毎年3月11日がやって来ると
生きてきて一番衝撃を受けた光景。生きてきて一番苦しみを覚えた光景。それが隣町気仙沼の瓦礫の山になった姿だった。
川を逆流してきた津波は海から2キロも3キロもある山間の家までも流し去った。
毎年暮れに塩荒鮭を丸ごと一本持ってきてくれた親戚の家は、家族全員が家ごと流されて誰も発見されないまま14年が過ぎた。
気仙沼だけじゃない三陸海岸の港町は全てが津波に飲み込まれ15900名の命が奪われた。

気仙沼に一昨日行って来た。一見町は復興したかのように見えるが、裏通りに足を運ぶと、至る所に震災の残像が垣間見られる。
震災の年生まれた子どもたちは今年中学3年生だ。その年月の速さに僕は何故か目眩を覚える。
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