虚な視線の先に
法政大学の授業中に起きた、女子学生のハンマー投打事件。逮捕後の彼女の虚ろな視線が声なき言葉の悲哀を感じさせる。
韓国籍の女子大学生が日本社会で何を思い何を感じていたのか、疎外感が事件の鍵を握っているようだが、その背景には、日本社会の目に見えないヒエラルキーが横たわっているように思われる。
自分の家庭環境・祖先の脈絡・学歴・経済力・そして帰属する組織、そう言ったものの総合的な要因が真綿の如くまとまりつくのがこの社会で生きると言うことの意味でもある。
先日宮城の塩竈神社にお参りして来た。境内周辺において交わされる会話は日本語より中国語の方が多かった。
平泉もそうであるが、外国人観光客が大挙して訪れている。外国人イコール裕福というイメージが定着しつつある日本に於いて、外国人に対するある種のコンプレックスが、日本人のプライドを喪失させている感がある。
かつては中国や韓国からの留学生は生活が大変で、僕らが学生の頃には、バイト三昧の苦学生が多かった。
ところが現在日本の有名私立大学に通う中国や韓国の留学生の仕送りが20万円を超えているというから驚きだ。日本の大学を出てもらう初任給でさえも、一般的な手取りではそんな金額はもらえない。
金銭感覚や異文化の軋轢では無くて、個体存在そのもの軋轢が生じている。今回韓国籍の女子大生が疎外感から精神のバランスを壊しハンマーを手にしたのではなく、ハンマーを振りかざした学生がたまたま韓国籍の女子学生だったのだ。
僕はそう思っている。
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