記憶が消去されないのも記憶障害
僕ら人間にとって、良い意味でも悪い意味でも制御できないのが忘却というワザ。辛いことや悲しいことは、時が経てばその体験を勝手に脚色して都合の良い人生訓や教訓に変えて、一種の虚構にすり替えてくれる。かと思えば、生々しい映像が時に激しい感情をも巻き込んで、記憶からいっさい去ることなく居座ることもある。
その選別をやっているのが、我々の脳であり、さらにその奥にある無意識の世界だ。近頃東大生などがテレビに出て、クイズ王なる戦いをやっているようだが、凄まじい記憶力だ。きっと羨ましいと思っている受験生も多いのではないだろうか。
偏差値が高いとか頭がいいとかの基準は、暗記力ということになるだろうか。僕は記憶が消去できない脳も、一種の記憶障害じゃないかという勝手な見識を持っている。一個体の人間をそれほどまでに不平等に神様は作ってはいないはずだ。
40年間塾業界に足をどっぷりと浸かってきた。その間12間年ほど高校の講師をダブルヘッターでやってきた僕だが、学年でトップクラスの生徒が、本当の意味で優れているのかというと、僕は批判を覚悟で述べさえてもらうが、NOだ。何かに特化している人間は、必ずと言っていいほど、どこかにその揺さぶりが現れる。
昭和を代表するとある歌い手は、歌の歌詞とメロディーは即座に覚えられても、買い物などのお金のやり取りはまったくできなかったという話を聞いたことがある。生徒の事例は控えさえて頂くが、抜群の暗記力を誇る生徒には、なにがしかのディフェクトが付随するケースが多い。
社会的適応能力をはかる目安を、IQや偏差値などの脳の活動にフォーカスしすぎるあまり、本来尊重しなければならない大切なものを現代人は忘却してしまっている気がしてならない。日本の教育が偏差値教育に傾き始めた頃から、日本のかつての基幹産業だった農業が衰退し、右肩あがりだったGNPが経済力の疲弊とともに疾走してきた。産業構造の立て直しが今必要だと、老婆心ながら思うこの頃である。
日本の学校教育は間違った方向に行っているのではなく、間違った価値観を若者たちに植え付けてしまった。学校の成績が良ければ大丈夫だという価値基準は、成績がかんばしくない子どもたちから夢や希望を喪失させてしまった。
そしてそのことがこの国の経済基盤を弱体化させた。
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