不思議な導き、それは小林正弘先生の著作から始まった
岩手六芒星の発見に至った経緯は、六芒星神社のほとんどが、坂上田村麻呂によって勧請されたものであり、蝦夷打倒の勝利祈願をした場所であったことが大きなきっかけでした。そしてその建立の場所には、縄文時代から信仰されてきたアラハバキ等の磐座が鎮座していることが、確信に至った大きな要因だったと思います。
もう一つ加えれば、時代を経て前九年の役の時に、田村麻呂の結界を察知したであろう源義家が、安倍氏討伐のために六芒星の周りに等間隔で八幡神社を建立したのではないかと言うのが六芒星の存在意義でした。そしてその僕の妄想が最終的にマスメディアを動かした大きな一投だったように思います。
そして結界や古代の磐座信仰の発想を僕に与えてくれたのが、40年来の友人である小林正弘先生の著作でした。
以下の文章は僕が小林先生から著作を頂いた時に、かつてその感動をブログに書いたものです。再掲載になりますが、是非一読願いたい。
奥州市水沢の学習塾・学び舎の小林正弘先生が『陸奥話記』の現代語訳を世に送り出した。本日北上市から一関の僕の塾に、製本された著書を小林先生自らが持参して来られた。恐縮至極である。
先生の著書を手にした僕は震えるような感動をお覚えた。出版の構想から10年もの歳月を経て、完成された陸奥話記の究極のガイドブック。120ページに及ぶ文面すべてに小林先生の研究者としての息遣いが聞こえてくる。
古代研究者である小林先生の緻密な調査と歴史感は、読むものを圧倒する。岩手に生まれ岩手に住むものにとって、東北の古代史は東北人であるということの原点を考えさせられる。前九年の役や後三年の役の国府軍との戦い、後の平泉焼失という源頼朝の暴挙に連なる歴史の流れは、大和民族から蝦夷(えみし)と虐げられたみちのくの民の屈辱の歴史であり、東北人の反骨精神の歴史でもある。
僕の血の中には、間違いなく東北の古代人の血が流れ込んでいる。陸奥話記を読んで感じる慙愧の念は、きっと古代人の物言わぬ魂の声なのかも知れない。
それにしても東北の古代史を学ぶものにとって、小林先生の著作には、多くのインスピレーションと、古代史研究者が歩んできた学術のほとばしりを感じずにはいられないだろうと思う。小林先生は著書のまえがきに、こう記している。
何もないどころか、岩手には豊かな自然と誇るべき歴史があるのだ。石川啄木や宮沢賢治といった文学者だけでなく、多くの宰相を輩出してきたのも偶然ではない。遥か遠い昔から連綿として続くこの岩手の風土がすべてを生み出してきたのだ。
敗れはしたが、かつてこの地に中央からの力と対等に渡り合った人々がいた。岩手の若い世代には、その歴史をあらためて認識し、誇りに思って欲しいと願う。
小林先生のメッセージを僕はそのまま故郷の若者たちに送りたい。
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学び舎です。
いやあ、恐縮です。なんだか、こんなふうに持ち上げられると冷や汗が出てきそうです。
『陸奥話記』の現代語訳をやっていたころは、毎日そればかり考えていたのですが、最近は近現代史の学び直しと朝鮮半島の歴史にどっぷりとハマってしまい、前九年合戦のころのことは改めて読み返さないと分からなくなってしまいました。
昔から熱しやすく飽きやすいので、すぐ他のことに目移りしてしまうのは、なかなか治りません。
まだ寒いですが、体調に気をつけてお過ごしください。
(かねごん)
蝦夷の世界観が小林先生の陸奥話記から伝授されなかったなら、僕の老後はつまらないものになっていました。
感謝しかありません。
投稿: 学び舎主人 | 2025年3月19日 (水) 13時09分