必死になって嫌だった先生の顔を思い浮かべた
どうでもいいことだけれど、僕はウルトラマンになることが小さい頃の夢だった。ウルトラマンのようなものじゃなくてウルトラマンになることが夢だったのだ。
でもテレビを観ていて、ウルトラマンの背中にファスナーを見つけてしまった瞬間僕の中の何かが終わった。
子どもは次から次へと世の中の現実というものを見せつけられて、大人になって行く。
日本人は6年以上も学校で英語を習うのに、そのほとんどが簡単な日常会話さえ話せないと言う現実を知った時、教育というものに不信感を覚えた。
学校の先生はみんな偉そうにしているけれど、所詮教科指導に特化しているだけで、オールマイティな存在じゃないと知った時、やっぱり僕の中の何かが終わった。
先生なんて呼ばれるやつにろくなやつがいないと若い頃毒づいていたら、自分が先生と呼ばれる存在になっていた。まじやばいと思った。必死になって嫌だった先生の顔を思い浮かべた。そして絶対あんな先生にはならないと誓った。神様や八百万の神に猛烈に誓った。
余談だけれど、妻がシュタイナー教育を取り入れたアトリエ教室を自宅でやっているのだけれど、自宅にやって来るお母さん方は僕を先生とは呼ばない。僕をマスターと呼ぶ。
ここで珈琲などをお母さん方に僕が淹れてあげるからだ。
40年以上先生と呼ばれてきたけれど、やっぱりどう見ても僕は先生じゃない。教育現場や生徒の前ではしょうがなく先生と言う呼称を容認しているけれど、何かしっくりくる呼称がないものかとずっと思っている。
ずっと寺子屋を営んできたので「Terraさん」なんてどうだろうか。
やべ〜Terraはスペイン語で地球とか母なる大地って意味だっけ。先生よりビックな名前じゃますますアウトだよな・・・
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