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2025年3月13日 (木)

教師という仕事

大学には小学校教諭を育成する教育学部がある大学があって学生たちは教師を目指して頑張っている。と言いたいところだけれど、小学校の教師になる人がおらず、実は教育現場は困っている。

なぜ小学校の先生になる学生がいないのか。大変だからである。小学1年生は宇宙人。宇宙人の親も宇宙人。つまりみんな僕のような変人なので、先生は大変と言うことだ。

小学1年生に限定してしまったけれど、小学校の高学年は高学年で、女子児童は思春期に突入し非常に難しい年齢に差し掛かる。

僕は高校で講師をしているので高校教師の入る授業数などは掌握しているのだけれど、それに比べると小学校の先生方はほぼ一人で全教科を指導するので、休む暇はなく、給食や掃除指導を入れるとずっと教室に出ずっぱりの1日となる

離職者が多いのも頷ける。かと言って高校の教師は楽かと言うとそれはそれで大変だ。就職先の斡旋や、大学受験指導、夏以降はクラスによっては生徒の願書作成など、担任の先生の徹夜が続く。

それぞれの力量に任さられるのが教師の仕事のような気がするが、それに伴う報酬と言うのは必要不可欠だろうと思う。

確かに地方に於いては、公立の先生の給料は悪くはないが、かと言って労働の代価として適正かと言えば、小学校教員の給料は改善の余地がある。

さらに言えば、地方の私立高校の先生方の給料は低い。高校生の授業料の無償化も大事なことであるが、教える側の支援も重要な案件だ。

そう言った点からすると、少子化を迎えた現代、塾教師の存在は経済的にも将来的にも先が見えない暗闇に突入してしまっている。

そもそも塾教師だけで生活することは困難になっている。様々なバイトを掛け持ちしている先生方は多い。

教えることは楽な作業かもしれないが、相手に理解させることは至難の業だ。毎日13時間を超える仕事をして、岩手県の平均年収の半分しか稼げない自分が情けないと言うよりは、なんか天然記念物の希少動物のような気がする。

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