なんかあの時からずっとバイト生活だった気がするのだけれど
今日は非常勤講師で行っている一関修紅高校の卒業式に参列してきた。
PTA会長の祝辞と前生徒会長の答辞で、完全に涙腺が崩壊してしまい。まいった。爺いになると涙脆くなって困ってしまう。
市内ほとんどの高校が卒業式。卒業式を迎えた生徒達は大震災の時は4歳か5歳の時。東日本大震災をしっかり記憶している最後の世代かも知れない。
そして大震災で苦しんだ大船渡が今度は火事で大変なことになっている。高校の同僚の先生の中には実家が大船渡という先生もいる。心配だろうと思う。
自分の高校の卒業式をふと思い出すのだけれど、不安だらけで感動して想いに耽るなんてことはなかった気がする。東京の私大に行くことは決まっていたわけだけれど、大学に対する期待よりも、4月からどうやって生活して行こうかという不安が心を占めていた。
家庭教師のバイトからキャバレーの呼び込みまで、多種多様のバイトをこなした4年間だった。社会勉強になったバイト生活だったと思う。
なんかあの時からずっとバイト生活のような人生だったような気がするのだけれど、気のせいだろうか(笑)。
新成人18歳の門出は実に初々しい。しかしその初々しさとは裏腹に、一気に社会の荒波に揉まれて行く人生はたやすくはない。
お金のこと。人間関係のストレス。若さゆえの奢りとそして絶望感。それらとの関わりを避けては通れないのが青春の苦悩でもありそして醍醐味でもある。
卒業式が終わり涙で目を真っ赤にした爺いの横を、教え子たちは晴れやかに通り過ぎて行った。幸多き人生であることを願わずにはいられない。
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