究極論を言えば人は全員死んでいくと言う点に於いては平等だ
小学校から高校まで必死に勉強していい大学に入って一流企業に入る。
普通高校を終えて近くの工場に勤務する。この人生に何か大きな違いがあるのかと考えてみると、実はないんだと思う。
どっちも満足していれば、差異はないと思うね。たとえ収入に差があるとしてもだ。
お金があると高級マンションに住んで高級車を買うかも知れない。4万円のアパートに住んで、スクーターで勤務する日々と何が違うかと言えば、やっぱり差はないね。
幸せとか喜びなんてものは、現状維持が出来ないんだよね。やっかいだけど人間ってそう言うもんだよね。
究極を論じれば、人は全員死んで行くってことに於いて平等だ。お金持ちも貧乏人も同じように死んで行く。
ちょっと高い棺桶に入れるかどうかの違いはあるかもしれないが、火葬されて骨と灰になって行く。
もし仮に、学歴があっていい企業に入った人が天国に行けるなんてことがあれば、みんな慌てふためいて勉強していい高校いい大学を目指すかも知れないが、まず間違ってもそんなことはないね。
逆に高学歴を鼻にかけて、多くの人を傷つけて地獄に落ちて行ったりしてね。
今日の僕は何が言いたいかと言うと、苦労する人生も豊かな人生も、自分の想いしだいってこと。それだけのことなんだと思う。
世の中の常識ってやつが作った幻想に惑わされ、買わなくてもいいものを買ったり、行かなくてもいいところに行ってみたり、そんなことが多いよね。
塾をやっている僕が言うのもなんだけど、人間の能力や才能はそれぞれなんだよね。自分の能力を過信することも自分の才能を卑下することも、最終的には人生の流れには乗れないと思うんだ。
勉強することで見えてくる自分の姿ってのがあるからね。自分の方向性を見極めるためにもある程度の勉強は必要かな。あくまでもある程度のね。
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