学歴その光と影
先程自分の大学の偏差値なるものをぐぐって見たら、低いのなんのってこりゃ誰でも入れるわと、自虐的になってしまった。
私立大学は関東圏に限って言えば、早慶・成蹊・明治・明学・上智・青山・立教・法政・中央・学習院・國學院・成城・獨協・東京理科大そして日東駒専以外(医療系は除く)の大学は偏差値表上のアップダウンはあるけれど、高校での評定が4以上有ればほとんどが推薦で入れるし、受験対策を取っている普通高校で普通に受験勉強さえすれば合格出来る状況だ。
つまり偏差値45以下の私立大学は選ばなければ全入の時代に突入した。
僕らの時代のような倍率10倍だとか20倍と言う過去はまぼろし〜と言うことだ。1970年代300あった大学が現在は3倍の900になっている。過半数以上の大学が定員割れだ。
前回の記事で予備校倒産の記事を書いたけれど、まさに受験界の状況はこう言う感じである。
大学を出たとしても残念ながらその学歴が自分の精神的支柱とはならなくなっている。誰でも入れる大学を終えたところで、それがなんなんだと言う自他共に認める学歴の空虚さが社会に蔓延している。
一流大学以外はそんなに大卒学歴のメリットはないよと言われてしまうと、莫大なお金をかけた意味がなくなるわけで、これは確かに動揺するね。実は僕も(笑)。
そもそもこのような少子高齢化の時代がやってくることなど、東大卒が集結した文科省の役人達は知っていたはずだ。それにもかかわらず、次から次へと大学を認可していった文科省にもその責任は大である。
大学を終えたのに高卒と同等の待遇なんて言う状況も増えている。
学ぶ機会を広げるつもりが、その学びの質をおとしめるだけでなく、社会に出る日本人の若者たちの自信さえも失わせ、社会に出る不安を助長させている。
お金の問題もあるだろう。結婚の問題もそうだ。自分が選択した仕事が本当に自分が望んだものかと言う問題もある。
本当は頭の良さは学歴じゃないんだよね。わかっている人はわかっているはずだけれど、社会という欺瞞がそれを沈黙させる。
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