僕の死生観と人生観
40代50代の頃はあまり考えることはなかったけれど、60代も半ばになって考えることがある。それは死ぬと言うことの個人的な価値観みたいなことだ。
死ぬことは怖くもあるけれど、どこかで楽しみにしているところもある。行き当たりばったりの人生と言うか暮らしだったけれど、果たして今回の僕の人生は自分的には何点くらいの人生だったんだろうかと思うことがある。
生まれる時も死ぬ時も基本的には一人だ。自分に携わってくれた家族や多くの友人知人そう言った存在に自分が生かされてきたわけだけれど、自分が居なくなった後の世界と言うものを考えると、やっぱりこの世界はとてつもなく無常だなと思う。
自分が存在しない世界。自分を中心に考えれば、それはもはや世界ではなくて残像なわけで、あとは他者が創造する世界が永遠と続いて行く。
人生を思ったように生きて行くには6割が努力で4割は運のような気がする。その運をどうやって味方につけるか。
ここだけの話だけれど、僕は努力が嫌いだし、お金もなかったけれど運だけで生きてきたような気がする(笑)。
断崖絶壁に置かれた時に、なぜか救いの手が差し伸べられた人生だった(過去形で書いたけれどまだ生きていますが)。笑
公立高校に落ちた時も、再々募集で私立高校に入れてもらえたし、大学受験の時もそう。夜行列車で行ったのだけれどその夜行列車の中でたまたま暗記した箇所が翌日の入試にそのまま出るなんて奇跡が起きた。
就職の時もそうだ。卒業式が終わって就職先が決まっていなかった僕は、落ちていた進学塾にまたダメもとで電話をかけてみた。その日たまたま採用された先生のキャンセルが一人あって、僕が採用されることになった。これは運だよなと思う。
僕が思うに、自分の夢を見捨てないで夢を追い続けていると、神様がこいつしょうがね〜なって、施しを与えてくれる気がするんだよね。そうまさに施しだよね。
だから僕が他界するタイミングも、神様の施しに委ねることにしている。
運を呼び込むには、神様の施しに委ねること。僕がたどり着いた結論かな。
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