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2025年3月

2025年3月31日 (月)

灯油代物語

3年前までは生協さんに灯油の配達を頼んでいた。灯油が高騰し、とてもじゃないが配達料込みの値段では買えなくなった。

日曜日に軽トラックに灯油缶を積み込んで、市内で一番安いところから買ってくることにした。

リッター8円違っても100リッター買うと800円違う。冬は20回は買いに行くので、地元で買うより16000円の灯油代が節約出来る。

妻のアトリエ教室が自宅である時には薪ストーブを利用するのだけれど、それでも石油ストーブが必要となる。

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昨年までは近隣の方から無償で薪の材料を頂いていたのだけれど、薪割りする自分の時間と体力が欠乏し始め、とうとう昨年は薪を準備しないまま冬を迎えた。今焚いているのは2年前に割っていたものだ。

5年ほど前までは薪ストーブ用の薪は軽トラック一台分で12000円ほどだったが、今年は4万円に跳ね上がっている。とてもじゃないが、買ってまで燃やしてはいられない。

僕の町では灯油はリッター122円になっている。ちなみにガソリンはリッター185円だ。

お米は5キロで4000円なんて、ふざけた値段をつけるところも出てきた。どうやって暮らしたらいいのかと途方にくれてしまう。

塾生のみなさんから徴収する教材光熱費は2年前に値上げしたばかりだ。これ以上物価が上がったら、どうしたらいいかと、頭を抱えるしかない。

世の中の人たちはどう対処しているのだろう。一揆が起こるのも近いのではないだろうか。マジで。

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主人たるもの家の一軒も建てないとって言うけれど

男たるもの人生に於いて家の一つ二つは建てて当たり前、なんてことを高度経済成長期の頃には言われたものだけれど、残念ながら僕には叶わない夢だったね。

父が建ててくれた家を、自分でリフォームしながらどうにか保ってきたけれど、この年になって宝くじにも当たらない限り新築は無理だね。

我が家も築半世紀、多くの地震にはどうにか耐えてきたけれど、冬の隙間風はどうにもならず、冬の灯油代はこの高騰で30万円近くかかり、老後に向けての蓄財などできるわけもなく、じっと手を見るの日々である。

最近知人たちの何人かが家を建てた。退職金で建てたのだろうと聞いてみると、生命保険ローンと言うものらしい。60を過ぎて銀行のローンは無理なので、死亡保険で残金を支払うシステムらしい。世の中の建築会社もあの手この手で、新築願望を刺激してくる。

僕のような貧乏人は、とにかく自分で修理出来るものは修理し、現状維持で生きていくしかない。お金のかかるものには無視を貫き通すしかない。

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もっかの悩みは、耕作放棄した休耕田の草刈り管理である。現在使っている機械が壊れたなら、新しい機械を買う余裕などない。転売もままならないし、悩みの種である。

機械の前に僕が壊れるかもしれないしね。兎にも角にも明日から新年度がスタートする。塾生の総数は、相変わらずコロナ前の半分。忍びがたきを忍び頑張っていきたいと思う。

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2025年3月30日 (日)

中島みゆきの厭世観と巫女的降臨感

おそらく日本の歌謡史の中で、一番人間の深淵を抉り出す言葉を歌にしてきたのが中島みゆきだと思っている。

彼女のデビュー作とも言える『時代』は彼女が高校生だった時の楽曲だ。僕に言わせると、あり得ない。

初めてラジオで『時代』を聴いた時の衝撃を今でも忘れられない。高校受験を失敗して、100ペーセント自信を喪失して自暴自棄になっていた僕は、中島みゆきの歌詞に頭を鈍器でぶん殴られた感じだった。

あんな時代もあったよね〜♫この人生を俯瞰するフレーズに、この女性は一体20年にも満たない人生の中で、何を喪失し、何を諦観してきたのだろうと、わけのわからない焦燥感に僕は駆られた。

中学時代、一関高専在学中にメジャーデビューしたNSPに憧れてギターを手にした僕だったけれど、中島みゆきの歌に接してからは、自分の未熟さだけが思い知らされ、彼女の言葉の重さに自分もなんとか食らいつきたいともがき始めていた。

僕も当時人生いろいろあって、自分の不甲斐なさを家庭環境や家庭の貧困のせいにしてけつをまくっていたところがあったわけで、これではダメだと、長らく離れていた本の世界に没頭し始めた。

言葉は愛の妙薬にもなり、凶器にもなる。人や社会を動かしていくのは言葉だと僕は確信して行く。素晴らしい文学も歌も、当然のことながら言葉で紡がれている。

中島みゆきの歌は、快活であったり、楽観的な未来を想像させることはなく、人生の苦しみや忘却したい煩悩を掘り起こす。演歌と違うところは、音符に妥協したフレーズが一つもないところだ。歌詞とメロディーが妥協せず聴くものの魂を揺さぶってくる。

中島みゆきはまるで巫女のごとく、言葉を降ろす憑依体質のクリエイターのような気がする。天才といえばそれまでだが、彼女の時代はまだまだ続きそうだ。

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2025年3月29日 (土)

年収240万円の時代の中で

日本の平均年収は500万ほど。僕が住んでいる地方はその半分以下だ。夫婦共働きで全国平均一人分の年収に届かない。

失われた30年。地元の高校を終えて工場勤務の場合、25万円まで給料が上がってあとは頭打ち。手取り20万くらいで、退職するまで給料は上がらない。

この状況で結婚するのも大変だけれど、子どもを持って大学に入れるのは至難の技だ。

どうして若者は結婚しないんでしょうね、と言う言葉を頻繁に耳にするが、地元企業の給料が少なくて、家庭を持てないのだ。

政治はこの状況を見て見ぬふりをしてきた。企業献金などをもらっている場合ではない。

この3月いっぱいで撤退する塾が多い。一関に於いて合併する前の旧町村にあった塾が軒並み廃業している。どう頑張っても生徒数そのものが激減しているし、地元の高校の倍率が0.6では生徒は集まらない。

物価がものすごい勢いで上がっている。昨今ワンコインで昼飯を食べることが出来なくなった。カップ麺でさえ200円越えはざら。ふ〜である。

来月は入塾予定者が3名ほどいる。教室代や経費を考えると、最低あと5名は欲しいところなのだが、気長に待つか。


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2025年3月28日 (金)

ある日子どもが医者を目指したいと言ったらどうしますか

中学生も3年になると、学校から進路調査表がやってくる。志望高校や将来やりたい仕事などを書かせられる。

もし息子さんなり娘さんが、将来医学部に入って医者を目指すと言われたらどうしますか。

素晴らしい目標だ。頑張りなさい!と言えますか。そこが現在日本社会が抱えるジレンマであり、職業選択の自由の落とし穴なわけですよ。

高校の模試で私立大学医学部の偏差値に届いたとして、特待生じゃない限り、入学金に1500万、6年間の授業料が2000万円かかります。これに生活費ですね。

仮に目標が教員になりたいと言うのなら、私立大学なら学費総額400万円プラス生活費と言うことで700万円が最低かかります。

僕も2人の息子たちを高校卒業後進学させたのでお金の厳しさは十分知っています。田舎で個人塾を営みながら息子たちの学費を工面するのは大変でした。

自分自身が学生時代借りた奨学金の返済が大変だったので、なんとか息子たちには奨学金を借りさせないで就学を終えさせたいと思いましたね。

田舎は医師不足です。故にどこの個人病院に行ってもものすごい待ち時間。県立病院は個人病院の紹介状がないと門前払いです。

大金持ちしか自分の子息を医学部に入れられませんもんね。

国立大の医学部があるだろうって?いやいや東大の一般学部に入るよりどこの国立大医学部も難関です。

今の子どもたちは夢を書いても、お金と言う壁にそのほとんどがぶち当てるんですよ。なんか哀しいですよね。

資産家の子どもや大会社の経営者の子どもたちがいい学校にはいって、潤沢な給料をもらって暮らして行くと言うこの階級社会の構造。

そこに根を持つ暇があったら、人の2倍も3倍も努力をせい。と言われたものですが、やっぱりね〜


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2025年3月27日 (木)

lQの高さと人生での成功は比例するのか

僕らの世代は中学に入る前にIQテストというのを受けさせられた。それによって特別支援クラスに入る生徒が決められていたようだ。

ちなみにIQ70以下だと支援クラスと言うことらしい。ボーダーラインの対処の仕方はわからない。

現在では不登校生徒に対してIQテストを推進する学校機関が多いようだ。ちなみににIQが高い生徒にも不登校生はいるみたいで、社会性とIQの高さは比例するとは限らないようだ。

昨今の研究によると、人間のIQはほぼ幼児期までに確定するようだ。母親の体内での環境と誕生後の栄養摂取で基盤は作られるらしい。

母乳とミルクでは母乳で育った幼児の方が6近くIQが高いと言う報告もある。勿論頭脳への刺激によってIQは変わっていくだろうから、先天的なものと後天的な複合的要因はあると思う。

日本人の平均は90後半と言われている。東大生に施したIQテストによると平均は120くらいだそうだ。

成功者と言われる人たちのIQはどうなのか興味はないわけではないが、できれば比例して欲しくないね。

僕の勝手な解釈だけれど、IQが高い人ってずるいじゃないですか。人より条件反射的解析力があるってことは、ある意味あざといですよね。IQが低いのって自己責任でもないしね。

僕はちなみにIQは平均値より低かったんですよ。なんかそれごときで負けたくないじゃないですか。ね〜


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アレルギーのオンパレード

杉花粉やブタクサなどの花粉アレルギーは大変だけれども、それだけじゃない。

まず牛乳や乳製品がダメ。即トイレですね。それからりんごもダメ。口内炎になります。

尿酸値が高いのでプリン体を多く含むものもNG。

自称プレアデス星人だけあって、地球のものにはなかなか慣れません。困ったものです。

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野薔薇が咲く頃になると花粉症もおさまるのですが、先は遠いですね。

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2025年3月26日 (水)

タとダの攻防

年金の書類を提出する際に、振り込み用の通帳を提示しなければならかったのだけれど、通帳の名義がカネダ ショウジになっていると言うので訂正を要求された。戸籍上はカネタ ショウジというわけ。

今まではカネダでOKだったけれど、さすが年金支給はこのダではダメらしい。

仕方なく銀行に出向いて訂正をしてもらおうと思ったところ、1時間以上かかるとのことで出直すことに。

銀行員の方から、タをダに変更するとキャッシュカードも変えないといけないし連動しているそれぞれの振込み先のデーター変換が必要と言われ、連日銀行へ。

税務署や年金事務所を行ったり来たりで、ダをタに換えるのにトータル4時間ほどを費やした。ふ〜

ふと思うにカネダからカネタでは空気が抜けるようでパットしない。やっぱりカネダだよなと思いつつ、でもなカネタのおかきなんてお菓子が売っているし、カネタ運送なんて会社もあるしやっぱ岩手県ではカネタなのかと思いつつ思案中思いついたのが我が家のルーツ。

我が祖先は400年以上前千葉県君津郡の金田村からこの地に葛西氏の家来としてやってきて、農業を始めたと言われている。その金田村はカネダと読むのだけれど、まあ諦めるしかないか・・・

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2025年3月25日 (火)

先生今まで読んだ本の中で一番おもしろかった本は?

生徒から「先生今まで読んだ本の中で一番おもしろかった本は?」と聞かれれるほどしんどいことはない。曲がりなりにも高校で文学国語を教えている立場としては、不用意な答えもままならない。

きっと最後までしっかり読み通した本は、この64年の人生の中で6000冊は超えていると思う。仕事柄目をざっと通した本を含めるともうわけが分からない冊数になっている。

この20年間で原稿用紙2万枚のブログを書き続け、自分で言うのもなんだが、活字中毒患者だろうと思う。文字を目で追っているか書いているかしないと落ち着かないのである。

友人知人からは、そのエネルギーを本の執筆に注いでいたら何冊も本が書けたのにと言われるのであるが、何度か言ってきたように、今回の人生に於いて、音楽を作ることは目標としてあったけれども、小説家とか文筆家と言う選択肢は無いと断言したい。いやなかったのである。

話を戻そう。一番おもしろかった本?まじなんだろうね。小学生の頃に読んだ本と限定すれば、宮澤賢治のどんぐりと山猫だけれど、読んだ中でと言うとくらくらしてくるね。

一瞬聖書や古事記が頭をよぎったけれど、違うな。

実は生徒に質問されてからずっと考えている。ひょっとすると「竹取物語」だったかもしれないと思ったりもするのだけれど、あやしい。

自称プレアデス星人としては、エンリケ・バリオス著『アミ小さな宇宙人』が一番おもしろかったかなと言うことで、どさくさ紛れに本日のブログを終えたいと思います。

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人生の中で一番聴いたアーチストは

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僕は20歳の頃からジャズにハマったわけだけれど、一番聴いてきたプレーヤーは間違いなくジョン・コルトレーンですね。特に1950年代にコルトレーンがマイルス・ディビスと共演したアルバムは最高です。コルトレーンのサックスとマイルスのトランペットが心臓を鷲掴みにしてきますね。

生きて行くことの煩雑さや不条理に対してコルトレーンのサックスは、ただただそれは仕方がないことだよと慰めてくれるんですよね。僕にとって彼のサックスは精神安定剤です。今も昔も。

ジョン・コルトレーンのアルバムはいっぱい出ていますが、一枚をと問われれば、写真のバラッドですね。僕にとって唯一無二のアルバムです。

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一方10代で一番聴いたのはジャクソン・ブラウンですね。写真のホールドアウトを聞いて一発でやられましたね。貸レコード屋さんから彼の作品を全部借りてきて録音しましたからね。

実と言うと若い頃曲を作る時に彼のコード進行をだいぶパクリました。僕の出せる音域がちょっと限界でしたけれどね。

文学もそうですけれど、音楽も時代を超えて受け継がれて行くんでしょうね。ジャズもロックも。

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2025年3月24日 (月)

書くことが飽きてきたらぼーとしてみる

僕は別に毎日ブログなんか書かなくても言い訳ですよね。これで稼いでいるわけでないし、どっかの塾ブログみたいに経営者から書くことを強制されているわけもないし、いつやめてもOKなわけですよ。

正直言って調子が悪い時などは書かないで寝ようかなと言う時はあります。当然ですよね。

でもね。このブログ自体は1円にもならないブログなんですが、毎月使用料を払っている有料ブログなんですよ。書いても書かなくてもお金は引き落とされています。

このブログは塾経営にはほぼ役に立っていませんが、このブログを読んでくださった私立高校から講師のオファーがきましたし、新聞社より評論を書く仕事をいただきました。

さらににはこのブログで提唱した岩手六芒星が、テレビでシリーズものとして4週連続放映され、僕の髭面の顔がアップされることとなりました。塾生募集には貢献しないブログですが、僕自身の日常を刺激あるものにはしてくれています。

故に書いているんだと思います。昨日あたりから花粉症がマックスになって、ぼーとしています。もはや病院の薬も効きませせん。こんな季節は精神的に書くことにも飽きてぼーとしています。

ぼーとしていると眠くなります。故に今日はお正月以来ぼーとして寝ていました。こたつに。

本来は本日より春期勉強会だったのですが、3年連続受講の申し込みは0でした。春期の準備をすることもないので、納屋カフェのドアを改変していました。

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3年前と現在と同じ場所の写真です。3年連続春期講習の生徒は集まりませんでしたが、このカオスのゴミだめと化した納屋が、おかげさまでこんな空間になりました。

やば今度はDIYの専門雑誌から取材のオファーが来るかも(笑)。

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2025年3月23日 (日)

こっそり教えます

リサイクルショップ大手チェーン店でも市内の蕎麦屋さんでもうどん屋さんでも、「テレビ見ましたよ。おもしろかったです」声をかけてくるのは女性ですね。男性の方はなんか視線を送ってはきますが、声はかけてきませんね。僕もそうですけれど、声をかけるっておしょすい(恥ずかしい)ですもんね。

岩手朝日テレビでの天津木村のヘェ〜で放映していただいた岩手六芒星シリーズも終わり、我が家にはいつもの静寂が戻りました(笑)。録画したものを観て、いろいろダメ出しされましたからね。素人のコメンテーターですからしょうがないですよね。

近年岩手六芒星をきっかけに神社に興味を持っていただいた方がおられて、いろんな神社を巡り始めた人も多くいらっしゃるようです。嬉しいかぎりです。

今日は自分の住んでいる家やマンションや職場に、邪気が近づかない結界の張り方をこっそり教えます。

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自宅なり仕事場の中心から一番近い東西南北の神社を見つけてください。その神社に行って、自分の住む住所と自分の名前を神社の神様に告げて「○○の神様祓い給え浄め給え」と申し上げればOKです。理想は毎月朔日に行くといいのでしょうけれど、忙しい方は、春夏秋冬に参ればいいと思います。

東西南北の神社の名前や祭られている神様の名前を言えばいいのですが、分からない場合は、「ここにおられる神様祓い給え浄め給え」でもOKです。

これのおかげで、僕は四半世紀風邪や体調不良で仕事を休んだことがありません。不安な方は試してみてください。

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2025年3月22日 (土)

よせばいいのにはまっていく

収集癖が抜けないのは、きっと孤独なのかもしれない。カードを集めるのも、フィギュアを集める人もきっと魂の孤独がそうさせているんだろうと思う。

実は僕もそうだった。かつてはペプシのキャップを集めることに必死だったし、ここ10年はカエルの置物を集めていた。

客観的にかつての自分の収集癖を洞察してみると、満たされない何かを埋めようとしていたし、物に囲まれることでやっぱり孤独を紛らわしていたような気がする。

ひょっとしたら、男性が次から次へと付き合う女性を変えるのも、女性が同じ性癖がある男性に引っかかって痛い目にあっても、また懲りずに同じタイプの男性に惹かれてしまうのも、根底にあるのは同じようなもののように思う。

満たされない魂の孤独を、埋めようとする収集癖は、僕ら人間が抱える精神的な弱さをカモフラージュする挫折を紛らす詭弁なのかもしれない。

お金がいくらあっても満ちたりない気持ち。上に登り詰めても、それでもさなる上を目指そうとする権力志向。

彼らがポケモンカードを集めている大人を見て、もしくだらないと思うならば、その合わせ鏡として自分たちが存在していることに気づくべきだ。

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ところで、龍神グッズを集めることも、カエルグッズを集めることも収束した僕だが、納屋をDIYしてからと言うもの今度は中古のジャズCDを集めまくっている。やっぱり僕の孤独癖は根が深いようだ(笑)。

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2025年3月21日 (金)

劣悪な環境下では素直にはなれないか

僕の強みは何かって考えてみた。残念ながら何もないことがわかった(笑)。

金もない髪もないと言う自虐ネタを携えて生きてきた。きっとこれからもそんな感じだろうと思う。

先生と呼ばれる人種の中には、不良だったりヤクザまがいの若者が苦手という方も多いかと思う。

先日テレビに出た時も言われたことだけれど、金田さんって見た目優しそうなところが得していますよねって。得してますねってことは、実際はそうじゃないってことだ。

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実は一部の生徒たちや妻は知っているが、僕はそんなに優しくはない。理不尽なことや我慢の限界を超えた時はブチギレる男である。

よく格闘家は相手の立ち振る舞いを見てお互いの力量を察知すると言うけれども、青春時代ヤンキーな友人たちと修羅場をくぐってきた僕は、やはりその残像をこの年になっても残しているんだろうと思う。あばれん坊将軍みたいな高校生の連中は僕と対面で向き合うと、おとなしくなる。そう言う意味ではそこだけは唯一の強みであるかもしれない。

半世紀も前の話になるが、当時の商業系の私立高校は、毎日がサバイバルだった。タバコ・酒・シンナーは当たり前。夜這いをするやつ。車を盗んで乗り回すやつ。学ランの下にドスをしのばせているやつ。

勉強どころではない。僕は英語の単行本にエロ漫画の表紙をかぶせて読んでいたが、イジメ的アクションに黙っていると図にのってくる輩がいるので、そこはある意味ケジメをつけないといけない。受験に向けてちょこっとは頭を鍛えたけれども、それ以上に身体は鍛えあげた。

何事にもフットワークが必要なので、僕は駅伝部が走るコースを毎日走っていた。一関の人ならわかるかと思うが、我が母校から大船渡線の真滝駅まで行って戻って来るコースである。

走ってみるとわかるが、受験勉強のストレス解消にもかなりジョキングは役立つ。もちろん今は一切走ることはやっていない。今の年齢でこの過密スケジュールの中走ったりしたら間違いなく死ぬ。

高校生が授業中僕に腕相撲を挑んでくる。残念ながらほとんどが撃沈だ。やつらは悔しいのだろうと思う。国語や英語を教える爺ちゃん先生というイメージで戦いを臨んでくるわけだけれど、「てめえら俺に勝つには10年早いよ!」と言う僕の捨て台詞に、どうしてですかと聞いてくる。

きっと僕は死んでいないからだ。ワハハ。

100キロもあるモアーを休耕田で自力でUターンさせる力はまだある。しかし昨年からイノシシどもがうちの休耕田をボコボコにしあがった。草刈りが非常に困難になった。

今度金属バットでも持っていって打ちのめして、シシ鍋にして食ってやろうかと思う。

あ!そうか。害獣駆除は免許がないとダメなのか。じゃばれないように(笑)。

※現在の私立高校の生徒たちは非常に勤勉で礼儀正しく、上記のようなことをやるような生徒はいっさいいないことを補足しておきます。

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全ての人は唯一無二

どこで何をやろうとも、どんな人であろうと全ての人は唯一無二の存在だ。

頭が悪い?上等だ。顔がブサイクだって?最高じゃないか。お金がないって?ラッキーじゃないか。

目が覚めて、誰もいない。孤独かな?いやいや自分がいるじゃない。大丈夫。大丈夫。

世界は君のもの。全てのインスピレーションは君のために降り注ぎ、光は無限だ。

不安と希望がつづら折りに錯綜する毎日の中で、頼るものがないと僕らは生きて行けない。一瞬の快楽でもいい。誰かの一言でもいい。妄想ですらいい。自分が委ねられるものに逃避して不安や絶望から身をかわすことは大切だ。

平均的に生きることが凡庸だと思うと苦しくなる。運命とか宿命なんて言葉に翻弄されて、自分のことを軽視してはいけない。もう一度言おう。僕らは唯一無二の存在だ。

何かが劣っていて、何かが優れていると考えることは幻想だ。劣っているのではなく、そのことに興味がないだけだ。優れているのではなく、そのことが好きなのだ。

優劣さで順位を決めたり、人間の価値を判断する我々の社会は、残念ながら野蛮な文明だ。

肉体から離脱する時に、我々はお金を持って行けるだろうか。社会的地位を首にぶら下げて行けるだろうか。

どう生きたかは自分が一番知っている。他人の評価もそれに伴う経済力も、付随的なものではあるがその人の本質などではない。

誰に愛されたか。誰を愛したか。愛のために何をしたか。人生とはそれ以上でもそれ以下でもないように思う。

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2025年3月20日 (木)

古事記に於ける天孫降臨の解釈は

神社に祀られている神様は大別すると、天津神か国津神に分かれる。つまり天からやってきた神様か元々日本に居た神様かというわけだけれど、この古事記に於ける天孫降臨の解釈が、さまざまな研究者によって解釈が異なるのが現状だ。

天孫降臨は、皇室の御先祖が高天原から天降り、この国を豊かにそして平和に治められていく様子を語り伝えるもの。邇々芸命は天照大御神さまより、高天原の稲を授かり、豊葦原水穂国の人々の食物とするようにも命じられました。 この神話を私達の祖先は稲作の起源として語り継いできました。と言うのが一般的な解釈。

しかし天孫降臨と言うのは文字通り宇宙から舞い降りた存在が地球を支配したと考える古事記研究者もいます。

自称プレアデス星人の僕は、どうこの天孫降臨を考えているのかと言うと、地球人を進化に導いた地球外存在がいくつか居て、その存在たちが自らを宗教的な神として崇拝させて、地球人をコントロールして来たと思っています。

じゃ神はいないのかって?

いや宗教的な神は神として全てが邪神的な存在ではないでしょうから、神様お願い的な意味での神様はいると思いますよ。

宇宙そのものを存在しらしめているエネルギーを神とする考えもあります。古事記にはアメノミナカヌシノ神・タカムスビノ神・カミムスビノ神が宇宙創造の神として表記されています。

ところで今日は春分の日。真東から太陽が昇り真西に太陽が沈みます。その天体ドラマを演じるのが23.4度傾いている地球の地軸ですね。地軸の北にある星が北極星。この星を神として信仰するのが妙見信仰。

北極星を見つける時に印となるのが北斗七星。陰陽道において六芒星は中心を含めこの北斗七星を地表に表したものだと言われています。

その北斗七星の方角から2時間ごとに電波が地球に届いていると言うニュースが新聞に掲載されていました。地球にやってきた生命体は昴(プレアデス星団)からと北斗七星からと言う噂が昔からありますが、この電波に導かれてまた新たな天孫降臨でもあるのでしょうか。

自称プレアデス星人の今日の妄想でした。


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2025年3月19日 (水)

不思議な導き、それは小林正弘先生の著作から始まった

岩手六芒星の発見に至った経緯は、六芒星神社のほとんどが、坂上田村麻呂によって勧請されたものであり、蝦夷打倒の勝利祈願をした場所であったことが大きなきっかけでした。そしてその建立の場所には、縄文時代から信仰されてきたアラハバキ等の磐座が鎮座していることが、確信に至った大きな要因だったと思います。

もう一つ加えれば、時代を経て前九年の役の時に、田村麻呂の結界を察知したであろう源義家が、安倍氏討伐のために六芒星の周りに等間隔で八幡神社を建立したのではないかと言うのが六芒星の存在意義でした。そしてその僕の妄想が最終的にマスメディアを動かした大きな一投だったように思います。

そして結界や古代の磐座信仰の発想を僕に与えてくれたのが、40年来の友人である小林正弘先生の著作でした。

以下の文章は僕が小林先生から著作を頂いた時に、かつてその感動をブログに書いたものです。再掲載になりますが、是非一読願いたい。

奥州市水沢の学習塾・学び舎の小林正弘先生が『陸奥話記』の現代語訳を世に送り出した。本日北上市から一関の僕の塾に、製本された著書を小林先生自らが持参して来られた。恐縮至極である。

先生の著書を手にした僕は震えるような感動をお覚えた。出版の構想から10年もの歳月を経て、完成された陸奥話記の究極のガイドブック。120ページに及ぶ文面すべてに小林先生の研究者としての息遣いが聞こえてくる。

古代研究者である小林先生の緻密な調査と歴史感は、読むものを圧倒する。岩手に生まれ岩手に住むものにとって、東北の古代史は東北人であるということの原点を考えさせられる。前九年の役や後三年の役の国府軍との戦い、後の平泉焼失という源頼朝の暴挙に連なる歴史の流れは、大和民族から蝦夷(えみし)と虐げられたみちのくの民の屈辱の歴史であり、東北人の反骨精神の歴史でもある。

僕の血の中には、間違いなく東北の古代人の血が流れ込んでいる。陸奥話記を読んで感じる慙愧の念は、きっと古代人の物言わぬ魂の声なのかも知れない。

それにしても東北の古代史を学ぶものにとって、小林先生の著作には、多くのインスピレーションと、古代史研究者が歩んできた学術のほとばしりを感じずにはいられないだろうと思う。小林先生は著書のまえがきに、こう記している。

何もないどころか、岩手には豊かな自然と誇るべき歴史があるのだ。石川啄木や宮沢賢治といった文学者だけでなく、多くの宰相を輩出してきたのも偶然ではない。遥か遠い昔から連綿として続くこの岩手の風土がすべてを生み出してきたのだ。

敗れはしたが、かつてこの地に中央からの力と対等に渡り合った人々がいた。岩手の若い世代には、その歴史をあらためて認識し、誇りに思って欲しいと願う

小林先生のメッセージを僕はそのまま故郷の若者たちに送りたい。

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2025年3月18日 (火)

そうね、死にたいと思ったことが全然ない人っているのかな?

正直言って自分の意志で死にたいと思ったことはないけれど、このまま死んだら楽だろうなと思ったことはあるね。

苦労をずっとしていると苦労に対する免疫が出来て、どうでもいいやって気持ちになるね。でもね忍耐することはあんまりいいことじゃないと思う。

時々爆発しないと、溜め込んで滅亡しちゃうからね。かつての古代文明みたいにね。

自殺には2種類あると思う。個人的な自殺と文明全体の自殺。今の社会は誰が見ても分かるように、やばい状況だよね。イデオロギーや宗教にかこつけて、トップに立つ人間がストレス解消の戦争をやってる。武器製造会社は、ここぞとばかり政治家を焚きつけて、敵だろうが味方だろうが売りまくっているしね。

死んだら地獄や天国が待っているって、多くの日本人は思っているようだけれど、その考え方は仏教だけだからね。キリスト教徒にはそんな発想はないからね。

宗教的神のためならなんでもやっちゃう人たちがいるってことを知らないと、ほんとやばいよ。

ところで日本は自殺率が高い国で世界でも有名だけれど、僕が思うに武士道とか恥の文化が染み付いているお国柄だからだと思うね。

テレビの時代劇とかでさ、切腹する場面なんかしょっちゅうあるでしょ。テレビでセックス描写はNGだけれど自殺は昔からOKだったからね。そんな影響もあると思うよ。

自殺が一番多い季節は春なんだけど、多くの花が咲き乱れて華やぐ季節の中で、逆に自分の孤独さとか惨めだとかがクローズアップされちゃうのかな。

高校の現代文で毎年夏目漱石のこころをやるんだけれど、高校生に自殺はなぜいけないのかをレクチャーするのは簡単だけれど、納得しているかどうかは正直言ってわからないんだよね。

なんでもそうだけれど、教えることは難しくないんだよ。みんなわかったな!分からなかった所は後で復習しておくように!なんて言っておけば体裁は保てるからね。

問題は当たり前のことだけれど理解させ、納得させることだよね。なぜ自殺はいけないのか。いやこの発想がだめか。なぜ人は生きなければいけないのかの方がいいのかな。

あくまでも僕の意見だけれど、生きることにあまりこだわるからじゃないかな。人は100ペーセント全員死ぬんだよね。それに幸福そうな人やイケイケの人たちに扇動されないことだね。

幸せそうなカップルだってそのほとんどが結婚の前に別れるし、豪華な家を建てたってローンが払え無くて手放す人はいっぱいいるんだって。

自分の現状が今のままの人なんていないんだよ。不幸も幸せもずっと続かないからね。

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街の灯りがとても綺麗ね横浜

僕が物心がついて最初に一曲全部を歌えるようになった歌が、いしだあゆみさんのブルーライト・ヨコハマ。確か小学校の3年生だった気がする。

その当時すげ〜大人だと思っていたら、いしだあゆみさんは二十歳そこそこだったんですね。昨日亡くなったことを知りました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

岩手の山奥で鼻水を垂らしながらブルーライト・ヨコハマを歌っていた僕ですが、まさかそんな僕のところに横浜生まれの女性がお嫁に来てくれるなんて夢にも思わなかったですね。

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何もない山里ですが、妻はすっかり岩手が気に入ったようで、自由奔放に暮らしております(笑)。ちなみに来月で結婚39年目。ルビー婚式に大手ですね。

めくるめく人生の中で、人と人との出逢いは一瞬です。そんなことを思う春ですね。

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2025年3月17日 (月)

疲れたらさ休もうぜ

生きて行くことってめちゃ疲れるよね。食べていかなきゃいけないし、お金を稼がないと何も出来ないし、いろんな人間がいるし。ふ〜だよね。

そんでさ疲れきって家にいると引きこもりだ鬱だって言われるし、仕事をしないと穀潰しだの怠け者って言われる。大変だよ。

今年の3月は何もしないことに決めた。塾は新規申し込みがなかったので暇だし、田んぼや畑も3月は何もしない。高校も春休みで授業がないし、ジャズを聴いてボートしている。

新学期の募集をしても、来ない生徒は来ないし、来る生徒は来るだろうし気にしない。ただし塾の通常指導だけはやるつもり。特別講習はしない。

やる気がなくなったわけではなく、35年間走り続けて来たのでちょっと休憩。我ながらよく倒れることなくやってきたと思うよ。

農業やりながら塾やってさ、そして高校の講師でしょ。休日は卓球の指導。おまけに地区の役員をずっとやってきた。そしてここ8年間は母の介護。故にこの3月は休息宣言。

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春の空に浮かぶ雲のようにふわりふわり。読書とジャズの日々。学生の頃に戻ったような気分だよ。

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2025年3月16日 (日)

春が来てまた君は綺麗になった

毎年この季節になると、イルカのなごり雪を聴きたくなる。

生きていて何が辛いって別れだよね。好きな人との別れだったり、家族との別れだったり、友人との別れだったり。

塾の先生ってそういう意味では毎年辛い。めちゃくちゃ辛い。小学校の5年生から塾に通ってきて、高校3年まで教えたら、もう自分の子どもみたいなもので、指導最後の日なんかもううるうるだもんね。行かないでくれ〜て心で泣いているもんね。

あ〜いっちゃたって感じで、娘を嫁がせる父親以上の喪失感に襲われる。娘はいないけれどね。いや娘や息子と言うよりはもうすでにかわいい孫だね。

僕はいつも思うんだけれど、蕎麦屋さんや美容院が羨ましいよ。だって引越さない限りお客さんは来てくれるし、一生もののリピーターになってくれるケースが多いじゃない。でも塾は卒業と同時にお別れだもんね。

ずっと因数分解を教えるわけにいかないし、関係代名詞をレクチャーすることも出来ないしね。

そういうわけで3月は寂しいよ。なごり雪を聴いてしょんぼりだよ。

ジャズ以外で僕が近年聞く曲はこのなごり雪とカーペンターズのイエスタデイ・ワンスモアーかな。

やっぱり爺いだよね。

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2025年3月15日 (土)

35周年にあたり

35年前の今日、僕は今の塾をスタートさせた。独立する以前は東京中野の進学塾で2年、そして岩手に戻って水沢に本部がある塾で6年間講師をやってからの独立だった。

結婚して4年。1歳になる息子がいた。

結婚後自宅から離れ、一関市内の住宅に仮住まいをしていたが、父が55歳で他界し、急遽自宅に戻り家業である農家を引き継ぎ、同時に現在の場所に塾を開いた。二足の草鞋である。

当時はバブル期後半。いやバブル崩壊直前と言った方がいいだろう。世の中がざわついていた。

東北の地方都市に於いても、バブルの恩恵があったのだと思う。低迷していた大学進学率が一気に加速した。僕が開校したのは大学受験専門の英語塾だった。

時流に乗ったのと、当時一関には大学受験専門の英語塾がなかったので、単科科目の塾としてはそれなりの需要があって順調な滑り出しに思えた。

しかし3年してバブルが崩壊して、私立大学に於いてAO入試なる推薦入試が始まり入試における英語の需要が一気に減速した。そして市内ではアメリカ人による英語教室が数件誕生し、僕の塾は一気に閑古鳥が鳴きはじめた。

一斉授業は廃止して、小学生中学生の自由教科選択の寺子屋指導にシフトした。高校生は減ったものの中学生メインの塾にスイッチし、どうにか復活をすることが出来た。

その後はリーマンショックに東日本大震災と矢継ぎ早にやって来る困難に、たじたじになりながらも、私立高校の講師をやりながらどうにか凌いできたが、新型コロナで在籍生徒数は半分になってしまった。

こうなってくると、生活を切り詰めての日常が通常化してきて、毎日通っていた喫茶店の日々が終わり、もちろんプライベートで外で酒を飲むことも皆無になった。塾が終わるとスーパーに寄って、半額になった生鮮食料品を漁る日々である。

冬の灯油代が凄まじいことになってきたので、もらった中古の薪ストーブに活路を見いだすべく薪割りに邁進したものの、草刈りと薪割りのダブルパンチで僕の腰は悲鳴をあげて、灯油代を節約するはずが整骨院の治療費で節約したはずのお金が飛んでいく始末で、一体僕は何をやっているのだろうと青息吐息。

それでも救いはあるもので、僕がこのブログで紹介した岩手六芒星がマスメディアに取り上げられ、新聞に評論を書かせてもらう経験をさせていただき、また今回は岩手朝日テレビさんで4週に渡り六芒星を特集していただき、まあ塾の経営は大変なわけだけれど、ストレス解消のイベントが増え、なんとか持ち堪えているかねごんではある。

お金が無ければ無いなりの暮らしをするまでではあるが、人生一度くらいはお金持ちの気分を味わってみたいというのが本音ではある。

そんなことを思いつつ過ぎゆく開校記念日であった。

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2025年3月14日 (金)

どこまで辿りつければ満足なんだろう

蕎麦屋さんに行ってもリサイクルショップへ行っても、金田先生ですよね、六芒星テレビで観ましたよ、と声をかけてくださる方がいる。

白い無精髭を伸ばし、はげ頭で特徴がはっきりしているので、きっと判別しやすいのだろうと思う。

最近思っていることがある。今度65歳を迎える僕は何を目標に頑張ればいいのだろうかと。塾生を増やして老後の資金を貯めようにも少子化で、高校入試の倍率が平均0.8倍の岩手県では、塾業界で利益をあげて行くことは難しい。

かと言ってリフォームした納屋をカフェにして商売をやろうにも、保健所の要望にパスする厨房等を作るには水回りやトイレの設置などで最低300万円はかかりそうだ。そんな資金は残念ながらない。

今流行りのYouTubeに、大学受験の英語講座をアップして小銭を稼ごうとも考えてみたが、イケメンの外国人講師たちが枚挙して凌ぎを削る世界で、ヨボヨボの爺いなど入る隙間はなさそうだ。

自分の人生はどこまで辿りつければ満足なんだろうと思う。仮に後人生が10年続くとしたら自分は何がやりたいのか何をやるべきかをを自問自答してみる。

自分の健康を維持すること。自分たち夫婦の食費や最低の生活費を稼ぐこと。おっと忘れてた年老いた母の最後を看取ること。そんなことかなと思う。

今日は公立高校の合格発表の日。先程まで合格した生徒たちが普段通りの勉強をして帰って行った。すでに高校に向けての予習がスタートしている。高校になって退会する生徒と継続する生徒は半々くらいだろうか。

大学進学を希望する生徒は残るが、そうじゃない生徒は卒塾ということになる。それぞれの道に向かって頑張って行って欲しい。

それにしても人生は実に短い。僕などはつい先日高校受験があったような気がするが、もう50年も経ってしまっている。合格発表の日のことは落ちて悔しかったただけに、昨日のことのように鮮明に覚えている。

あの悔しさがその後の原動力になったかどうかは定かではないけれど、辛いことがあったり、惨めな気持ちを味わった時などは、受験発表の時の自分の姿を思い出して、気持ちをリセットすることが多い。

あの死にたいような気持ちを乗り越えてきたのだから大丈夫だと。

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2025年3月13日 (木)

教師という仕事

大学には小学校教諭を育成する教育学部がある大学があって学生たちは教師を目指して頑張っている。と言いたいところだけれど、小学校の教師になる人がおらず、実は教育現場は困っている。

なぜ小学校の先生になる学生がいないのか。大変だからである。小学1年生は宇宙人。宇宙人の親も宇宙人。つまりみんな僕のような変人なので、先生は大変と言うことだ。

小学1年生に限定してしまったけれど、小学校の高学年は高学年で、女子児童は思春期に突入し非常に難しい年齢に差し掛かる。

僕は高校で講師をしているので高校教師の入る授業数などは掌握しているのだけれど、それに比べると小学校の先生方はほぼ一人で全教科を指導するので、休む暇はなく、給食や掃除指導を入れるとずっと教室に出ずっぱりの1日となる

離職者が多いのも頷ける。かと言って高校の教師は楽かと言うとそれはそれで大変だ。就職先の斡旋や、大学受験指導、夏以降はクラスによっては生徒の願書作成など、担任の先生の徹夜が続く。

それぞれの力量に任さられるのが教師の仕事のような気がするが、それに伴う報酬と言うのは必要不可欠だろうと思う。

確かに地方に於いては、公立の先生の給料は悪くはないが、かと言って労働の代価として適正かと言えば、小学校教員の給料は改善の余地がある。

さらに言えば、地方の私立高校の先生方の給料は低い。高校生の授業料の無償化も大事なことであるが、教える側の支援も重要な案件だ。

そう言った点からすると、少子化を迎えた現代、塾教師の存在は経済的にも将来的にも先が見えない暗闇に突入してしまっている。

そもそも塾教師だけで生活することは困難になっている。様々なバイトを掛け持ちしている先生方は多い。

教えることは楽な作業かもしれないが、相手に理解させることは至難の業だ。毎日13時間を超える仕事をして、岩手県の平均年収の半分しか稼げない自分が情けないと言うよりは、なんか天然記念物の希少動物のような気がする。

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2025年3月12日 (水)

必死になって嫌だった先生の顔を思い浮かべた

どうでもいいことだけれど、僕はウルトラマンになることが小さい頃の夢だった。ウルトラマンのようなものじゃなくてウルトラマンになることが夢だったのだ。

でもテレビを観ていて、ウルトラマンの背中にファスナーを見つけてしまった瞬間僕の中の何かが終わった。

子どもは次から次へと世の中の現実というものを見せつけられて、大人になって行く。

日本人は6年以上も学校で英語を習うのに、そのほとんどが簡単な日常会話さえ話せないと言う現実を知った時、教育というものに不信感を覚えた。

学校の先生はみんな偉そうにしているけれど、所詮教科指導に特化しているだけで、オールマイティな存在じゃないと知った時、やっぱり僕の中の何かが終わった。

先生なんて呼ばれるやつにろくなやつがいないと若い頃毒づいていたら、自分が先生と呼ばれる存在になっていた。まじやばいと思った。必死になって嫌だった先生の顔を思い浮かべた。そして絶対あんな先生にはならないと誓った。神様や八百万の神に猛烈に誓った。

余談だけれど、妻がシュタイナー教育を取り入れたアトリエ教室を自宅でやっているのだけれど、自宅にやって来るお母さん方は僕を先生とは呼ばない。僕をマスターと呼ぶ。

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ここで珈琲などをお母さん方に僕が淹れてあげるからだ。

40年以上先生と呼ばれてきたけれど、やっぱりどう見ても僕は先生じゃない。教育現場や生徒の前ではしょうがなく先生と言う呼称を容認しているけれど、何かしっくりくる呼称がないものかとずっと思っている。

ずっと寺子屋を営んできたので「Terraさん」なんてどうだろうか。

やべ〜Terraはスペイン語で地球とか母なる大地って意味だっけ。先生よりビックな名前じゃますますアウトだよな・・・

 

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6年前癌にならないワクチンを打たれた夢を見た。

今まで色んな不思議な夢を見てきたが、6年前に見た夢は実にリアルな夢だった。

白人の体格のいいドクターが、お前はこんな生活を続けて行くと5年後に癌になって人生を終焉してしまうのでワクチンを打っておくと言われて肩に注射を打たれた。

目が覚めた時に肩に鈍痛が残っていた。まじか!と思った記憶がある。

こんな生活と言うのはどんな生活だったかと言うと、毎日夜10時に帰宅して母の介護。晩酌をしながら晩飯を食べて12時に就寝。朝は5時に起きて母の着替えをして朝食を食べさせデイサービスの車に乗せて、高校に出勤。夕方からは塾での本業。毎日13時間労働。そして休日は卓球の指導。もしくは草刈り作業。

現在は母が昨年暮れ施設に入居し、15年やってきた卓球のコーチも引退させてもらった。確かにあの生活が続いたら体調はやばかったな〜と思う。60も半ばになる男の生活じゃないな。

母が施設に入居して僕の体重は4キロ増加してしまった。卓球もやめたからね。そうそう昨年は薪割りもしなかったしね。

ワクチンが効いたのかどうかはわからないけれど、あれから風邪も引かないし、コロナにもならなかったし、持病の喘息や痛風の発作も起きなかった。

夢のことではあったけれど、感謝だね。

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2025年3月11日 (火)

記憶が消去されないのも記憶障害


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僕ら人間にとって、良い意味でも悪い意味でも制御できないのが忘却というワザ。辛いことや悲しいことは、時が経てばその体験を勝手に脚色して都合の良い人生訓や教訓に変えて、一種の虚構にすり替えてくれる。かと思えば、生々しい映像が時に激しい感情をも巻き込んで、記憶からいっさい去ることなく居座ることもある。

その選別をやっているのが、我々の脳であり、さらにその奥にある無意識の世界だ。近頃東大生などがテレビに出て、クイズ王なる戦いをやっているようだが、凄まじい記憶力だ。きっと羨ましいと思っている受験生も多いのではないだろうか。

偏差値が高いとか頭がいいとかの基準は、暗記力ということになるだろうか。僕は記憶が消去できない脳も、一種の記憶障害じゃないかという勝手な見識を持っている。一個体の人間をそれほどまでに不平等に神様は作ってはいないはずだ。

40年間塾業界に足をどっぷりと浸かってきた。その間12間年ほど高校の講師をダブルヘッターでやってきた僕だが、学年でトップクラスの生徒が、本当の意味で優れているのかというと、僕は批判を覚悟で述べさえてもらうが、NOだ。何かに特化している人間は、必ずと言っていいほど、どこかにその揺さぶりが現れる。

昭和を代表するとある歌い手は、歌の歌詞とメロディーは即座に覚えられても、買い物などのお金のやり取りはまったくできなかったという話を聞いたことがある。生徒の事例は控えさえて頂くが、抜群の暗記力を誇る生徒には、なにがしかのディフェクトが付随するケースが多い。

社会的適応能力をはかる目安を、IQや偏差値などの脳の活動にフォーカスしすぎるあまり、本来尊重しなければならない大切なものを現代人は忘却してしまっている気がしてならない。日本の教育が偏差値教育に傾き始めた頃から、日本のかつての基幹産業だった農業が衰退し、右肩あがりだったGNPが経済力の疲弊とともに疾走してきた。産業構造の立て直しが今必要だと、老婆心ながら思うこの頃である。

日本の学校教育は間違った方向に行っているのではなく、間違った価値観を若者たちに植え付けてしまった。学校の成績が良ければ大丈夫だという価値基準は、成績がかんばしくない子どもたちから夢や希望を喪失させてしまった。

そしてそのことがこの国の経済基盤を弱体化させた。

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毎年3月11日がやって来ると

生きてきて一番衝撃を受けた光景。生きてきて一番苦しみを覚えた光景。それが隣町気仙沼の瓦礫の山になった姿だった。

川を逆流してきた津波は海から2キロも3キロもある山間の家までも流し去った。

毎年暮れに塩荒鮭を丸ごと一本持ってきてくれた親戚の家は、家族全員が家ごと流されて誰も発見されないまま14年が過ぎた。

気仙沼だけじゃない三陸海岸の港町は全てが津波に飲み込まれ15900名の命が奪われた。

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気仙沼に一昨日行って来た。一見町は復興したかのように見えるが、裏通りに足を運ぶと、至る所に震災の残像が垣間見られる。

震災の年生まれた子どもたちは今年中学3年生だ。その年月の速さに僕は何故か目眩を覚える。

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2025年3月10日 (月)

僕の恩師村上徳一先生

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僕は一関修紅高校という私立高校に、17年前国語の講師として呼ばれた。

その頃僕は菅江真澄の日記に興味を持ち始めていて、日記の中に登場する神社仏閣を調べ始めていた時期だった。その菅江真澄日記は村上徳一氏の口語訳によるものだった。

職員室に案内されてふと前を見ると年配の国語の先生がいらっしゃる。職員室の先生方の座席表を見て名前を確認すると村上徳一という名前。

え!

僕が村上徳一先生に、先生の著作を読まさせていただいておりますと話かけたところ、先生もびっくり!

それからである。村上先生のレクチャーを授業の空き時間に職員室で聞けるようになったのは。そればかりか先生が大切にしている資料本も何冊か頂いた。

古事記の話題から八幡神の歴史的変遷の話まで実に楽しく有意義な話題を提供させていただいた。

村上先生との出逢いがなければ、岩手六芒星の発見はなかった。

吾妻鏡に平泉の結界の話が出て来る。その結界が本物だとしたら、吾妻鏡に登場すると言うのはあまりにも平泉が丸裸過ぎる。フェイクじゃないかなと進言してくれたのも村上先生だった。

ひょっとしたら本物の結界があるのかもしれない。僕の何かがざわついた瞬間だった。

村上先生は3年前に他界されてしまった。もっといろんなお話を伺いたかったが残念でならない。

岩手六芒星の取材の話が朝日岩手テレビさんから来た時に、1回限りの放映だろうと高を括っていたら、なんと1ヶ月まるまるのシリーズものになってしまった。

きっと村上先生がご存命で、テレビで神社を解説する僕を観たら、いろんな意味でダメ出しをしてくれただろうなと思うこの頃。さらなる精進に励みたい。

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2025年3月 9日 (日)

僕の死生観と人生観

40代50代の頃はあまり考えることはなかったけれど、60代も半ばになって考えることがある。それは死ぬと言うことの個人的な価値観みたいなことだ。

死ぬことは怖くもあるけれど、どこかで楽しみにしているところもある。行き当たりばったりの人生と言うか暮らしだったけれど、果たして今回の僕の人生は自分的には何点くらいの人生だったんだろうかと思うことがある。

生まれる時も死ぬ時も基本的には一人だ。自分に携わってくれた家族や多くの友人知人そう言った存在に自分が生かされてきたわけだけれど、自分が居なくなった後の世界と言うものを考えると、やっぱりこの世界はとてつもなく無常だなと思う。

自分が存在しない世界。自分を中心に考えれば、それはもはや世界ではなくて残像なわけで、あとは他者が創造する世界が永遠と続いて行く。

人生を思ったように生きて行くには6割が努力で4割は運のような気がする。その運をどうやって味方につけるか。

ここだけの話だけれど、僕は努力が嫌いだし、お金もなかったけれど運だけで生きてきたような気がする(笑)。

断崖絶壁に置かれた時に、なぜか救いの手が差し伸べられた人生だった(過去形で書いたけれどまだ生きていますが)。笑

公立高校に落ちた時も、再々募集で私立高校に入れてもらえたし、大学受験の時もそう。夜行列車で行ったのだけれどその夜行列車の中でたまたま暗記した箇所が翌日の入試にそのまま出るなんて奇跡が起きた。

就職の時もそうだ。卒業式が終わって就職先が決まっていなかった僕は、落ちていた進学塾にまたダメもとで電話をかけてみた。その日たまたま採用された先生のキャンセルが一人あって、僕が採用されることになった。これは運だよなと思う。

僕が思うに、自分の夢を見捨てないで夢を追い続けていると、神様がこいつしょうがね〜なって、施しを与えてくれる気がするんだよね。そうまさに施しだよね。

だから僕が他界するタイミングも、神様の施しに委ねることにしている。

運を呼び込むには、神様の施しに委ねること。僕がたどり着いた結論かな。

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2025年3月 8日 (土)

さりげなく過ぎて行く日常の中で

僕の住んでいるところは老人人口が大半を占める限界集落。僕も老人。ちょっと変な老人だけれどね。

そんな限界集落で一番問題なのは、老後の一人生活。そして自宅周辺の草刈り。息子さんや娘さんが都会に出てしまっててと言う状況ならまだいい。万が一の時は来てくれる。

問題は独身のまま高齢者になってしまった一人暮らしの世帯だ。昔の「家」という概念に縛られて、農家の長男として農地や家を守ってきた結果の一人暮らしはつらいものがある。

お墓を維持する人も居なくなり、荒れ放題の墓地も目立ち始めている。何処にでもある限界集落の風景だ。

産土神社もその通りで、荒れ果てて狸や狐の住まう廃墟となったところもある。残念なことこのうえない。

実は今テレビで放映されている岩手六芒星神社の中にも、廃れ始めていたと言えば失礼なわけだけれど、ちょっと地域から忘れさられつつあった磐座があったのだけれど、多くの方が訪れるようになり、整備され看板などが設置され御神域が整ってきて、本来のパワーがほとばしっている所がある。

一方岩手六芒星を発表して、なんか迷惑なのよね〜と苦言を呈された所もないではないが、兎にも角にも僕が六芒星を提唱したことで、神社に多くの人が参拝するようになったことは確かなことで、だからと言って神様は迷惑がってはいないだろうと思うこの頃である。

さりげなく過ぎて行く日常の中で、誰もが歳を重ね行く。たまたまお年寄りが多くなった地域を限界集落と呼ぶのは、よーく考えると失礼な話で、自然回帰集落とか、天使到来集落とか、もうちょいセンスの良い呼び名がないものかと思案するかねごん爺いであった。

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2025年3月 7日 (金)

35年前の早春神様からの言葉を二つ聞いた

今度の3月15日で僕の寺子屋は創立35周年を迎えることを先日書いた。正直言ってここまでやってこれたことが信じられない。

始めた当初は本当にこの業界ってスゲーと思った。時効になったので暴露するが、「学歴のないお前なんか塾をやるんじゃない」とか、「君のところの塾を生徒さんごと500万円で買い取ってあげるから、はやくやめなさい」とか。そんな電話がやってくる日々だった(笑い)。

進学高校を終わったわけでもない。出た大学は4流。僕が寺子屋を始めた頃は、一関の各塾長には東北大や早稲田の出身者は当たり前、東大や京大出の塾長さんさえいた。どうもがいても学歴でかなうわけがない。ただ、自分が本当にバカだったので、出来ない人間がどうやれば大学受験なるものに近づけるかという気持ちの持ち方というか、精神性みたいなものはそれなりに掌握していたので、出来ない生徒を洗脳するノウハウは持っていた(爆笑)。

35周年を前にしてさらなる暴露をするが、塾を始めたころ神様からの声を二つ聞いた。・・といっても僕は見える人間でも神様の声が聞こえるあっち系の人間じゃないのであしからず(笑い)。

一つは髭を伸ばせという声が聞こえてきた。もう一つは妊娠している女性を見かけたら、その女性とお腹のこどもに対して無事で生まれてくるように必死に願え、という言葉だった。以後35年髭を伸ばしてきたし、今も妊婦さんを見かけると心の中で必死に安産を願っている。まったくわけがわからないという方もおられるかと思うが、真実です。

僕のブログ読んで頂いている方はお気づきかも知れませんが、かなり僕は変な人間です。自称プレアデス星人なんて言っている塾長など皆無だろうし、岩手六芒星なるものを発表したり、まじめな顔で生徒たちに「人間は二種類の人間が居るだけだ。それは変態の人間とド変態の人間のみ」と毎年語り続ける先生もいないだろうと思う(笑い)。

まあそういうことで、29歳で始めた塾も35年経ったということは、僕もいよいよ本格的な爺に突入したということであります。さらなる変態性が覚醒していくと思いますが。よろしくです。m(_ _"m)

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2025年3月 6日 (木)

岩手六芒星第三回目の放映は滝神社

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岩手朝日テレビ天津木村のへぇ〜の次回金曜日の番組は岩手六芒星3回目となりまして、観音山の次は滝神社です。

他の六芒星の神社は坂上田村麻呂が阿弖流為との戦いに於ける戦勝祈願として鎮座させた神社ですが、この神社は戦勝祈願ではなく、坂上田村麻呂が北上川で暴れる龍神を不動明王を建立して封じた場所です。

滝神社の静謐感は半端ないですね。ちなみに僕は龍神オタクなので、ここの龍神さんには歓迎されているようで、この神社にお参りするとすこぶる調子がいいですね。

六芒星の神社は中国の風水にのっとって結界が作られていて、もちろんここは水です。ちなみに中尊寺金色堂がある関山は言うまでもなく金。そして鬼死骸村の鬼岩は鬼を埋めたと言っているので土ですね。

それとこの六芒星神社は結界に音も含ませています。関山と観音でカンの音で北を封印し、三島神社と鹿島神社のシマで南を封印し、滝神社と達谷窟のタで東西を封印しています。

磐座と神社と風水と音、そして六芒星の形を利用したこの岩手の六芒星結界は、発見した僕が言うのもなんですが、完璧です。

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開塾35周年を迎えるにあたりちょっと宣伝です

開塾35周年を迎えるにあたり、今月3月15日までに入塾手続きを完了していただければ、入会金(7000円)週2回コースの月謝1ヶ月分(9000円)が特典として無償とさせていただきます。と言う宣伝をやっているのですが、反応がなくて焦っています(笑)。宜しくお願いします。

今度の3月15日に開塾35周年を迎えるのですが、実感は全くないですね。まだ10年くらいかなと思っていたらいきなり35周年ですからね。びっくりですよ。

つまり自分も歳をとったわけなんですよね。29歳で塾を始めて64歳を過ぎましたからね。

35周年を迎えるこの2025年、日本が終わるだの地球の人口が半分になるだの訳の分からん動画がYouTubeにアップされ反乱しているようですが、おかげで35周年の今年は記憶に残りますね。

緑の小惑星が地球をかすめていって大災害が地球規模で生じるらしいが、自称プレアデス星人としてはそれはないと思いますね。

そう言うことで、昨日受験が終わりましたが、来年も入試はやって来ると思うので、塾の入塾を考えている家族.友人.知人.宇宙人等おられましたら、よろしく紹介のほどお願いします。

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2025年3月 5日 (水)

入試今昔物語り

今日は岩手県公立高校の入試。受験生に取っては大変な雪の日だけれど、大船渡の大火を思うともっともっと降って欲しい。

今年の岩手県の平均倍率は0.8倍。盛岡近郊と一関以外はほぼ全入状態。県内の塾が廃業に追いやられているのも頷ける。

そして私立高校は所得制限にもよるが、うちはお金がないから私立には入れらないと言う状況は昔の話となった。収入が少ない家庭では私立はほぼ無償になった。お金がかかるのは部活費や寮費。

こうなって来るとますます塾には生徒はやってこない。昔は私立に入れられないからなんとか公立に入って!と言う駆け込み寺的な塾通いがあったけれど、今は進学校を狙う生徒や中学受験をする児童ばかり。

キャパが激減した。

落ちても私立がある。いや進学を考えると私立の方がいい。そんな選択肢が増えてきた。

時代は変わった。

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それにしても桜の春が待ち遠しい。

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2025年3月 4日 (火)

異空間でマヨイガに辿りついた

登山をしていて道に迷ったことは無いけれど、普通に町を歩いていて完全に方向感覚を失って、マヨイガに導かれたことはある。まるで空間が歪んだような感覚と言えばいいだろうか。

あれは45年前のこと。19歳の春のことだった。大学生になった僕は、せっかく高い授業料を払うんだし、勉強をしなくちゃいけないよなんて柄にもなく心を新たにしていた。バイトもあるし、ギターも曲作りも封印することに決め、新学期を迎えていた。

ギターはアパートに置いていたけれど、高校時代使っていたカセットデッキは壊れて使いものにならなかったし、曲を作ると言っても録音も出来なかったので、ちょうど潮時で音楽はいいかなと思い始めていたのであった。

そのまま何事もなく過ぎていけば、根が真面目な僕は(笑)、一生懸命勉強をして得意の英語を活かして外資系の一流企業にでも勤めていたかもれない。そして将来こんな貧乏話オンパレードのブログを書くようなこともなかっただろうと思う(笑)。

ところがである。訳あって八王子から町田に引っ越したのはいいのだけれど、僕が借りたアパートは、僕の大学の軽音部が貸し切っていたようなアパートだった。偶然にしては恐ろし。

そして不思議なことが起こった。引越して来て、ある日町田を散策しているうちに、完全に方向を見失い、旧国鉄の町田駅に行くつもりが、わけのわからない通りに出てしまった。今ならスマホがあるので位置確認が容易に出来るのだけれど、なにぶん45年前のこと。焦った。

すると目の前に中古専門店の店が現れた。まさに突然現れたと言う感じだった。

大特価という派手な看板の下に、ダブルカセット式のカセットデッキが売っていた。それも外部マイクがステレオ式で繋げるやつが。録音編集バッチリのやつ。それも特価の3500円で。買ってしまった。

そしてそのことが、僕の人生を変えて行くことになる。あの日あの店であのカセットデッキに出会わなければ、間違いなく僕の人生は変わっていた。卒業式に就職が決まっていないなんてこともなかったはずだ。そして塾教師 になることも。

しかし負け惜しみではないけれど、音楽は僕にたくさんの喜びと出逢いをくれた。音楽で飯を食べることは叶わなかったけれど、数えきれないライブをやることが出来たし、ラジオやテレビで僕のオリジナルが流れるなんて経験も出来た。

あの日僕はまさに異空間でマヨイがに辿りついたのだと思っている。


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音楽の嗜好性は前世の影響?

うちの塾生にやたらと昭和歌謡が好きな児童がいる。テラサテンの歌は最高!などと言っている。

おじいちゃんかおばあちゃんが好きなの?と聞いたところ、テレビで一度聴いてしびれたと言っている。普通そんな小学生はいない。

人間は死に際、意識を失っても聴覚だけは残ると言われている。もし前世や過去世があるとしたら、音楽の残像は一番魂に残るのではないだろうか。

かく言う僕もジャズの音には訳もなく魅了される。

小さい頃家にジャズがかかっていたとか、テレビで聴いて好きになったとか一切ない。高校時代ビリージョエルのあるバムを聴いていて、間奏で流れてきたジャズのトランペットを耳にして、完全にノックアウトされた。

僕は1961年の2月生まれなのだが、同じジャズでも俗に言われるモダンジャズ、1955年前後の演奏に痺れるのである。

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場末の紫煙の中で演奏される黒人のジャズ。カウンターの端っこでバーボンを飲んでいる自分の姿がまるで映画のワンシーンのように蘇って来るから不思議だ。

僕は1950年代にアメリカ南部の田舎町に住んでいて、死んで5年ほどしてこの岩手に転生したのだろうか。妄想が膨らむ。


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2025年3月 3日 (月)

ブレーキを踏む概念がないのかもしれない

買ってきた古着のジャケットが気にいると、ずっと着ている。珈琲豆はブラジル豆。最近飲む酒はジンの炭酸割り。気にいると変化を求めない人間なんだろうと思う。故に塾教師も40年続けることが出来ただろうし、現在の寺子屋も35年間続けてこれたのだろうと思う。

一つのルーティンが確立すると、よほどのことがない限り継続し続けてしまう。長所でもあり欠点でもある。

若い頃、本にハマってしまうと、毎日1冊は読んでいたし、好きなミュージシャンができると、飯代をレコード代に変えて買いまくっていたし、どうにも止まらない性癖に嫌気が差す自分がいた。

その典型が神社オタクにも及び、気になる神社があるととことん深みにハマってしまい、僕の妄想は宇宙開闢まで拡張してしまい、地面に舞い戻ってこれなくなることも多々あった(笑)。

卓球もそう。曲作りもそう。お酒がやめられないのもそう。そしてこのブログもそう。始めてしまうと、ブレーキを踏むという概念がないのかもしれない。

間違いなく病気だと思う。そうか貧乏なのもそうだったのか。そろそろ脱却しないとな・・・

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久しぶりの妻とのデート

日曜日に映画ファーストキスを妻の要望で二人で観てきた。

避けられない死をテーマにした映画だったが、最後は見事に号泣させらてしまった。運命は変えられないかもしれないけれど、人生の中身は変えられる。そんな映画だった。

映画の中で主人公たちの夫婦生活が、夫の事故死という形で終わってしまうのだけれど、その15年間の生活のバリエーションがあるきっかけで変わって行く。その変遷が切ない。

我々夫婦はあと2年で結婚40周年を迎える。いろんなことがあった気がするが、あっという間の時の流れだった。映画を観ながら、もし僕が妻と出会わなかったら、どんな人生だったろうか。塾教師をしていただろうか。いやこうして生きていただろうか。そんなことを考えていた。

妻は38年前に神奈川から岩手に嫁いできた。人生に於いて岩手の生活の方がはるかに長くなった。都会暮らしよりこの里山の暮らしがずっといいと言う。

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シュタイナー教育をベースにしたアトリエ教室を自宅でやっている。現在僕がリフォームした納屋を活用したくてうずうずしている。水回りやトイレ、屋根の葺き替えをクラウドファンデングでやろうかななどと2人で考えたりしているのだけれど、やるべきことが多すぎて模索で終わっている。

さて高校入試も2日後になった。年度末の様々な会議等も目白押しだ。がんばろう。

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2025年3月 2日 (日)

岩手六芒星シリーズ放映2回目雑感

岩手朝日テレビ天津木村のヘぇ〜にて、岩手六芒星2日目の放映が終了しました。

僕のアップの多さにたじたじ。僕の禿げ頭がアップになるたびに、帽子を被るかバンダナでもしておけば良かったと思いましたが、禿げ爺いも僕のキャラなので良しとしましょう(笑)。

それにしても僕が喋ったところはほとんどカットなし、なんか感激ですね。先日も話したように、新聞で評論をシリーズで書いた時はNGワードをだいぶ削られましたからね。今回の六芒星の解釈に関しては一切編集なしで流していただき感謝です。

テレビ局のディレクターさんとも非常に相性の良さを感じた取材でした。

今まで多くの新聞社の記者さんやメディアの方々から岩手六芒星について取材を受けてきましたが、眉唾物というのか疑い深い視線は結構ありましたね。

岩手六芒星の神社は、中尊寺の白山神社と中心をなす配志和神社は別格として、その他の全ての神社は坂上田村麻呂が神社や観音堂を勧請して今の神社の信仰の土台を作ったこと。そしてその建立の場所には磐座があること。

さらににはこの六芒星を取り囲むように等間隔で後三年の役後、源義家等によって八幡神社が建立されたこと。

田村麻呂の時代に、桓武天皇によって平安京が造営された際に、陰陽道による設計がなされ六芒星の結界が施されたこと。

故に蝦夷阿弖流為に何度も放逐された征夷大将軍の汚名を果たすべき、最終兵器として遣わされた坂上田村麻呂が、京都の秀でた陰陽師を同行させ、結界を作らせたことは想像出来るよね、と言うのが僕の主張。

この僕の見解に猛烈に反応してくれたのが、週刊プレーボーイの編集者さんと河北新報さん岩手日々新聞さんそして岩手朝日テレビのデレクターさんということだった訳です。

ただ僕の愛読書だった学研ムーの編集者が食らいついてこなかったのは残念でしたね(笑).

全国の方々も見れるように後日テレビ局が岩手六芒星シリーズをYouTubeにアップしてくれるそうです。その節はまたこのブログでご報告させていただきますね。それでは。また来週をお楽しみに。


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2025年3月 1日 (土)

なんかあの時からずっとバイト生活だった気がするのだけれど

今日は非常勤講師で行っている一関修紅高校の卒業式に参列してきた。

PTA会長の祝辞と前生徒会長の答辞で、完全に涙腺が崩壊してしまい。まいった。爺いになると涙脆くなって困ってしまう。

市内ほとんどの高校が卒業式。卒業式を迎えた生徒達は大震災の時は4歳か5歳の時。東日本大震災をしっかり記憶している最後の世代かも知れない。

そして大震災で苦しんだ大船渡が今度は火事で大変なことになっている。高校の同僚の先生の中には実家が大船渡という先生もいる。心配だろうと思う。

自分の高校の卒業式をふと思い出すのだけれど、不安だらけで感動して想いに耽るなんてことはなかった気がする。東京の私大に行くことは決まっていたわけだけれど、大学に対する期待よりも、4月からどうやって生活して行こうかという不安が心を占めていた。

家庭教師のバイトからキャバレーの呼び込みまで、多種多様のバイトをこなした4年間だった。社会勉強になったバイト生活だったと思う。

なんかあの時からずっとバイト生活のような人生だったような気がするのだけれど、気のせいだろうか(笑)。

新成人18歳の門出は実に初々しい。しかしその初々しさとは裏腹に、一気に社会の荒波に揉まれて行く人生はたやすくはない。

お金のこと。人間関係のストレス。若さゆえの奢りとそして絶望感。それらとの関わりを避けては通れないのが青春の苦悩でもありそして醍醐味でもある。

卒業式が終わり涙で目を真っ赤にした爺いの横を、教え子たちは晴れやかに通り過ぎて行った。幸多き人生であることを願わずにはいられない。


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