鬼死骸村の鬼石と観音山の磐座ライン
一関旧鬼死骸村に鎮座する鬼石から舞川の観音山に向かうラインはまさに一関を一関たらしめているレイラインである。
岩手六芒星結界のまさに中核をなすラインと言っても過言ではない。
僕は鬼死骸村の鬼石の前に佇み、観音山を眺めると、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の使命を帯びて、陸奥奥州にやってきた時の彼の気概と霊格とも言えるパワーに想いが及んでん行く。
鬼死骸村の奥州街道から北上川を越えて観音山に向かうこの道筋が、蝦夷討伐に失敗したかつての将軍たちの鬼門であり、言わば阿弖流為や母礼たち蝦夷が死守してきた陸奥の玄関口的要塞でもある。
坂上田村麻呂は鬼死骸村のこの地に鹿島神社を勧請し、軍神であるタケノミカズチノ神を守護神とし、そして観音山のアラハバキ神である磐座を封印すべく観音堂を建立し、いわゆる陰陽道的呪術を施した。
南の要石は、鬼石と言う伝説を標榜したことで国道4号線の工事に時も、東北本線の工事の時も、その位置を1センチたりとも動かされることはなかった。前九年の役や後三年の役等の古代の戦の中で、アラハバキ神や中央政権の神神との宗教戦争の舞台になってきたこの鬼死骸村の鬼石は、まさに現代に蘇ったパワーストンである。
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