が全てだと言う


幸福を感じている者と、幸福感を感じられない者の強烈な光と影のコントラストが、現代の日本社会であまりにも顕著になりすぎた。

カースト制度が色濃く残っていたかつてのインド、共産圏の国々の人々の諦観的人生が、決して良いわけではないが、不平等という社会構成を念頭に於いた生き方には、少なくても精神を錯乱させる程の自由や幸福感の喪失はなかったような気がする。

今の日本はどうだろうか。大学を終え、無難な会社に入れば税込20万円の給料をもらい、土曜、日曜日は休日がある。一方社会のレールから外れた人間は、並外れた能力を有する者や、親の庇護を受けられる者は別にして、厳しい不条理をつきつけられる。

全ての人間には、豊かに幸福に生きる権利がある。しかし現実はどうだろう。1枚の成績表や、合格通知で若者たちが選別されて行く。

毎年3万人が自らの命を断ち、一人暮らしの老人がその2倍も3倍も孤独死をして行く国が豊かな国だろうか。公務員や一流企業に勤めるサラリーマンと、下請け企業に勤める地方の労働者の経済格差は広がる一方だ。我々のような自営業者は言わずもがなである。

したり顔の大人は努力が全てだと言う。

今時の小学生でさえその嘘の本質を見抜いている。100人が努力をしても、そこには必ず100番目のレッテルを貼られる人間が存在し、門戸を閉じられる人間が出て来るのだ。

人間は平等なんかじゃない。しかし人生にチャンスは平等にやって来る。問題はその機会をそれぞれがどう受け止めるかだろう。

近年大学進学率の上昇に伴い、高校での専門課程が激減してきた。東北でさえ農業高校が次々と消え、商業科や情報処理科などの学科が消えた。

前回の記事でも書いたが、am と is の区別もつかない高校生に週数時間英語を教えるよりも、重機機械の操縦の仕方やフォークリフトの運転免許指導をやったほうがずっと、将来役立つ気が僕はする。

彼らが数学の微積や英語の分詞構文を前にして、鼻くそをほじくり惰眠を貪っている姿を努力不足と決め付けるのは、お門違いのような気がしてしょうがない。

幸福とは何だろう。今日本人は、真剣に考えなければならない。太陽に向かって佇めば影が出来る。しかし雲の日や雨の日は影が出来ない。

幸福の価値が多様化していいはずなのに、人は同じ方向を向きたがる。


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2025年5月22日 (木)

天才は天才がゆえに孤独かもしれない。

中学3年生で高校数学を終えてしまう生徒がいる。英文法書を一人読みこなし、高校1年生で大学で学ぶ高度な構造文法まで掌握してしまう生徒がいる。

彼ら彼女らはなぜそれほどまでにストイックに学習出来るのか。理解出来るのか。それは彼ら彼女たちが自分の欲望を制御できる天才だからだ。

言い換えれば、ありふれた雑音や快楽から自分をシャットアウト出来る意志を持っているからだ。

努力の先にあるだろうある種の成果を期待すると言うよりは、彼らには自分の進むべき道が見えているのかもしれない。

塾業界に長くいると、さまざまな天才に出逢う。刺激の少ない岩手のような田舎から、東大の医学部を目指すような生徒はまれびとではあるが、生まれ持った才能に溺れることなく、自分を信じて進む姿は芸術的でもある。

今でこそ僕の街には東大医学部コースを標榜する大手予備校の分室があるが、リモートもYouTubeもない時代の天才たちは、受験の情報さえも自分で精査しなければならず、ましてや受験問題の分析さえも個人の気質に委ねられたのだ。

現在我々がパソコンのキーボードを叩いて、過去問の傾向を探るのとは次元が違う知識と学習範囲が要求された。

天才は間違いなく孤独だろうと思う。自分を本当に理解してくれる同胞なる友人を見いだすことは困難だったろうと思う。

天才は天才が故に孤独かもしれない。僕ら凡人の及ばない領域で構築されていく知識は、共有されて初めて日の目を見る。

宇宙物理学や最先端医療に於いて多くの天才が闊歩しているが、残念ながら政治の世界には不在のようだ。見渡せば、孤独に耐えられそうな政治家は国会議事堂にはいないようだ。


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2025年5月21日 (水)

サーカスで食っていけるんじゃないかと思うほど綱渡りが上手くなった

35年前、父が亡くなって実家に戻って来た時に、我が家が所属する集落の件数は80個ほどだった。それが35年経た今は70件ほど。そのうち高齢者だけの家は20件ほどになっている。

地方はどこもかしこもこんな感じだ。50歳を過ぎた独身者が農業を営んでいる。農家に嫁は来ない。

なぜ来ないのか。問題が生じるのでここでは書けないが、人間関係とだけ言っておこう。

子どもが生まれない。若者が定着しない。地方経済は活性化せず、街はシャッター通りとなり、人口は減るばかりだ。

ちなみに僕が卒業した小学校は統合で消えた。僕が中学に入学した当時全校生徒数はほぼ1000人だったが、現在は統合しても300人くらいしかいない。単純に計算して半世紀で子どもの数が三分の一に減った。

そんな町で塾を営むのは奇跡に等しい。35年間頑張ってきた自分を褒めてあげたい(笑)。

ここだけの話だけれど、昨年度35年間で初めて決算が赤字になった。生徒数の減少もさることながら、光熱費等の高騰が大きな原因だ。

機械を自分で修理したり、自宅のリフォームや修復も自分でやってきたので、少ない収入ながらなんとか生活を維持してきた。おかげで借金やローンはないけれど、蓄えもいっさいない。35年間ずっと綱渡りの生活だった。サーカスで食っていけるんじゃないかと思うほど綱渡りが上手くなった気がする(笑)。

その綱渡りを可能にしてきたのが身体の丈夫さだった。丈夫な体に感謝しか無い。

今日高校の授業中に、「先生何歳なんですか?」と聞いてくるから、今度の誕生日が来て65歳だよと答えたら。うちのおじいちゃんと同じなんですか!50歳くらいにしか見えない!と驚いてくれた。テストの時は平常点をあげたいと思う(笑)。


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アラハバキ神の考察(再掲載)

【アラハバキ神に対する一考察】

岩手六芒星を提唱して以来、友人知人の皆様からアラハバキ神についての質問が多くあります。今日は僕なりの考察を。アラハバキは日本の中央政権が、八幡神を勧請する以前の土着信仰の磐座やある種の聖域の尊称であると思います。

人間の脳細胞は、その領域のわずか3パーセントも使われていないと言われますが、僕はこれは人間の退化現象なのではないかと考えています。つまりは使わなくなって退化した能力が堆積しているのが今の人間であると。動物たちと会話する能力だとか、森の木々と語り合う能力のような、縄文時代以前の人間が持ち合わせた能力を文明の進化と共に、喪失してきたのが現在の人間の姿であると思っています。それを多方面からみれば進化と言うわけですが。

東北各地に伝承されているアラハバキ神のほとんどが、山の山頂などに鎮座するある種の巨石です。それもピラミッド型の美しい山の頂にアラハバキ神の磐座が祀られていることが多いようです。縄文時代中期までは、東北は北上高地や奥羽山脈を除いてほとんどが海面でした。奥羽山脈は火山性の大地ですから、古代の人々が定住したのは必然的に蛇紋岩等の安定大地である、北上高地ということになります。

海に出て漁をする際に、ピラミッド型の山は目印になります。ところで「アラハバキ」をアイヌ語に照らし合わせてみると、arpa-pake という言葉と遭遇します。これは、行く(発つ・出発する)・首領(頭)、などの意味になるらしですが、海の漁に出る古代人にとって、出発する山の目印は、帰って来る時の目印という事になります。そういった山の巨石に、海洋の安全を期して何らかの信仰を託したことは、想像に難くないですね。

これから先は全くの僕の独断と偏見ですが、古代の巫女的な存在は、岩と会話が出来たのではないかと思います。会話というと語弊がありますが、岩を利用して大地の鼓動を体感出来たのではないかと。地震や噴火などの天変地異を岩を通じて予知していたのではないかと僕は勝手に思っています。

つまりアラハバキのような信仰の対象になった巨石は、置き石ではなく、地中深くまで堆積している岩だったのではないかと思います。衣川の三峰神社も舞川のうどが森もそして舞草神社がある観音山も、綺麗なピラミッド型の山です。そして古代から信仰されてきた巨石が鎮座しています。間違いなくアラハバキ神としての信仰対象の巨石だったと思います。

僕はこれらの巨石を前にするたびに、古代の巫女が舞っている姿を想像してしまいます。想像と言うより幻視に近い感じでしょうか。アラハバキの巨石が発している電磁波などを計測できれば、きっと何か面白い数値が出てくるような気がします。

白波漂う浅瀬の海洋にぽっかりとそびえ立つ観音山や月山そして欄梅山を想像すると、なんかわくわくしますね。


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2025年5月20日 (火)

塾始まって以来二度目の失態

仕事を休むほどではないが先週の週末から体調が悪い。体調が悪い時は嫌な夢を見る。

何処へ行くのか、知らない山道を登っている自分がいて、杖代わりに枝を拾うのだけれど、その枝がすぐ折れてしまって苛立っている。そんな夢を見た。

夢とは関係ないけれど、今年の僕は昨年よりは金運がいいはずだった。正月にひいたおみくじは、二つの神社とも商売で金運ありだった。

しかしである。4月になっても5月になってもさっぱりである。今日はあろうことは教室に着いたら電話が止められていた。先週あてにしていた4万ほどの月謝の入金がぽしゃり、手持ちのお金がなかった故の電話停止だった。

塾を始めて2度目の失態である。やりきれない感じだ。

講師で行っている高校の授業は時給50円アップしたのだけれど、まさかそれがおみくじで言うところの金運アップじゃないよな。

次は電気を止められないように集金でもして来ようっと。


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2025年5月19日 (月)

レコードの匂い

その人の好きな匂いとか嫌いな匂いというのはある。

僕の大学時代の友人が、コンビニですれ違った女性の香水の匂いを嗅いだ時に、無性に結婚したくなったと言ったのを覚えているが、女性の匂いには男性の煩悩を刺激する何かがあるようだ。

僕はレコードの匂いがなんとも言えず好きだ。レコードケースから取り出してターンテーブルに乗せる瞬間のあの無機質の匂いがたまらない。

これから始まる曲のドラマをいやが上にも盛り上げてくれる匂いだ。

僕にはダメな匂いもある。香りの良い洗濯洗剤の匂いだ。アレルギー体質の僕にはある意味恐怖の匂いでもある。

鼻水と咳が止まらなくなる。あの匂いを作りだした企業を恨みたくなる。テレビでは爽やかな匂いなんて宣伝しているが、あんな匂いを満員電車の中で経験したらアウトだ。

春は花粉症で大変だし、夏は制汗剤の匂いで大変だ。ふ〜


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体調管理は難しい

雨の日の後の猛烈な熱い中、やめればいいものを草刈りをしたものだか、持病の喘息が出てダウンしていました。

本日はなんとか薬のおかげで落ち着きました。仕事が出来そうです。

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それにしても雨と高温で草は猛烈な伸びを見せています。

もう草刈りは勘弁して欲しい・・・


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2025年5月17日 (土)

あらかじめわかっていることなら人生は面白くない。

人生には思いもよらない出来事が生じる。災害もそう。病気もそう。突然のルストラなどもそう。

生きていくということは、そういった不本意なことと付き合って行くことでもある。他の誰でもなく、なぜ自分なのだと運命を呪う人もいるだろうが、一見悲運に見える出来事に大切なワードが隠されていたりする。

そもそも人間にとって一番つらいことは愛する人との別れだ。しかし全ての人は必ず人生を終える。60も半ばになって僕は死を許容出来るようになった。

生きてきた人たちはそれぞれのタイミングでさよならをするということが、実感できるようになった。

100歳まで生きることと50歳で人生を終えることに、良いとか悪いとかの価値観は当てはまらない。それぞれのタイミングがあるだけだ。

自分がどう生きればいいのか。他人の価値観で生きる人もいれば、利己的な生き方をする人もいる。それはその人のいわば魂の癖みたいなもの。その結果自分の人生がどのような轍を作り、どのような波紋を形作ったかは、それぞれが学ぶことであって、それが人生の学びになる。

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自分の将来に何が待っているのか、さっぱりわからない。でも間違いなく、自分に見合った最終章が用意されているのだろうと思う。

受け止める覚悟だけはしておこうと思う。


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2025年5月16日 (金)

若者たちの結婚観

結婚適齢期を迎える若者たちの三分の一は結婚をしない。そして結婚したカップルの三分の一が離婚をする。結婚というイベントが希薄化している日本社会は大切な何かを喪失してきてしまった。

高校生や大学生と話をすると、女子はめちゃくちゃ結婚願望があるのに、男子学生はさっぱりだ。結婚が面倒くさいと言う。

そう言えば、成人式でのアンケートなのだそうだが、20歳まで女性と付き合ったことがない成人男性が8割りなのだという。

付き合いがないということは・・・、そういうことなんだろうけれど、正直驚きだ。

学校帰りに手を繋いで帰る高校生のカップルが目につくので、それなりに青春を楽しんでいるんだろうなと思っていたら、ごく一部の現象であって、若者たちの恋愛は困難を極めているようだ。

結婚願望が希薄な男子が多いということは、将来に於ける少子化の問題は、ますます深刻さを増すわけで、由々しき問題だ。

先日中学生が、誰々が付き合っているとかいないとかで盛りあがっていたものだから、「付き合うってどういうこと?」と思わず聞いてみた。

うん~メールをやりとりしたり、ラインで連絡をとりあうことかな。

メールのやり取りが付き合うことでは、人間関係の構築はやはり難しい。

現代の若者は、生の感情に向き合うことが苦手だと言われている。一見悟ったような言動を見せるのだが、単なる臆病さの裏返しなのではと言う指摘もある。

バーチャルな世界でしか、自分の感情を発露出来ない若者が増えているとしたら、確かに恋愛は難しいだろうなと思う。

結婚をしたくても相手がいない。お金もない。子育てが出来るような家もない。ないないづくしの状況下でどうやって結婚すればいい。そんな声が聞こえてくる。

給料が低くて物価が高い。税金も容赦なくやって来る。自分の生活どころか親が病気になれば時間もお金も吸い取られて行く。

これに解決策を提示出来る政治家もいない。そうならないように一生懸命勉強していい大学に入りなさいという輩もいるが、そう言った言葉が虚ろに響くことがあっても、若者たちの背中を押す力にならないのが、今の日本の経済状況だ。


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望月諒子という天才作家

またまた同世代の作家さんだけれど、塾をやりながら作品を書いていた方でなんというのか、彼女の作品を読むと、僕のようなぐだぐだのブログを書いている人間からすると、こんな文章を書かれたら参りましたって感じですね。

特に『腐葉土』の中で、関東大震災と東京空襲の場面の描写は圧巻。さまざまな作家が戦争の惨状を書いてきたけれど、望月諒子の描写は、鋭利な刃物で生身の人間をえぐるようなドス黒さの中に、震えるような怒りと悲しみが塗り込められていて、本を閉じたくなるのだけれど、無理やり読まされるようなそんな感覚でしたね。

それとこれは文章とは関係ないのだけれど、文庫本に載せている彼女の顔が凄い。大抵の作家さんは作家さんぽい写真をアップしているけれど、彼女望月諒子の顔は、フルマラソンを走り終えてた後に酔っぱらいに絡まれて、ふざけんなよと凄んでいるような表情。いいね。

もう一つ『神の手』という作品があるのだけれど、小説を出版する編集者たちの裏事情が暴露されていて面白い。この本をよんで僕が思ったのは、小説を持ち込むのと、音楽事務所に自作のデモテープを持ち込むのは似ているなってことだね。

売れるかどうかより、時代に取り込まれるかどうかなんだろうな。

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2025年5月15日 (木)

九十九折り

今日のタイトルは読みづらいかもしれないですね。つづらおりと読みます。葛折りとも書きますね。

箱根鉄道のスイッチバックのような山の道を表現する言葉です。歌の歌詞や小説の中で結構用いられる言葉ですね。つづら折りなす人生の〜♫てな感じで。

山を直線距離で登って行けば、物理的な距離は短いですが、体力は持ちません。斜めに登って行けば疲労感は軽減されます。人生もそうだよねってことでしょうね。

つづら折り 浄蓮の滝 ♫

舞い上がり 揺れ落ちる

〜〜〜

あなたと超えたい 天城超え ♪

石川さゆりさんの天城超えの歌詞にも九十九折のフレーズが出てきます。女性の情念を見事に歌いあげていますね。

つづら折りなす道は、いつの時代も出逢いと別れの象徴なんでしょうか。そう言えば、僕もつづら折りなす道を何度も歩いてきたような気がしますね。

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2025年5月14日 (水)

要するに頭がいい人には敵わないって言うけどね

何処の学校を出たとか関係なく、頭がいい人はいる。僕の周りにもいる。国や県に提出する書類をあっという間に作成しちゃうおじさんや、高齢なのにパソコンをブラインドタッチで打ち込むお爺さんなど。

中卒だけれど、生涯において2度もおうちを新築した先輩や、夫婦ともども高卒だけれど、子どもたち全員を現役で国立大学に入れた後輩など。

要するに本当に頭がいい人には学校なんて関係ないようだ。頭に自信がない人こそ、いい高校いい大学に入った方がいいのかななんて思っちゃうね。

頭の悪い僕が言うのもなんだけれど、頭がいいひとって10分も話をするとわかるよね。話が理路整然としていてちゃんと言いたいことが伝わってくる。きっと文章を書かせても、相手に伝わる文章を書くんだろうね。

高校や塾で作文や論文の指導をするのだけれど、起承転結や比喩法のテクニックをいくらレクチャーしても、書けない子は書けない。それよりどうしたら自分のいいたいことがちゃんと相手に伝わるかの会話練習、つまりは話し方の実践をさせた方が文章が上手くなるような気がするね。

あーでもないこーでもないと、テクニックで逃げきれる世界じゃないね、作文や面接は。だって頭の良さってすぐわかっちゃうからね。

因数分解の応用が解けるとか、江戸時代の将軍名を全部言えるというのは頭が良いと言うより、訓練で培った知識教養だよね。

本当に頭の良い人は、大袈裟さかもしれないけれど、魂が成熟している人かもしれない。故に本当に頭の良い人には敵わない。


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2025年5月13日 (火)

無差別殺傷事件の背景にあるもの

自分はもう生きる価値がないから、誰かを殺して死刑にでもなってやる。彼らの抱える闇は深い。

勉強に対する挫折。歪んだ家庭愛の錯綜。精神の崩壊はいともたやすく生じてしまう。

人は甘やかされても自我が育たない。厳し過ぎれば自信を喪失させ、目標を見失う。

基本的に子どもは親を見て育つ。幼児期の親の存在は絶対だ。その絶対的存在としての自覚がないまま親が子育てをしてしまうと、子どもの様々な行動規範がずれて行く。

子育ての基本は愛情だ。心理学も学校での幼児教育の知識などほとんど関係ない。愛情は相互の感謝から生まれる。

生まれてきてくれてありがとう。育ててもらってありがとう。その簡単な気持ちのやり取りが、人間の感情的抗体を構築して行くのだと思っている。

無差別殺人のような短絡的な行動がなぜ起こるのか。愛情の欠乏であり、幸福感の欠乏だろうと思う。

孤独感が堆積する前に、将来に絶望する前に、自分が生きてきた道のりを見つめ直してみて、自分に頂いた愛を思い出して欲しい。

自分の不幸を家庭環境や社会のせいにすることは簡単だけれど、その感情からは新たな一歩は生まれない。


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2025年5月12日 (月)

先生と呼ばれる職種

先生と言っても職種はさまざま。弁護士さん、お医者さん、学校の先生、塾の先生、政治家さんなどなど。

広辞苑を引用すると、先生は、先に生まれた人、学徳の優れた人、支持する人などと書いてある。

先生と呼ばれる職種で一番大変なのは塾の先生かな。きついし儲からないし、安定感がない。自虐的な書き方をしてしまったけれど、現実だよね。

だったらやめればということになるわけだけれど、パチンコや競馬をやめられない人と同じで、この仕事中毒性があるのよね。

やっぱりね志望校に合格した教え子の嬉しい顔を見ると、しょうもなくまた続けちゃうのよね。そうやって僕なんか40年以上過ぎちゃったからね。やっぱり中毒だよね。

僕の住んでいるところは、稲作が中心のいわゆる限界集落。高齢者率が50%を超えている里山集落。

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自宅周辺はこんな感じ。近くのコンビニまで6キロ。みんな農業を兼業でやっている。同じ兼業でも塾を兼業でやっている僕はまれびと。

僕が塾をやっていることを周りが知ったのは、僕が岩手六芒星で新聞に紹介されるようになってからだから、ここ8年くらい。

だから平日の地区の夜の会議など出れなかったので、なんで出席しないだとしょっちゅう年配者から怒られた。最近は、僕が役職をしている農業関係の会議は日曜にやってもらっている。ようやくである。

僕の職業を周りの爺様たちが知ってくれただけでも、岩手六芒星には感謝だね。


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2025年5月11日 (日)

学校教育の最終目標は

日本の教育は機能しているのか。どうだろうか。基本的にはほとんどの人が字を読むことができて、普通に意思疎通が出来るという点に於いては機能してきたのだろうと思う。

ただ満足しているのかという点に於いてはクエスチョンマークかもね。

学校教育の最終目標は、生徒それぞれが社会に適合して生活して行くことが出来るということに主眼が置かれているんだろうけれど、幸福度の達成ということでは今の日本の教育は疾走感があるね。

将来を見据えてはいない。受験に偏ったジャッジメントで能力を判断されることで、若者たちは自分の能力に見切りをつけてしまう。

低いレベルの学校に入った人はそれなりに、と言う感覚が間違いなく定着している。そして格差社会が蔓延ってしまった。

出来ない生徒をなんとかしようと言う指導者もいる。しかしほとんどの教育者は「しょうがない」と思っている。理由は単純だ。人間には能力差があると思っているからだ。

努力や鍛錬で変わるってことはわかっていても、その努力や鍛錬をする家庭環境の基盤がないと人は変わらない。そういうことを経験で知っているから「しょうがない」と思ってしまうのだ。

若い先生はそういった諦観の経験値がない。故に問題を抱える生徒や児童をなんとかしようとする。でもその根底にあるものに壁を感じると、理性がリセットされ、底辺の子どもを支援するスタンスがアベレージ化する。

親御さんにしてもそうだ。上の子はほっといても出来たので下の子も大丈夫だと思っていたら、厳しい状況にというのはよく耳にする。

勉強することと仕事は違うという方がいる。確かに体力や手先の器用さが全てという仕事はある。

学校教育の目標からすれば、そういった導きも大切だ。

しかし適材適所の落ち着き場所はやっぱり自分の努力と感性でチョイスするものだろうと思う。それぞれの哲学はやっぱ必要かな。


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2025年5月10日 (土)

自称プレアデス星人の妄想話パート2


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前回の妄想話の続きです。宇宙人とか地底人なんて妄想には全く興味がないと言う方はスルーして下さい。

縄文時代から信仰されてきた岩には、大きな割れ目があるものが多く、近代に入って安産の祈願岩として胎内潜り岩などと呼ばれていますが、ズバリこの岩を信仰の対象とした理由は、地底世界との関連からでしょうね。

縄文時代からこういった岩はアラハバキ神として信仰されてきたわけですが、このような磐座を線で結んで出来た岩手六芒星の型は発見した自分が言うのもなんですが、やっぱり偶然ではないと思います。昨日のブログでもか書きましたが、地底人のシンボルマークは六芒星ですからね。

地底世界に高度文明を作った地球人たちは、地表の入り口を利用して出入りをしていたわけですが、意図せぬ時に人間に姿を見られたこともあったでしょうね。

南極やチベットなどに入口があると言われているようですが、日本に於いては間違いなく北上高地でしょうね。北上高地のど真ん中にある遠野にはカッパや山姥をはじめ不思議な生命体との遭遇が語り継がれてきましたが、爬虫類型地球人との遭遇がもたらした逸話が、語り継がれてきたのかもしれません。

写真の磐座は一関を見下ろす束稲山に鎮座する岩です。束稲山は北上高地に含まれます。この岩も不思議な岩ですが、この岩をさらに登ると、かつてあった岩の入り口を塞いだような不思議な一枚岩に遭遇します。もちろんびくともしません。

なぜ古代人は割れ目のある岩に魅せられてきたのか。僕の妄想ロマンは止まりません。

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2025年5月 9日 (金)

自称プレアデス星人の妄想話

僕は塾教師です。今度の誕生日がきて65歳になります。兄弟はいません。38年間連れ添ってくれた妻がいて、30代の息子が二人います。

父は35年前に亡くなりました。母は認知症を患い現在老人ホームに入居しています。

孫ですか?息子たちはどちらも独身ですので孫はいません。

興味あることは、地球に住む人間の歴史が、ふざけたくらい出鱈目に伝えられていることが、今後どうなって行くかと言うことに興味深々です。

自称良識ある学者の皆さんは、現代文明のトリックに見事に洗脳されてきました。人間は猿から進化したって信じていますからね。上野動物園の猿が20万年後にスマホでブログなんか書いてはいないでしょう。猿は猿です。やっぱり。

現在の文明が地球史上一番進化した文明というのもありえない。わずか2000年ちょっとで石器文明から現在のテクノロジーに至った地球文明が、それ以前の数十万年間も旧石器時代を生きていたとは到底考えられない。

何度もテクノロジーの文明は滅んできました。残念ながら。

それと今回の文明で宗教を創造してきたのは、自称神様を名乗る地球外生命体だと思います。本当の神ならば宗教戦争は起こりません。考えてみれば当然のことです。

自称プレアデス星人の僕が言うのも変ですが、宇宙人にあったとか円盤に乗ったって言う方が言う宇宙人というのは、実は地球の内部に高度文明を築いている本来の地球人です。爬虫類型宇宙人なんて呼ばれていますが、彼らこそ本物の地球人です。

じゃ僕ら人間は誰かって?

いい質問ですね。現代人の祖先クロマニヨン人は地球外生命体による遺伝子操作で誕生しました。本物の宇宙人がやってきたあたりに当時進化を遂げていた地球人は、宇宙人と共存できなくて地下に逃げ込んだわけです。

ちなみに自称プレアデス星人の僕は、岩手六芒星などと言う発見で、新聞・週刊誌・テレビ等で地味に取り上げていただきましたが、不思議だと思いませんか。

田舎町の地味な目立たない塾教師のホラ話のような説明に、メディアが動くわけがないじゃないですか。そうなんです。本物の地球人が絡んでいるんですよ。実を言うと。

かつてこのブログで書きましたよね。教え子の高校生に、実は見える生徒がいて、僕が授業中に宇宙人の話や文明の輪廻転生の話を始めると、教壇に立っている僕の横に小さな宇宙人が現れるって。

僕は見えないですよ!でもね今回の岩手六芒星は彼の導きのような気がしているんですよ。

ここだけの話ですが(笑)、地底に住むエプテリアン型地球人の紋章は六芒星なんですよ。

どうでしたか。たまにはこんな妄想話も面白いでしょ。それでは。


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理論のすり替え


どうも世の中のいじめの定義がおかしい。定義がおかしいから、いじめられる側にも責任があるなんて言う無茶苦茶な理論が噴出したり、いじめを隠ぺいしようとする先生がいたりするわけで、マスコミ的な扇動にあたふたしている現状が蔓延している。

この社会が資本主義という理念で、競争社会を継続して行くかぎり、敗者と勝者は生まれ続けるわけだから、その精神安定剤的負の衝動として、いじめを実行する人間は後を絶たない。あえて資本主義という言葉を使ったが、どんなイデオロギーに於いても負の衝動は消滅はしない。

いじめは暴力であって、それ以外の何ものでもない。暴力なのだから犯罪だという認識を世の中はしっかり持つべきなのだ。

こどもの自殺が起きるたびに、いじめの問題がクローズアップされる。なぜいじめを止められなかったのか、なぜこどものSOSをキャッチできなかったのかと。

世の中の論理は様々なすり替えによって、悪者を作り出す。まずは学校教育に対してだ。いじめがあってもいじめを隠ぺいする教師が多いのは、教師自身の学級運営の能力を問われれるからだという論理。次にいじめる人間の家庭環境の問題という論理。

劣悪な家庭環境で育ってしまった子どもは、他人をいじめることで、自分の存在価値を保とうとする。さもなければいじめの対象になりうる状況が生まれる。このことは教師の対応力と言うよりも、社会全体が抱える闇であって、周りの気づきの問題である。

いつも組織や集団や社会に対する責任問題としての追及がなされるが、個にたいする言及が、曖昧、尚且つ不自然だ。他人に精神的暴力を行使している人間は、間違いなく確信犯だ。その人間の責任を黙認する習慣が、今のいじめ社会を助長してしっまた。僕はそうのように考えている。

学校でも会社でもそうだけれど、良識ある意見は黙殺され、声が大きく押しが強い人間の意見がゴリ押しされる。

「はっきりものを言いなさい!」この言葉ほど嫌いな言葉はない。この言葉を他人に発する人間は、きっと人に対する想像力が欠如しているのだろうと思う。そしてこういった言葉を間違いなく暴力だとは思っていない。

そうりゃ誰だって、自分の思っていることを口にしたい。しかしそれが出来ない心情があるのだ。寄り添う優しさが欲しい。


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2025年5月 8日 (木)

今日の格言

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自分の能力に見合った夢を求めてはならない。夢に見合った能力を求めるべきである。

BYプレアデス星人


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今日は祖父の命日

他の家族の命日は忘れることが多いのだけれど、祖父の命日だけは忘れることなく、毎年仏壇に手を合わせている。きっと一番可愛がられたからかもしれない。

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祖父は桶職人だった。祖父が死んで45年になるが、納屋をリフォームする時に祖父が作った最後の桶が出てきた。

祖父は器用な人で、竹と木材があればなんでも自分で作った。兄弟がいない僕は、幼児期いつも祖父のそばで、まるで魔法のごとく作られて行く作品を眺めていた。

でもね20歳の時に祖父が亡くなったのだけれど、ショックだったね。当時の僕は死というものを客観的に見ることも出来なかったし、無神論者で輪廻も信じていなかったので、猛烈な虚無感に襲われた。

自分の愛する家族が突然いなくなってしまう現実になにもなすすべがなかった。感情が自暴自棄になったと言えばいいだろうか、そんな状態だった。

学校という機関は、人間の死後について何も教えてくれないし、死に対してどのようなスタンスを取ったらいいかなんてことは、一切レクチャーしてくれない。

文学書や哲学書も作者の彩りがそれぞれで、基盤をなす死生観は語られない。かと言って宗教は胡散くさい。死に関しては、自分で咀嚼するしかない。どうもそれが現実のようだ。


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2025年5月 7日 (水)

ひとりっ子の処世術

ゴールデンウイークの子どもの日も過ぎ、またいつもの日常がはじまった。先日自宅から宮城の六日町まで買い物に行ったのだけれど、30分の道のりで、鯉のぼりを立ててた家はわずか3件。少子化の嵐を感じぜにはいられなかった。

昔は子沢山が多かったが、還暦を過ぎた僕らの世代で、一人っ子というのは珍しい。何を隠そう僕は一人っ子の長男だ。

小学校の時は学年で僕一人。中学の時は280人の同級生が居たが、一人っ子は10人もいなかったと記憶している。本当に珍しい存在だった。

一人っ子なので兄弟喧嘩の経験などもちろんないし、兄弟で何かを比較されるということもななかった。

小さい頃から一人遊びに慣れ親しんだものだから、孤独癖があり(笑い)、自己中心的でかなり身勝手なところがある。おやつを出されても取り合うということがないので、のんびりしてマイペース。一人っ子である僕から言わせてもらえば、一人っ子はかなりの奇人である。

そして最近その奇人が増えている。自分が一人っ子なものだから、一人っ子の醸し出す雰囲気や行動心理は、重々承知している。一国一城の殿様でありお姫様である一人っ子は、独裁者であり、そうじゃなければ風見鶏だ。

頼る姉妹や兄弟がいないものだから、権力者の傘下に入りたがる。しかしそこは一国一城の主、拒絶されれば、家族の溺愛と我儘で培った反撃力で撃退する。言ってみればやっかいな存在だ(爆笑)。

やっかいな存在だけれども、長所も少しある。大人の中で一人成長するものだから、年長者に対する洞察力にたけている。そういう意味では、学校の先輩や会社の上司にかわいがられる傾向がある。

何度も言うように殿様でありお姫様なわけで、それなりの気品は備えている。一人っ子は能力以上に評価されることが多いのだが、それが勘違いだと分かった時のダメージも大きい。

いい意味でも悪い意味でも親の期待をすべて背負って生きる存在なので、2番目や3番目のような自由な羽ばたき感がない。従って結婚や就職のような一大イベントの決断が、どうも苦手で優柔不断なところがある。

60年以上一人子をやってきた僕に言わせれれば、一人っ子は孤独癖があるので、早く結婚をして、子どもを早く作ったほうがいい。

あまり一人っ子にこだわることもないのでしょうが、今日はちょっと僕の思う一人っ子の世界観について書いてみました。あしからず。


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どうしてここに神社があるのだろう

僕が神社に興味を持ち始めた昔、どうして神社がここに建立されたのだろうというごく自然な疑問が湧いてきた。

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岩を御神体とした神社に出会うようになって、どうしてこの岩が御神体で、向こうの山にある似たような岩は違うんだろうと言う疑問がまたまた湧いてきた。

神社という概念が陸奥の地で芽生えたのは、蝦夷を征服しようとした奈良時代後半以降の朝廷の意図だった。神社を本格的に勧請されたのが坂上田村麻呂の時だった。

そう神社の位置が僕の人生の中でずっと気になっていたことは間違いない。

後三年の役後、安倍氏との死闘に危機感を覚えた源義家が当地に勧請してきたのが源氏の武士が信仰していた八幡神社。

この八幡神社の場所の選定も謎。まさか北斗七星の形に配置していたなんて、お釈迦様でも知らなかったんじゃないかな。

神社の場所に猛烈な興味を持った結果が、岩手六芒星の発見に至ったわけだけれど、実は僕以前に源義家はこの六芒星に気づいていて、六芒星の周りに等間隔に八幡神社を建立していたんだね。

YouTubeやSNSで岩手六芒星を検索すると、さまざまな方々が六芒星を語っていらっしゃる。嬉しいですね。

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2025年5月 6日 (火)

遠くで汽笛を聞きながら〜♫

住み慣れた町を去る時は、きっと色んなことがあるんだろうな。かつての僕もそうだったように。

ポジティブに前向きに引越しをするのならそれはそれでおめでとうだけれど、仕事上の失敗とか別れとかあるからね。

遠くで汽笛を聞きながら〜♫何もいいことがなかったこの町で〜♪ギター片手に絶叫していた遠い昔がよみがえってくるね。どん詰まりの日々。

でもね若い頃にどん詰まりの日々を経験すると、抗体が出来て少々のことでは倒れませんもんね。

七転び八起きどころか、39転び40起きのような人生だったからね。

4連休の日々も終わり明日から仕事。怪我の功名で日帰り温泉に家族で行くことが出来たので良しとしよう。

もうこの生まれた町を去ることは死ぬまでないと思うけれど、仕事をリタイアする前に、やってみたいことはあるね。

一関はいい町だよね。この町で生かされてきた。感謝だよね。

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昨日の庭先から見た夕焼け。田植え前の水を張った田んぼが、夕焼け空を反射して幻想的だったね。


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こんな国なんかなくなってしまえと言う声無き声が増えれば、冗談抜きでこの国はやばいかもしれない

岩手県の平均年収は380万円ほどと言うけれど、公立学校の先生や公務員の給料所得を入れないと平均240万円ほどだそうだ。

この給料から所得税・健康保健税・固定資産税・自動車税・消費税等の税金を差し引くと240万円の人の実質収入は100万円ちょっと。暮らしていけない。

故に様々な支払いが滞納となり、お金の切れ目が縁の切れ目ということで離婚が増え、家族離散が増え、貧困家庭が増加している。

働いても働いても貯蓄は出来ず、老後の国民年金だけでは生活がままならず、高齢者の生活保護受給者が増えていく。

ちなみに岩手県の高齢者人口は全体の45パーセント。僕ももうすぐこの45パーセントのカテゴリーに突入するが明るい老後は期待できそうもない。

この状況で暴動が起きない日本は奇跡の国だ。しかし生活不安は日本滅亡を期待でもしているかのごとく、ウエーブ上では、何月何日日本が滅亡なんて話題が闊歩している。そして新興宗教は手を変え品を変え、SNSを駆使して信者の獲得に躍起になっている。

経済格差は学歴格差を生み出し、学歴格差は給料格差を生じさせ、負のスパイラルは止まらない。

こんな国なんて無くなってしまえという声無き声が増えれば、冗談じゃなく本当に日本は危ないかもしれない。


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2025年5月 5日 (月)

やっちまった

ゴールデンウイークに草刈りを始めた瞬間に腰をやってしまった。僕の腰は冬眠からまだ覚めてはいなかったようだ。

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と言うことで、息子に海が見える温泉に連れて行ってもらいました。塩湯は身体に効いたようで、だいぶ痛みがひきました。やっぱり温泉は最高です。

どうでもいいことですが、本日5月5日は結婚記念日ということで、結婚39年目に突入しました。

あっと言う間でしたね。40年近く一緒にいると、いっさいのごまかしは出来ません。もはや運命共同体ですね。

お互いの選択のチョイスが、二人の行く末を決めますからね。

ここまで来ればしょうがないですね(笑)。あとはどさくさ紛れにラストまで頑張って行くしかないですね。夫婦なんてそんなもんですよね。


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2025年5月 4日 (日)

人生が二度あれば

井上陽水が1972にリリースした曲。『人生が二度とあれば』。

父は今年二月で六十五

顔のシワは増えてゆくばかり

仕事に追われ

この頃やっとゆとりができた

父の湯呑み茶碗は欠けている

それにお茶を入れて飲んでいる

湯呑みに写る

自分の顔をじっと見ている

人生が二度とあれば この人生が

二度あれば ♫

実は今度の2月で僕は65歳になる。顔のシワはそれほどではないが、髪はだいぶなくなってきた。

僕のお気に入りの珈琲カップはやはりちょっと欠けている。残念ながら仕事にゆとりが出来るどころかますます忙しくなってきた。

この『人生が二度あれば』を僕は中学3年生の修学旅行のバスの中のカラオケで歌った。当時病魔に苦しめられていた40歳の父が、なんとか65歳ぐらまで生きて欲しいと言う僕の願いだった。

残念ながら父は55歳で他界したけれども、その代わり僕がなんとか65歳を迎えられそうだ。

もし人生が二度あれば、学生時代音楽や文学に耽溺しないで、真面目に勉強したいね。老後を心配しないように(笑)。


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2025年5月 3日 (土)

思いでのままでいいってこともあるよね

僕のSNSに、かつてのアイドルの方達が還暦を過ぎて友達申請をしてきたりすることがある。

今でもファンクラブがあって、おじさまたちを相手にライブやトークショウをやっているようで、頑張っているようだ。

還暦を過ぎても若い頃と変わらない声量で歌い上げているアーチストがいるけれど、中にはおいおいと言う方もいる。昔のネームバリューで集客を狙ってのことだろうけれど、残念と言う気持ちと言うか痛々し感じがしてくる。

先日も16年ぶりのライブをやったかつての歌姫がいたようだが、YouTubeでチラッと見て驚いてしまい、見なかったことにした。あの頃の残像のままでいいのではないのかなぁと思ってしまう。

一線を退いたかつてのスターたち。その後歩んできた行き方というものは立ち姿に表れるものだ。歌となると全てが曝け出されてしまう。言ってみればとても残酷なものだ。

僕も昨年の地元の秋祭りに駆り出されてライブをやったけれど、60を過ぎた爺いが受けるのは上手だからじゃない。この年でよくギターを抱えて歌えるよなという驚きからだ。

地元のテレビやラジオに出演させてもらったのは遠い昔のこと。今じゃギターを握る握力さえ微妙になってきた。

思い出のままにそっとしておいた方がいいってことは、多々あるよね。

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2025年5月 2日 (金)

他人と妥協したくなかったら自分で生きるための生活を構築しなければならない

自分の居場所を見つけるのは意外と大変。だから自分の居場所が家庭や職場だって人は幸いだね。

何処にいてもそこが自分の居場所じゃないと思う人がいるとしたら、それは悲しいことだよね。

生きることの違和感ってのかな。自分はなんでここにいるんだろうと思いつつ、妥協して生きることは辛いだろうね。

実は僕はそういうことが何度かあった。俺ここに居ていいのかなとか。なんで俺この人たちといるんだろうとか。自問自答しながら生きていた時があった。

だから塾を始めたんだと思うけど、他人からノルマを課せられることは本当に嫌だったね。生きている時間を、ほんのわずかなお金で買われて、拘束されるって僕には耐えられなかった。

きっとあのままサラリーマンをしていたら、僕は存在していなかったと思う。

そんな人間なので、不登校や会社に行けなくなってしまう人の気持ちはよくわかる。よくわかるけれど、そのままじゃダメだってこともわかるのよ。

他人と妥協したくなかったら自分で生きるための世界を構築しなければならない。21歳の頃までは、僕は生きる世界を音楽に求めた。毎日詩を書き、メロディをつけて歌っていた。

1983年ヤマハポップコンからあみの『待つわ』がリリースされあっと言う間にナンバーワンヒットとなった。僕が応募していたオーディションでもあった。

この歌が売れるのか・・・22歳。僕が音楽を諦めた瞬間だった。

その年、東京で僕は大手学習塾の講師になった。そしてそれ以来ずっと塾業界で生きてきた40年以上も。

自分が何処へ行けばいいのか正直なところわからない。でも今居る場所が少なくとも自分が納得した場所であることは間違いない。

人から命令されるのが嫌だったら、自分で全て責任を負う覚悟で、自分の道を歩むしかない。道がぬかるんでいても、道が寸断されても、自分で這いつくばって進んでいかなきゃならない。そんな40年だったかな。


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宮部みゆきという作家

同い年の作家は数多くいるが、兎にも角にも作品数の多さでは宮部みゆきがダントツだろうと思う。出版された作品名と出版社名の羅列だけでも原稿用紙10枚はいきそうだ。

パソコンのタイピングの速さと思考がリンクしているのだろうけれど、それにしてもものすごい量だ。

人情物の時代劇推理小説からハードボイル的小説まで、ありとあらゆるジャンルに浸透している彼女の作品は圧巻だ。

僕が初めて宮部みゆきの作品に触れたのは、1993年に山本周五郎賞を受賞した『火車』だった。正直彼女の作品は10作くらいしか読んでない。彼女の作品を語る資格などないわけだけれど、同い年のよしみと言うことでちょっと言わせてもらう。

宮部みゆきの作品の中では、2018年に出された『希望荘』が好きだ。人間が抱える孤独感やジェラシー、そしてそんな中でもなんとか未来に希望を持とうとする登場人物たちの足掻きは、現代社会に埋もれている感情を炙り出して来る。

殺人者の狂気ではなく、憐れみや悲しみが読む者にある種の動揺を与える。

人はいとも簡単に過ちを犯してしまう。その弱さに腹ただしさと、刹那を覚えるのだ。

そして不思議と生きることの安堵を感じる。故に宮部みゆきの小説には中毒症状を起こさせる媚薬が秘められているのかもしれない。


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2025年5月 1日 (木)

坂上田村麻呂が踏み込んだ世界

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征夷大将軍坂上田村麻呂が阿弖流為・母礼等との戦いで、何故に蝦夷が信仰してきた磐座や滝に願をかけ、そばに神社や毘沙門天の御堂を建立していったのか。

敵が信仰してきたものに勝利の祈願をすると言う行為が、実は僕にとってずっと謎だった。蝦夷の神々を封印するにしても、その手段が理解出来ないでいた。

坂上田村麻呂が勧請した神社を巡っているうちに、ふと心に湧いて来る想いがあった。

ひょっとすると征夷大将軍である坂上田村麻呂は、支配者や征服者としての立場を根底から捨てたのではないかと。

これ以上双方共に犠牲者を出したくないと言う想い。蝦夷が中央政権と共に繁栄して行く世界を神々に祈願したのではなかったのか。

それに蝦夷の神々が同意したからこそ、東北蝦夷が安倍氏の統治を経て奥州藤原氏への栄華と歴史が誘われたのではなかったのかと。そんなことを僕は考えていた。

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故に坂上田村麻呂が配した北斗七星や六芒星の結界は、蝦夷や中央の人間関係なく、この地に住む全ての人々を守ってきた守護神としての役割を果たしてきたのだと思う。


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五月晴れなのだけれど

今年も5月。歳を取ると本当に月日が過ぎるのは早い。超特急並みだ。

我が家の周辺は、朝から田んぼでトラクターがうねりをあげている。田植えの準備だ。

お米が急騰している。米農家は潤っているが、僕が思うになんか胡散臭い。

休耕政策がなくなり、作付け面積が増えたにもかかわらず、米不足。米が余ってしょうがなかった我が国の米が、何処へ行ったのだろう。不思議だ。

アメリカがカリフォルニア米を輸入したがっているようだが、アメリカの自作自演にハマってしまったのか。そうだとしたらそれにNo が言えない日本のトップに腹立たしさを覚えるね。

アメリカの米が日本に流れ込んできたら、今後日本の米農家は大変だ。

腹立たしいと言えば最近自分に腹立たしい。朝から夜遅くまで働くのは良いとして、こんなに働いているのに貯蓄は出来ないし、連休に美味しいものを食べに行く余裕もない。

電気代・電話代・灯油代・ガス代・ガソリン代そして固定資産税に保険税等でみんな持っていかれる。

この国の繁栄は未来に於いてあるのだろうか。今の政治状況では無理だね。


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