僕の恩師村上徳一先生

僕は一関修紅高校という私立高校に、17年前国語の講師として呼ばれた。
その頃僕は菅江真澄の日記に興味を持ち始めていて、日記の中に登場する神社仏閣を調べ始めていた時期だった。その菅江真澄日記は村上徳一氏の口語訳によるものだった。
職員室に案内されてふと前を見ると年配の国語の先生がいらっしゃる。職員室の先生方の座席表を見て名前を確認すると村上徳一という名前。
え!
僕が村上徳一先生に、先生の著作を読まさせていただいておりますと話かけたところ、先生もびっくり!
それからである。村上先生のレクチャーを授業の空き時間に職員室で聞けるようになったのは。そればかりか先生が大切にしている資料本も何冊か頂いた。
古事記の話題から八幡神の歴史的変遷の話まで実に楽しく有意義な話題を提供させていただいた。
村上先生との出逢いがなければ、岩手六芒星の発見はなかった。
吾妻鏡に平泉の結界の話が出て来る。その結界が本物だとしたら、吾妻鏡に登場すると言うのはあまりにも平泉が丸裸過ぎる。フェイクじゃないかなと進言してくれたのも村上先生だった。
ひょっとしたら本物の結界があるのかもしれない。僕の何かがざわついた瞬間だった。
村上先生は3年前に他界されてしまった。もっといろんなお話を伺いたかったが残念でならない。
岩手六芒星の取材の話が朝日岩手テレビさんから来た時に、1回限りの放映だろうと高を括っていたら、なんと1ヶ月まるまるのシリーズものになってしまった。
きっと村上先生がご存命で、テレビで神社を解説する僕を観たら、いろんな意味でダメ出しをしてくれただろうなと思うこの頃。さらなる精進に励みたい。
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