岩手六芒星とアラハバキ神の磐座
※岩手六芒星がテレビで取り上げられて、いろんな方よりアラハバキについての質問をいただきます。数年前に書いたアラハバキの僕の考察を再掲載します。
岩手六芒星を提唱して以来、友人知人の皆様からアラハバキ神についての質問が多くあります。今日は僕なりの考察を。アラハバキは日本の中央政権が、八幡神を勧請する以前の土着信仰の磐座やある種の聖域の尊称であると思います。
人間の脳細胞は、その領域のわずか3パーセントも使われていないと言われますが、僕はこれは人間の退化現象なのではないかと考えています。つまりは使わなくなって退化した能力が堆積しているのが今の人間であると。動物たちと会話する能力だとか、森の木々と語り合う能力のような、縄文時代以前の人間が持ち合わせた能力を文明の進化と共に、喪失してきたのが現在の人間の姿であると思っています。それを多方面からみれば進化と言うわけですが。
東北各地に伝承されているアラハバキ神のほとんどが、山の山頂などに鎮座するある種の巨石です。それもピラミッド型の美しい山の頂にアラハバキ神の磐座が祀られていることが多いようです。縄文時代中期までは、東北は北上高地や奥羽山脈を除いてほとんどが海面でした。奥羽山脈は火山性の大地ですから、古代の人々が定住したのは必然的に蛇紋岩等の安定大地である、北上高地ということになります。
海に出て漁をする際に、ピラミッド型の山は目印になります。ところで「アラハバキ」をアイヌ語に照らし合わせてみると、arpa-pake という言葉と遭遇します。これは、行く(発つ・出発する)・首領(頭)、などの意味になるらしですが、海の漁に出る古代人にとって、出発する山の目印は、帰って来る時の目印という事になります。そういった山の巨石に、海洋の安全を期して何らかの信仰を託したことは、想像に難くないですね。
これから先は全くの僕の独断と偏見ですが、古代の巫女的な存在は、岩と会話が出来たのではないかと思います。会話というと語弊がありますが、岩を利用して大地の鼓動を体感出来たのではないかと。地震や噴火などの天変地異を岩を通じて予知していたのではないかと僕は勝手に思っています。
つまりアラハバキのような信仰の対象になった巨石は、置き石ではなく、地中深くまで堆積している岩だったのではないかと思います。衣川の三峰神社も舞川のうどが森もそして舞草神社がある観音山も、綺麗なピラミッド型の山です。そして古代から信仰されてきた巨石が鎮座しています。間違いなくアラハバキ神としての信仰対象の巨石だったと思います。
僕はこれらの巨石を前にするたびに、古代の巫女が舞っている姿を想像してしまいます。想像と言うより幻視に近い感じでしょうか。アラハバキの巨石が発している電磁波などを計測できれば、きっと何か面白い数値が出てくるような気がします。
白波漂う浅瀬の海洋にぽっかりとそびえ立つ観音山や月山そして欄梅山を想像すると、なんかわくわくしますね。
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