わたしが誰なのかわからない
確かこんなタイトルの本があった気がするが、まさに自分を知ると言うことは意外と難しい。
人にはおのずとそれぞれの役割があり、その役割に同調したキャラクターが身についている。父親の役割。会社での上司としての役割。そして夫としての役割。遊ぶ仲間での役割などなど。
どこまでが素で、どこからが自分の演技なのか、その境界線を確実に熟知していれば幸いだけれど、自分のキャラがボーダレスになってしまう瞬間、人は戸惑いは隠せない。
ここは怒っておくべき状況だと認識する自分がいる一方で、いややっぱりやめておこうと言う内なる声がある。
感情をコントロールする機能が優れている人に限って、その限界値がマックスなった時は大変だ。
自分が誰なのか自信を持って認識している人は幸いだと思う。僕のように先生と呼ばれる仕事の日常の中で、その先生を否定しなければならないことがあると、その切り替えが時としてストレスになる。
自分は先生ではないけれど先生なのか?そんな自問自答をしている自分はやはり自分が誰なのかを本当は理解していないのだと思う。
僕は妻をお母さんと呼ぶと、妻に怒られる。私はあなたのお母さんではないと言うことらしい。でも妻は僕をお父さんと呼ぶ。やっぱり自分が誰なのかわからなくなってしまう(笑)。
自称プレアデス星人と嘯いている時の僕のキャラは、超古代文明を宇宙人が作った文明だとか、キリストやヤハウェは、宇宙人が地球に送り込んだミッションだとか話している自分なわけで、塾や高校で関係代名詞と関係副詞の相違をねちねちと解説している自分のキャラではない。
わたしが誰なのかわからないと言うのは、実は多くの人が抱えている日常ではないのだろうかと僕は考えている。
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