ブレーキを踏む概念がないのかもしれない
買ってきた古着のジャケットが気にいると、ずっと着ている。珈琲豆はブラジル豆。最近飲む酒はジンの炭酸割り。気にいると変化を求めない人間なんだろうと思う。故に塾教師も40年続けることが出来ただろうし、現在の寺子屋も35年間続けてこれたのだろうと思う。
一つのルーティンが確立すると、よほどのことがない限り継続し続けてしまう。長所でもあり欠点でもある。
若い頃、本にハマってしまうと、毎日1冊は読んでいたし、好きなミュージシャンができると、飯代をレコード代に変えて買いまくっていたし、どうにも止まらない性癖に嫌気が差す自分がいた。
その典型が神社オタクにも及び、気になる神社があるととことん深みにハマってしまい、僕の妄想は宇宙開闢まで拡張してしまい、地面に舞い戻ってこれなくなることも多々あった(笑)。
卓球もそう。曲作りもそう。お酒がやめられないのもそう。そしてこのブログもそう。始めてしまうと、ブレーキを踏むという概念がないのかもしれない。
間違いなく病気だと思う。そうか貧乏なのもそうだったのか。そろそろ脱却しないとな・・・
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