ありきたりの日常の中で
江戸時代のような士農工商の階級社会じゃないのだから、自分のやりたいことをやろうぜと言われても、実は多くのしがらみや制約に阻まれて一歩を踏み出せないのが現代社会だ。
家族や地域の中での役割と自分の生きるスタンスが、同調している人はいいとして、一見自由の身でありながら、多くの足枷に身体ががんじがらめになっている人たちは多い。
それでもやはり僕が思うに、自分がやりたいことをやらずして誰の人生だよって言いたい。
家族のため子どものために頑張ることが自分の幸せだと言う人がいる一方、それがストレスに感じる人もいる。
犠牲者意識と言っては語弊があるかもしれないが、自分が守るべきものに疲弊してしまっては人生は有意義とは言えないように思う。
ありふれた日常の中で、僕らは相互援助によって生かされている。物理的にもしくは経済的なゆとりがある人がそうじゃない人を助けるのが当たり前と言う風潮があるようだけれど、実際の世の中はそうじゃないようだ。
自分の生活が大変なのにボランティア活動に勤しむ人がいるし、自分の命を鑑みることなく、相手を助けようとする人がいる。
自分の行動を利益と言う天秤ばかりにかけることなく、純粋とも言える意志で完遂する人の姿は、邪心バリバリの僕から見たら感動そのものだ。
どっちにしろ、幸せに感じることは躊躇なくやった方がいい。誰かのためと言うより自分のために。歳を取ると分かることだが、人生は短い。あっと言うまだ。後悔しないためにも、やりたいことはやるべきだと思う。
そのことを最近切に思う。
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