最後に目にするもの
昨年の夏は猛烈に暑かった。朝高校に向かう途中、いつも立ち寄るセブンイレブンがある。僕はそこでいつもホット珈琲を買って、職員室に持ち込み、授業の準備をしながら一息つくのが日課になっている。
そのセブンの外で、工場の制服を着てコーヒーを片手にタバコを吸っている、僕と同年代くらいの男性にほぼ毎日出会う。
彼は歩いて通勤していた。昨年の8月末、僕が車で工業団地の坂を下って行くと、数人の人が集まっている。見ると例の彼が歩道の草むらに倒れていた。救急車がちょうどやってくるところだった。
彼はいつものようにコンビニでコーヒー片手にタバコを吸い、坂道を登ってきたのだと思う。そして彼は倒れた。彼は胸に会社のネームプレートを付けていたので名前は知っていた。
一週間ほどしてコンビニ近くの葬祭場に彼の名前の立て看板が設置された。亡くなられていた。
雨の日も雪の日も工業団地の坂道を登って行く彼の姿を鮮明に覚えている。
いつもコンビニ弁当をぶら下げていたので、ひょっとすると1人暮らしだったろうか。
草むらに倒れた彼が目にしたものは8月の青空だったろうと思う。救いなのはアパートの天井を見ながら終焉を迎える孤独死ではなかったことだろうか。
ふと自分が人生で最後に目にするのはどんな光景だろうかと考えてしまう。
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