家族のために命をかけて働く
新年早々過激なタイトルで恐縮です。結婚をして子どもが生まれれば、大抵の男たちは、必死で家族のために頑張るよね。
そこには嘘偽りのない家族愛とそして男としてのプライドが横たわっている。自分の能力や資質を客観的に見定める前に、まずは行動を起こし世の中に自分を晒して行く。生きるために。
明日の飯代がなくても、明日はやって来る。小さな寺子屋塾にお金を融資してくれる銀行など昨今ない。自分の持っている能力と直感とそして運を信じて舵を取るしかない。そんなことをずっとやってきた。
世の中で成功した人間はたまたま成功したような話をするけれども、やるべきことをやってきたからこその成功であって、たまたまの成功などと言うものはない。
同じように失敗するにしても、たまたま運が悪くてなんて言う失敗はないのだ。失敗してしまうのにはそれなりの理由が必ずある。
お金に縁遠い人生だったけれども、29歳で始めた私塾を34年間続けてこれたことに、それなりの感慨はある。
ひょっとすると、塾を開きたいと思っている人が僕のこのブログを読んでいるかも知れない。厳し業界ではあるけれど、やりがいのある仕事だと思う。
電卓が普及してもそろばん塾が存在しているように、リモート授業が普及しても対面形式の学習塾は存在して行くと思う。生徒が求めているニーズを掌握さえできれば生き残れる産業だと僕は信じている。
あそこの塾に入ったら合格出来たと言う評価は、僕が住んでいる田舎町では皆無だ。倍率が1倍を切っている状況では落ちようがない。
僕の塾ように安さを標榜するのは危険がある。かなりの生徒を集めないと採算が合わない。
かつて僕の塾の周りにもいくつかの塾が開校した。しかしそのほとんどが数年で撤廃した。僕の塾の安さには太刀打ち出来なかったようだ。
最初から塾一本では生活出来なかったので、今日のタイトルではないが僕は命をかけて家族のために働いた。稲作農家も園芸のバイトも私立高校の非常勤も、短大の講師もそして近年では、岩手六芒星のツワーガイドも。頼まれればなんでもやってきた。
でも根性や努力じゃないね。家族への愛だね。
あとどれくらい走る続けられるのか、僕には分からないけれど、兎にも角にも見えないゴールに向かって前進あるのみだと思っている。
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