中島みゆきの厭世観と巫女的降臨感
おそらく日本の歌謡史の中で、一番人間の深淵を抉り出す言葉を歌にしてきたのが中島みゆきだと思っている。
彼女のデビュー作とも言える『時代』は彼女が高校生だった時の楽曲だ。僕に言わせると、あり得ない。
初めてラジオで『時代』を聴いた時の衝撃を今でも忘れられない。高校受験を失敗して、100ペーセント自信を喪失して自暴自棄になっていた僕は、中島みゆきの歌詞に頭を鈍器でぶん殴られた感じだった。
あんな時代もあったよね〜♫この人生を俯瞰するフレーズに、この女性は一体20年にも満たない人生の中で、何を喪失し、何を諦観してきたのだろうと、わけのわからない焦燥感に僕は駆られた。
中学時代、一関高専在学中にメジャーデビューしたNSPに憧れてギターを手にした僕だったけれど、中島みゆきの歌に接してからは、自分の未熟さだけが思い知らされ、彼女の言葉の重さに自分もなんとか食らいつきたいともがき始めていた。
僕も当時人生いろいろあって、自分の不甲斐なさを家庭環境や家庭の貧困のせいにしてけつをまくっていたところがあったわけで、これではダメだと、長らく離れていた本の世界に没頭し始めた。
言葉は愛の妙薬にもなり、凶器にもなる。人や社会を動かしていくのは言葉だと僕は確信して行く。素晴らしい文学も歌も、当然のことながら言葉で紡がれている。
中島みゆきの歌は、快活であったり、楽観的な未来を想像させることはなく、人生の苦しみや忘却したい煩悩を掘り起こす。演歌と違うところは、音符に妥協したフレーズが一つもないところだ。歌詞とメロディーが妥協せず聴くものの魂を揺さぶってくる。
中島みゆきはまるで巫女のごとく、言葉を降ろす憑依体質のクリエイターのような気がする。天才といえばそれまでだが、彼女の時代はまだまだ続きそうだ。
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