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2025年1月

2025年1月31日 (金)

1日に400ページ閲覧する人

僕のブログを先日1日で400ページほど閲覧していった方がいた。どんな人なんだろうと想像してみるけれど知る由もない。

10年くらい前もそんな方がいた。解析ツールでその時は分かった。某市役所からの閲覧だったので、きっと暇な職員が仕事をするふりをしてこのわくわく日記を読んでくれたのだと思う(笑)。

自分が所属しているところが知られたくない方は、市役所や県庁や国立大学等のパソコンからは閲覧しない方がいいかもですよ。ブログの解析ツールにしっかり出ますからね。スマホなら大丈夫。

ブログを書いていてふと思うことがある。僕のブログ記事っておもしろいんだろうかと。

ほぼ貧乏話で、教育の話なんて一か月に2、3回ぐらい。塾ブログとは名ばかりの貧乏日記だよね。

僕のブログを読んだら、貧乏暮らしもそれで乙かななんて思っていただければ、ありがたいね。負け惜しみだけれど。

僕が子どもの頃、我が家は生活保護家庭だったことをブログでカミングアウトしてから、月謝の滞納がほぼなくなったんだよね。過去のことなんだけれどね(笑)。

江戸時代は我が家は肝入りだったらしい。まあ小さな村落の庄屋ってとこかな。僕で18代続く農家だね。

ところが明治になってよくあるケースで完全に没落してしまった。村の人達の保証人になって、家も蔵も山林も全て無くしたって祖父から聞いたね。

今毎年僕は甲子園球場ほどの休耕田の草刈りをしているけれど、この土地は父と祖父が原野を戦後開墾して作った田んぼなんだよね。大変だったと思うよ。

故に僕は荒らすことが出来なくて一生懸命草刈りをしているってわけ。申し訳ないもんね。

やべ。今日も貧乏日記になってしまった。

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2025年1月30日 (木)

ひだまりの中で

還暦を過ぎた爺さんが縁側で猫を抱いて日向ぼっこをしている。そんな光景をよく目にしたことがある。子どもの頃に。

人が長生きするようになって、人生設計を変えざるを得なくなった。60代はもはや老人ではなく熟年の働き盛りだ。嬉しい反面大変だ。老後と言う言葉が消滅しつつある。

現代社会において癌や認知症の発生率が高くなっていることが問題視されているが、かつては癌や認知症になる前に脳梗塞や心筋梗塞で亡くなっていたのだと思う。寿命が伸びて80年以上生きることが普通になってきたが故の病理現象だと思う。

僕も今度の誕生日が来れば高齢者に大手だ。でもひだまりにの中でボーとする時間はない。若い頃の方がボーとしていた時間が多かったので、相殺すればちょうどいい感じなのかも知れない(笑)。

最近頭が良いこととIQが高いことがどれだけ関連するのかを考えていた。年を取るとどうでもいいようなことが気になってしょうがない。

いろんな本を調べてみると、 IQの高さは遺伝するらしいけれど、頭の良さはそれほど遺伝子とは関係ないらしい。つまりIQが高くても向上心がなかったり性格的に問題があると世の中の人は優秀とはみなさいようだ。

子どもの能力発展に一番影響するのが経済的問題と、両親の関係らしい。

塾教師を40年もやってくるとそりゃいろんな生徒を見てきた。お金を持っている家はやっぱり教育にお金をかける。言葉は悪いけれど、平均的な生徒でもそれなりのいい大学に入るし、仕事もお金になる職業に就く傾向は間違いなくある。

お金があるうちの子どもは、先生塾って儲かるんですかとは絶対聞いてこない。聞いてくるのは失礼な言い方だけれど家計が苦し家庭の子ども。

裕福な家の子どもは、仕事は儲かるものだと言う揺るぎない確信を持って生きているのだと思う。そしてその確信が現実を作っていく。

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2025年1月29日 (水)

舞い降りた日

突然素晴らしいひらめきや💡直感みたいなものが舞い降りて来ることってあるよね。神がかり的に。

僕は人生で3度あった。一度目は中学の時の卓球の試合で。

中学1年生でその日僕は決勝戦まで勝ち上がったのだけれど、相手の打ってくる玉がまるでスローモーションのように見える瞬間があって、不思議な感覚で試合をしていた。俗に言うゾーンに入ったんだろうと思う。卓球の神様が舞い降りたのかも知れない。

2回目は20年前。作詞作曲をしていた時に、『かぶとむし』がまさに舞い降りてきた。詞もメロディも30分で出来上がった。この歌はいろんなところで歌わせてもらった。ラジオでもテレビでも。この歌のおかげで若い頃の夢の残像を消去できた気がする。

シンガーソングライターになりたくてずっと歌を歌い続けてきた若かった頃の自分が、この歌で報われた気がしたね。

そして3度目は、岩手六芒星を発見した時だね。導き以外のなにものでもなかった。神社や磐座巡りが好きになったのも、龍神さんが好きになったのも、今になって思えば、何かが僕に岩手六芒星を見つけて欲しがっていたんだね。

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塾の教室で地図上に六芒星を描いた時に不思議な体験をした。

窓を閉め切っていたはずなのに、六芒星を描いた瞬間に一陣の風が吹いたんだよね。7年前のことだけれど鮮明に覚えている。

阿弖流為(あてるい)や坂上田村麻呂の戦いの行く末を決めた六芒星の磐座。その結界が世に出るタイミングに新型コロナが現れたのも偶然ではなかったのかも知れない。

自称プレアデス星人の旅はまだまだ続きそうだ・・・

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人生ってシンプルだよね

悩み多き人生って言うけれど、生きて行くことって結構シンプルだよね。

毎日飯を食べて寝て排泄してそして子孫を残して死んで行く。言ってみれば人生の意義ってそこだよね。

その過程を複雑にしているのが、経済であったり精神や感情の流れであったり、宗教や哲学だったりする。つまりは考えることで我々人間は生きることを複雑かつ困難にしているかも知れない。

僕らは学ぶことは大切だと言われて成長してきた。でも知ることでためらったり、不安に陥ることは多いよね。

知らなければ幸せに暮らせたのにってことあるよね。でも人間って不思議なもので、不安になることで行動を起こす生き物だから進化してきたんだよね。

受験勉強して、英語や数学や歴史なんかを学ぶ。ちょっと賢くなってもっと多くのことを学ぼうとする。それを向学心と呼ぶわけだけれど、その結果人生の成功が確約されたような気になるところに、実は落とし穴があるんだよね。

溜め込んだ知識を行動に移すことで学びは活かされるんだけれど、それをしないで結局愚痴だけを言う人間が増えて行く。幸福度が低下するわけだよね。

人生はシンプルなんだよね。自分が持っている知識なり技量を発揮すれば間違いなく生きていけるのに、違うスペースに違う幸福や悦楽があるよう気がしちゃうんだよね。

情報を遮断する勇気も時に必要な気がするね。

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2025年1月28日 (火)

そう言うことで

全く個人的な嗜好ですが、僕は頭が良くてずるい人間が大嫌いです。ずるいと言う形容詞は曖昧ですね。利己主義が服を着て歩いているような人ですね。

お金にならないことはしない。ついでにお金のない人を見下し、小馬鹿にする人。

学生時代にもそんな奴はいましたし、日常を眺めてもいますね。

職業に関係なく言いますよね。

昔新婚当初、お金がなかったので雇用促進住宅に住んでいました。妻と月一くらいで赤提灯に飲みに行くのですが、本当はやっちゃいけないんでしょうけれど、タクシー代も代行代ももったいなので、自転車に2人乗りしていくんですよ。そして帰りは2人で酔っ払ってふらふらになって自転車を押して帰って来るんですよね。

若かったのでそんなことも楽しかったですよね。でもその大事な自転車盗まれてしまいましたけれどね。

僕はずっと貧乏暮らしだったじゃないですか。だから分かるんですよね。なんか同情されているとか上から目線で見られているとかね。

実はね。こうやって寺子屋をやりながらブログを書いているのは、過去のそういった屈辱への反抗心なんですよ。

金はないけれど負けないぞと言う気持ちだけが支えって感じで生きてきたような気がするね。

ボランティア夫婦なんて揶揄された時もあるけれど、上等だよね。

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塾教師のさりげない日常

今まで母を起こして着替えさせて朝食を与えるのが8年くらい日課だったけれども、先月から施設に入居したのでちょっとだけ起きる時間が遅くなった。

6時10分起床。薪ストーブに火を点火。佐惣珈琲豆店のブラジル豆を挽いてドリップして僕の1日が始まる。ちなみに草刈りシーズンは4時40分起床だ。

8時過ぎ一関修紅高校に向かう。僕の授業は午前で終わる日もあるし、最後の6時間目まである時もある。指導教科は英語と国語。

午後3時35分塾に入室。早い生徒は4時にやって来て指導がスタート。寺子屋式の個別指導なので、小学3年生から高校3年生までクロスオーバーの指導だ。小学生中学生は全教科自由選択なので、僕の脳みそは時空を駆け回る(笑)。

ところでこのブログは、スマホで入力することが多くなったので、早朝家で打ち込むこともあるけれど、高校で授業が空いた時間や、昼時間に打ち込むことも増えた。空いた時間をちょくちょく利用する感じ。

塾の仕事は9時過ぎに終了。途中スーパーに寄って、半額処分になっている食パンやお惣菜を買って帰宅。10時に夕食。今は寒いので控えているけれど、暖かくなれば自作の納屋cafeで1時間ほど酒を片手にジャズを浴びる。就寝は12時頃。

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だいたいこんな日常を送っている。先日も書いたけれど、土曜日、日曜日は地域のボランティア役員の仕事や雑事に追われて行く。

このルーティンを続けられるところまで続けるつもりですね。

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2025年1月27日 (月)

貧乏人向けの商品と言うフレーズはない

YouTubやFacebookを閲覧していると、スマホで僕がチェックを入れた画像や記事をAI がキャッチして、僕が興味がある映像やCMを流して来る。AIの進化に驚きだ。

僕がリフォームやDIYの記事を書くとそのようなリフォームの映像が入ってくるし、ジャズの話を書くとマニアックなオーディオの通販のコマーシャルが入ってくる。

ひょっとしたら結婚したいな〜なんて書くと婚活アプリの宣伝が入って来るのだと思う。スマホやパソコンを通じて、僕らの趣味嗜好があぶり出されているわけだ。

思想チェックにも利用されることになる。便利ではあるがゆえに、国家権力や大手企業に利用される危険性はある。いや既に利用されているか。

利益至上主義の資本主義社会に於いて、お金を持ったものが勝ちと言う価値観が常識化した現代社会で、お金が無くても大丈夫とはなかなか言えない。

せめて楽しく生きたいと願っても、その楽しみの土台にはやはりお金は必要となってくる。

高額所得層をターゲットにした商売はいっぱいある。新築のマンションの分譲や数億円も加入料がかかる高級老人ホームの勧誘。目も跳び出るほどの貴金属の訪問販売などなど。

一方貧乏人をターゲットにした商売と言うフレーズは聞かない。企業はそれを一般大衆向けと表現する。

つまりはスマホ上に現れるコマーシャルは一般大衆向けなわけで、ほぼ詐欺的商品が多い。僕も騙されて1万もする電動ノコギリを買ったのだが、1日で壊れてしまった。保証先のアドレスは既に消去されており、まんまとやられてしまった。

貧乏人は騙してお金をむしり取れと言うことなんだろうと思う。高いお金を払って学習させてもらった。

現代テクノロジーが詐欺商法までもある意味進化させている現実に、やんごとなき思いが募るかねごんであった。

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静寂の中で


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山里に夜の帳が下りると、一気に気温が下がり雪が少ない今年のような冬でも、身体は縮まる寒さに襲われる。

薪ストーブの暖かさがようやく身体に浸透してくる頃、突然日本鹿の咆哮が山にこだまする。

獣たちも冬の環境は大変だろうと思いつつ、僕は休日の夜に楽しむ晩酌に思いを馳せる。

大学の共通テストと附属中の入試が終わると毎年この時期に訪れる胃痛が緩和する。あとは結果は結果として、受け入れるしかない。

里山の静寂の中で、じっと春を待つ命たち。早くもふきのとうが、川べりの土手に顔を出した。そして2日前から目が痒くなってきた。花粉症だけは歓迎したくないのだけれど、これも命の流転。

昨年の草刈りが終わって、本来は薪割り仕事に突入するのだけれど、今回はいっさい薪割りをしなかった。数年ぶりに読書に明け暮れている。それも小説に。

3年前に本の断捨離をしてかなりの蔵書を処分したのだけれど、また読書病が始まってしまった。

薪ストーブの前で、珈琲を飲みながら読む小説。その静寂さがたまらない。

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2025年1月26日 (日)

日曜日なのにね

今日は日曜日で仕事はないけれど、何故か6時起き。地元の公民館の朝掃除。先週の日曜日は地域のどんと蔡で午前中出ずっぱり。

つまり日曜日はあるけれど、本来の日曜日はほとんどない。

失礼だけど都会の方なら殴り込んでくるんじゃないかな。プライバシーの侵害だとかなんとか言って(笑)。

農村は兎にも角にも、共同体意識と奉仕精神が日常をいい意味でも悪い意味でも支配している。冬はそれでも草刈り奉仕がないので楽だ。

全部の農村がそうではないらしいのだけれど、自分の田んぼから近い県道や市道の土手は自分の土地じゃなくても農家が草刈りをすることが、暗黙の了解になっている。ものすごい労力である。もちろん僕も刈っている。

おそらくこれを業者に発注してやるとなると、僕の家の前の道路の側溝の草刈りだけで年間20万円くらいはかかると思う。ふ〜って感じだ。

昨年まで母校の中学の卓球のコーチをやっていたので、日曜日は午前及び午後のいづれかは体育館。我ながら15年間よく頑張ってきたと思う。

そう言えば今日は卓球の全日本選手権決勝が行われた。先週塾生に松島くんが優勝するねと言ったら、本当に優勝を遂げた。17歳の松島くんおめでとう。

さて明日からまた1週間が始まる。あれ来週の日曜日は何かあったけ?知らんぷりしようかな。(笑)

気が弱いからな。さぼれないよな。

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2025年1月25日 (土)

時空を超えて

自称プレアデス星人だけに、僕の思考はちょっと普通の地球人とはずれている。

そのずれた思考のおかげか四半世紀、風邪をひいた等の体調不良で仕事を休んでことがない。ただしやばかった時はある。それは東日本大震災の2ヶ月前ほどから胸が苦しくて歩行困難に陥って大変だったことだ。

青息吐息でなんとか受験指導をこなしたけれど、病院に行って検査を受けても異常なしと言われるし、途方に暮れていた。

それが大震災が起きて、僕の身体は嘘のように回復した、あれはなんだったのだろうか。

自称プレアデス星人の僕は一切のワクチンを接種していない。もちろん今回のコロナワクチンもである。ちなみに一度だけインフルエンザワクチンを接種したことがあるのだが、気管支喘息に苛まれプラス肺炎になり大変だった。死ぬかと思った。それ以来一度も打っていない。

癌細胞をだけをやっつける薬を10 年も20年も研究してきてのにいまだ出来ず、癌の抗がん剤は正常な組織までダメージを与えざるを得ないのは医学の常識だ。

それなのにわずか数ヶ月の研究で新型コロナウイルスだけを抹消する薬など出来るはずがないと僕は自己判断し、接種はしなかった。きっとあの薬は人間の免疫力を低下させる、と僕はおもった。

接種後僕の知る何人かのお年寄りが癌になり他界してしまった。ちなみに僕の母が8年前にくも膜下で倒れた時にぴんぴんしていた人たちがである。僕は母にも打たせていない。母は一度コロナにかかったけれど、ちょっと熱がでて鼻水が出たくらいで直ぐ回復した。

国はお年寄りや病歴がある人は接種をするようにとテレビを使って啓蒙したが、僕は疑問符でいっぱいだ。

ワクチンを打って助かった人。ワクチンを打って命が縮まった人がいる。人は間違いなく全ての人が死を迎える。自分を守るのはやっぱり自分の意思だと思う。

コロナ接種が癌を誘発したと言う意見を述べているSNS上の記事もあるけれども、それはそれで極論だと思う。よは免疫力の低下で、その人個人の弱いところが病理として現れたのだろうと思う。

ちなみに僕は母がコロナになった時にコロナ検査を受けたけれど陰性だった。高校や塾でコロナが流行した時も、何故か風邪すらひかなかった。生徒からさすがプレアデス星人ですねと言われたが、なんと答えたいいのか分からず微笑んでいた。

塾生に、やっぱり馬鹿は風邪をひかないだよねと言ったら、先生は馬鹿のように見える時も多々あるけれど、決して本当の馬鹿ではないよと返された。またプレアデス星人ゆえににかからないのではなくて、かかっても気づかないだけだと思うよと、言われた。確かに。^_^

時空を超えて僕の思考は流転する。

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悲しみの連鎖

親から虐待を受けた子どもは、自分が親になってまた子どもに虐待をしてしまう。

親がギャンブル依存症だったりアルコール依存症だったりすると、かなりの確率で子どもはその習性を引き継いでしまう。

子どもは幼児期、親の存在が全てで、親を模倣すことである意味人間になって行く。

これは避けられない宿命ではあるが、人智学の巨匠シュタイナー先生は、子どもは親や家庭の環境を選んで生まれてくると言っている。

つまり一見最悪の家庭環境だとしても、そこから学ぶべきテーマがあっての魂の決断なのだろうと思う。

少年犯罪のほとんどが家庭環境に起因するとは言いがたいが、自分が望んだ環境下で自分を成長させることが出来なかった人間は、あっちの世界に戻った時に、愕然とするのかも知れない。

戦争もそう個人的犯罪もそう。断ち切ることができない負の連鎖に人間の弱さがある。

学習習慣も親の影響は大きい。全く本を読まない親の子どもは読書習慣が定着しない。

新聞も小説もスマホで済ましている親の姿を見て子どもはスマホに依存して行く。本を読むという行為は子どもの教育のためにも僕は大切だと思わざるを得ない。

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2025年1月24日 (金)

生まれながらにパーフェクトな人

感情の乱れがなく、相手を傷つける発言や態度を取ることもなく、軸がぶれず、生きること自体が楽しそうなひとっているよね。

人間の器って努力して大きくして行くのかなと思いきや、生まれながらの器の大きさってあると思うんだよね。

これまでの人生で、そういった先輩諸氏や若者を何人か見てきた。出来る人間なのに控え目で、表裏がなく、常にアンテナが張り巡らせている人。凄いと思うよ。

1人は中学の時の先生。直接教わったことはなかったけれど、その先生の周りがいつも明るくて爽やかだった。印象に残っているのは挨拶の仕方。我々生徒たちにまるでお客さんに接しているような挨拶をしてくれた。笑顔が素敵だったな。

もう1人は僕より若いんだけれど、病院の先生。先生って失礼だけれど、大抵大柄で、偉そうじゃない。でもねその先生謙虚で優秀なんだよね。初めて病院に行った時のことだけれど、お年寄りに対する会話が待合室にいて聞こえてくるんだけれど、めちゃくちゃ丁寧で、患者さん寄り添っているのよね、感動したね。

教え子にもいたね。決して人の悪口を言わず、人の話をしっかり聞くんだよね。もちろん優秀だったけれど、人を能力や外見で差別しないんだよね。僕の方が多くを教わった気がする。神様は過酷にも若くして天に召集してしまったけれど、きっとあっちで大切な仕事があったのかも知れないね。

世の中には脳力があっても本当に人間的にダメなやつがいっぱいいるけれど、生まれながらにパーフェクトな人間もいる。そういった人を見習いたいけれど、足下にも及ばない。

自分の状況に不満タラタラで、お金がないのも、仕事がたいへなのも、社会構造や政治のせいにしている僕は、本当になさけないやつだと思う。心を入れ替えて見習いたい。

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塾は必要か

最近考えること。塾は必要なのかと言うこと。そもそも学校があるのに何故塾に来る必要があるのかと言うことだよね。

学校の授業がわからないから来ると言う生徒。希望する学校に入るためには学校の勉強では足りないと思って来る生徒。それぞれの思惑があって塾に生徒はやって来るわけで、そのニーズに応えることが我々の仕事と言うことになる。

指導の先生の質や個性が、塾向きの先生とそうじゃない先生はいると思うね。一関のような地方の街でも、僕が今の寺子屋をやっている間に、東大出の塾長が2名いたからね。繁盛したかどうかは分からないけれど、5、6年で撤退したね。

どうだろう都会ならば指導者の学歴はある程度塾運営にとって必要ようかも知れないけれど、田舎は関係ないようだね。僕のような3流4流学歴の人間がしぶとく生き残っているからね(笑)。

よくあまり優秀な先生は出来ない生徒の指導が得意じゃないと言われるけれど、確かにそれはあるかもね。得意じゃないと言うより面倒くさいんだろうね。

塾に行って成績が伸びたとか、勉強する集中力がついたって言う生徒がいるってことは、塾の存在価値はまだまだあるってことだと思う。

学校ってところは個人的な勉強の指導は基本しないからね。生活指導はするけどね。

昔は公立の先生って塾を敵対視していたけれど、近年では三者面談で塾に行くことを勧めてくる先生もいるって聞くから、地方も時代は変わったね。

塾が撤退したり潰れたりすることが多くなってきたけれど、塾は必要な子にとっては必要だね。相性みたいなものもあるけれど、親身になって教えてくれる塾は生き残って行くと思うね。

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2025年1月23日 (木)

葬式の夢を見る

3日続けて葬式の夢を見た。こういったことは初めての経験だ。僕の身辺で何が起ころうとしているのだろう。

夢判断の本を見るに、葬式の夢はどちらかと言うと吉夢らしい。それにしても気なる夢ではある。

友人や知人の葬式の夢だったのだけれど、正直気になって仕方がない。

かつては自分の葬式の夢さえ見た。棺に入れられて荼毘にふされる夢だった。何かと決別したがっている自分がいるのか、もしくは自分と決別したがっている誰かがいるのか。夢の世界は深淵だ。

僕らは夢を見ることで、ストレスを発散させたり、精神的不安を癒やしているらしい。と言うことは葬式の夢は何を癒やしているのだろう。もしくは何を僕に伝えようとしているのだろうか。やっぱり深淵だ。

葬式と言えば随分と葬式に参列してきた。僕が29歳の時に父が他界したものだから、それ以降近隣の葬式や親戚の葬式は全て僕が顔を出してきた。

青二才の僕が本家だとか実家とか言われて、法事の席で上座に座らせられるのはしんどかったね。

葬式の夢を見た翌日、ゴミを出しに行ったのだが、1匹の猫が神社前の切り株にまるで狛犬のごとく鎮座していた。翌日も同じ猫が狛猫として神社に居た。やっぱり何かの前触れなのかも知れない。

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テレビ界の虚構とお金

ものを売るには宣伝をしなければならない。その媒体の主流はテレビのコマーシャルだ。

お店に行ってものを買う時の基準は知っているかどうかだろうと思う。知らないものは買わない。

知名度が高いものを選択する習性は、ひょっとするとテレビコマーシャルによって洗脳されてきた我々の性かも知れない。

歌手やタレントもそうだ。下手かろう悪かろうなど関係無い。露出度が高ければ、それが実力とみなされ売れて行く。

僕はテレビ嫌いだけれど、3回ほどテレビに露出させてもらった。やっぱり数回だけでも、いい意味でも悪い意味でも反響は大きい。

実は昨日某テレビ局から電話を頂いた。このブログを読んだようで、講演依頼の話だったようだが断った。登録して云々と言うことだったのだが、早い話が講演等の企画がある時は紹介してあげるから登録料を出せと言うことらしい。以前取材していただいたテレビ局でもあったので、丁寧にお断りした。お金を出すので登録してくださいというのなら喜んで引き受けたのだけれど(笑)。

フジテレビが大変らしい。大手スポンサーが撤退し、中堅社員もだいぶ辞表を出したらしい。ジャーニーさんの呪縛から解放されたテレビ局はオフレコがなくなり、ようやくまともな意見や主張が言えるようになったようだ。

フジテレビが終焉するか再生の道を歩くかは、徹底的なアク出しが出来るかどうかだろうね。

ところで昨夜ホリエモンさんがYouTubeでフジテレビをメタクソ言っているので、興味がてらスクロールしていたら、なんと僕が15年前に作詞作曲した受験応援ソングが突然割り込んできた。びっくり。

僕のブログの師匠である神奈川のとよ爺先生が動画にしてくれたものなのだが、こんなことは初めてのことである。何かの吉兆かなと勝手にポジティブになっているかねごんであった。

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2025年1月22日 (水)

なぜ戦争はなくならないのか

高校2年の文学国語が米原万里著『バグダットの靴磨き』に入っている。

少年が家族を全てアメリカの爆撃によって失い、靴磨きで貯めたお金で銃を手に入れアメリカ兵を殺す計画をてていると言うストーリーなのだけれど、なんともいたたまれない作品だ。

憎しみの連鎖が世代を超えて受け継がれて行く世界。そこには夢や希望がただただ蹂躙され、憎悪が生きる目的になってしまっている。

生徒たちにこの物語の感想を書いてもらった。兵役の義務がない国日本。戦争が80年あまりない国日本。やはり高校生たちの戦争に対するスタンスは、非常にオブジェクティブでスマートだ。

宗教的軋轢や民族主義、そして侵略者の大義名分を書いた生徒たちが多い中でひとりの男子生徒がこんなことを書いていた。

戦争は悪いと言うけれど、どんな戦争も自分たちは正義だと思ってやっているのではないだろうか、と。だから戦争はなくならないと締め括っていた。

自分たちの侵略も無差別攻撃も正義のためにやっているのだとしたら、生徒が言うように確かに戦争はなくならない。

やなせたかしは、アンパンの主題として、本当の正義とは「お腹がすいた人を救うこと」と語っている。

正義のために食糧が枯渇するならば、戦争の正義とは一体なんだろうかと、僕はやなせたかしの言葉を思い出していた。

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2025年1月21日 (火)

最後に目にするもの

昨年の夏は猛烈に暑かった。朝高校に向かう途中、いつも立ち寄るセブンイレブンがある。僕はそこでいつもホット珈琲を買って、職員室に持ち込み、授業の準備をしながら一息つくのが日課になっている。

そのセブンの外で、工場の制服を着てコーヒーを片手にタバコを吸っている、僕と同年代くらいの男性にほぼ毎日出会う。

彼は歩いて通勤していた。昨年の8月末、僕が車で工業団地の坂を下って行くと、数人の人が集まっている。見ると例の彼が歩道の草むらに倒れていた。救急車がちょうどやってくるところだった。

彼はいつものようにコンビニでコーヒー片手にタバコを吸い、坂道を登ってきたのだと思う。そして彼は倒れた。彼は胸に会社のネームプレートを付けていたので名前は知っていた。

一週間ほどしてコンビニ近くの葬祭場に彼の名前の立て看板が設置された。亡くなられていた。

雨の日も雪の日も工業団地の坂道を登って行く彼の姿を鮮明に覚えている。

いつもコンビニ弁当をぶら下げていたので、ひょっとすると1人暮らしだったろうか。

草むらに倒れた彼が目にしたものは8月の青空だったろうと思う。救いなのはアパートの天井を見ながら終焉を迎える孤独死ではなかったことだろうか。

ふと自分が人生で最後に目にするのはどんな光景だろうかと考えてしまう。

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孤独を癒す哀愁のカルチャーゼミ

来年から同級生たちは年金受給者となる。

僕はもらわないことにした。20代で脱サラして農業と塾を始めたので、厚生年金をかけたのはほんの僅かで、ほぼほぼ国民年金の受給である。

ググってみてもらうと分かるが、65歳でもらえる国民年金は雀の涙である。仕事があるうちはそれでもいいとして、これと言った資産のない僕ら夫婦は仕事がなくなれば65歳スタート時の年金だけでは全く暮らして行けない。将来老人ホームにも入れない。故に僕は生きているかどうか分からないけれど70歳以降にもらうことにした。

とりあえず70歳までは身体と頭脳が壊れない限り働くつもりだ。目標は70までに60歳定年でもらう地方公務員の退職金くらいは稼ぎたいと思っている。

実は僕には野望がある。少子高齢化で子どもの数が減少し、塾産業は黄昏てきたけれど、一方お年寄りたちは元気で身体を持て余している。熟年齢を対象にしたカルチャースクールをやろうとかと思っている。

熟年齢対象のギター教室でもいいだろうし、卓球教室でもいい。もしくは英会話教室や磐座巡りの軽登山でもいいだろう。よは自分が出来ることだけれど(笑)。

1人暮らしの熟年層の孤独を癒す、哀愁のカルチャーゼミなんて言うタイトルはどうだろうか。野望は膨らむ・・・

てが自分が癒されたいんだけれどね。

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2025年1月20日 (月)

地元の人がね〜

このブログは一度も浮気することなくずっとニフティのココログを利用してきた。月250円なので20年間で6万円の使用料ということになる。

自分のストレス解消に書いてきたようなブログなので、精神衛生的には元を取ったような気がする。

このブログには何処の県の方が多く閲覧しているのを解析出来る機能が付いている。残念ながら我が岩手県は少ない。このブログを一番読んでくれているのは、圧倒的に北海道の方々である。次に東京神奈川と言う順番だ。

残念ながら集客にはあまり寄与していない塾ブログと言うことになる。塾ブログといえば昨年の秋以降ブログ村全国塾ブログランキングではずっと2位をキープさせて頂いている。ちなみにブログ村全国教育ブロンランキングでは1万件の登録数の中で現在は4位〜6位のあたりを行ったり来たり。いつもポチいいねを押してくださる皆様に感謝しかない。本当にありがとうございます。

総アクセス数は後2万ほどで200万アクセスに到達する。僕のストレス解消ブログに日々付き合っていただき、これまた感謝しかありません。ひと月に50稿ほどを書き続けてきたわけだけれども、自分で言うのもなんだが、ほぼ病気(笑)ですね。

かつては炎上もあり、パソコンが崩壊したこともあったこのわくわく日記であるが、近年は塾ブログとは程遠い内容で、一昨年は納屋リフォームブログにてなってしまい、それ以外は僕の貧乏話ばかりである。

しかし僕が貧乏話を書くとアクセス数が増えると言う現象に、どうも逆らいがたく、やっぱり貧乏話が多い塾ブログとなってしまうのである。

それにしてもなんとか地元の方々のアクセス数を増やしたいかねごんであった。

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2025年1月19日 (日)

みなさんが大切にしているものは何ですか

生きて行く上で一番大切にしているものは何ですかと聞かれたならば、みなさんは何を挙げますか。お金ですかそれとも家族ですか、もしくは自由でしょうか。

僕は正直に言うとお金ですね。家族や自分が路頭に迷わない程度のお金が一番大切ですね。命はそれぞれが持っている運命や宿命みたいなものがあって、大切に思っていても突然逝ってしまう日が来ます。だからその日まで生きて行くためのお金と、そして葬式をあげるお金は必然的に必要ですよね。

故に毎日働いているわけです。

リタイアした後の老後のために2000万円の貯蓄が必要とかアホなことを言っていた政治家がいたけれど、2000万円どころか20万円の貯蓄もないってぇの。残念。

息子たちの学費やら生活費を稼ぐために必死に働いてきて、息子たちが社会人になってこれで自分たちの蓄えが出来ると思いきや、今度は母が倒れて長期入院。そして介護生活。そして来年からもらえる年金の額を聞いたらショックで寝込みそうになるわで、身体と頭が動くうちは死ぬまで働かなければなりません。

学校では英語や数学などの教科は教えてくれたけれど、お金については全く具体的なことは教えてくれませんでしたもんね。

なんか真面目に働けば人生大丈夫なんて言う勘違い教育を施された気がします。でもね良く考えてみれば、学校の先生は一般の企業や自営業などやったことのない人たちですから、当然のことなんですよね。

と言うことで、今日の話はお金は大事だよーという結論でこのブログを終わりたいと思います。

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忍耐はしなくていい

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岩手県人は忍耐力があり、頑張る県民性だという評価があるが、それは全くの誤解であり、中央の人間の抱く幻想に過ぎない。

稲作栽培に於いては、長年の冷害との戦いがあり、貧困との戦いがあった歴史を持つが、そのことが岩手県人の忍耐力を培う土壌になったとは言いがたい。

また酪農の風景を見て草原で牛を飼うなんていいなと思う都会人も多いかと思うけれど、牛乳が水より安い現状では、酪農家の生活は成りたたない。

人口比に於ける自殺率の高さが、毎年ワース卜3に入る高さを見ても分かるように、一番打たれ弱い県民性かも知れない。

子どもの指導もそうであるが、あいつは忍耐強い子どもだと傍観していると、一番危険な状況に落ちいたりする。我慢強い忍耐強いと思われる生徒は、実はそのような環境にいるからそうせざるを得ないだけで、本質は違う。

よくハングリー精神が大切だと言われる。しかし経済的ゆとりのある家庭に育つ若者と、貧困家庭に育つ若者を見たら、あきらかに前者の者の感性や感情は豊かである。ハングリー精神は大切かも知れないが、本当にハングリーでは、生きるエネルギーは生まれてこない。それが現実だ。

生きるエネルギーは愛によって培われる、忍耐力でも貧困などではない。かつて津波で被災された方々や、放射能汚染で避難された方々も、気丈にふるまっているように見えたが、不自由さや、孤独感や、将来に対する不安は、計り知れないものがあったはずだ。

頑張っている人を見て、すごいな~ではなく、無理をしないように、あまり忍耐しないように、声を掛けてあげることが愛情であることを忘れてはいけない。

東日本大震災に時における岩手県人の忍耐強さと、道徳性が持ち上げられたけれど、あれはあまりの衝撃で途方に暮れて悲しみのあまり自己主張ができなかったのだ。その結果災害関連死が増えてしまった。

困っている人は、もっと我がままでいんじゃないだろうか。もっと権利を主張していんじゃないだろうか。耐え忍ぶことは美徳なんかじゃない。

あまりにも美しい風景とは裏腹に、困窮している方が多くいることを忘れてはいけないんだよね。

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2025年1月18日 (土)

大学入試氷点下6度

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今朝の道路状況は最悪。雪国岩手にとってこの時期の入試は大変。

共通テストを受験する塾の生徒たちは、盛岡に前泊して岩手大学で受験。きっとこちこちの道路を受験会場へ向かったことだろう。

一方本日は一関一高附属中学の入試日でもある。今年度は倍率こそそんなに高くはないが、少数精鋭の児童たちが受験に臨んでいるので、気が抜けない。塾生全員合格を目指して冬期勉強会まで頑張ってきた。児童たちも僕も。

受験生にとって今年の冬は温暖で楽かと思いきや、冬休みが終わって一気に厳しい寒さがやってきて、インフルエンザは猛威をふるい、いつもながらの大変な入試を迎えている。

それにしても凍結時の朝と夜の車の運転は疲れる。通常25分で到着する仕事場も、この路面状況だと倍の1時間近くかかる。参った・・。

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2025年1月17日 (金)

震災は忘れなくてもやってくる

兎にも角にも日本列島は地震が多い。三陸沖は地震のメッカ。10日に1回は地震が起きている感じ。

今日は神戸淡路大震災の追悼の日。神戸の時もそして昨年の能登の時も一関の我が家は揺れた。小さな小さな揺れだけれど初期微動が長かった。

遠くで大きな地震が起きた証拠。大変な惨事が起きていた。

一方で3.11の時のことは正直思い出したくない。今もテレビで津波の映像を見ると感情が乱れ、動悸が激しくなる。

人間の尊厳と言うものをよく考える。人間にとって死は避けられないものだけれど、静かに終焉する最後の時というものはあるべきだ。その意味では戦争や自然災害は我々の終焉としてあってはならない。

人間の叡智と知恵を持ってしてもさけられないかも知れないが、目に見えない加護を求めることは大切なことだと思う。

このブログで何度も繰り返してきたことだけれども、我々には宗教は必要ない。しかし大地や宇宙に対する感謝と祈りは大切なことだと思う。

僕はたまたま磐座に魅せられ磐座を神籬(ひもろぎ)として大地や宇宙に祈りを捧げる人間だけれど、日々大いなる力を頂いている。感謝しかない。

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塾の利益はないけれど塾の神様はいる気がする

34年間学習塾を営んできた。これと言った利益はでなかったけれど、不思議と赤字にもならなかった。

塾経営の前半は農業とバイトでしのいできた。息子たちが義務教育を終え教育費がかかるようになってから、市内の私立高校から講師の声がかかった。そうでなければ塾を辞めて土木仕事でもなんでもやらなければならなかったけれど、本当に助かった。

塾の家賃、光熱費、電話代、駐車料金、そしてガソリン代を支払うと頂いた月謝はほぼ飛んで行く。この冬の季節自宅の灯油代が月5万ほどかかるのだけれど、正直行って塾の売り上げが一番多いこの時期でも、塾の利益はこの灯油代を支払って完全に消えて行く。

生活費における食料費等は、高校の講師代でまかなっている状況だ。それ以外は息子達に支払ってもらっている。

かつて塾を辞めようとした時があった。明日大家さんに物件を返す話をしようとしていたその日に、卒塾生がやってきて「先生の塾のおかげで教師になることが出来ました。先生この塾やめないで頑張ってくださいね」と言われた。僕はタイミングと言い、言霊といい、神様が遣わしてくれた卒塾生だと確信した。

それ以来20年ほど塾を続けてきた。今はやめようとは思わない。自動車を運転出来るうちは寺子屋を継続したいと思っている。その前に死んでしまえば別だが(笑)。

塾の神様に言わば身体を預けている。この寺子屋の行く末はまさに神のみぞ知るである。

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学歴その光と影

先程自分の大学の偏差値なるものをぐぐって見たら、低いのなんのってこりゃ誰でも入れるわと、自虐的になってしまった。

私立大学は関東圏に限って言えば、早慶・成蹊・明治・明学・上智・青山・立教・法政・中央・学習院・國學院・成城・獨協・東京理科大そして日東駒専以外(医療系は除く)の大学は偏差値表上のアップダウンはあるけれど、高校での評定が4以上有ればほとんどが推薦で入れるし、受験対策を取っている普通高校で普通に受験勉強さえすれば合格出来る状況だ。

つまり偏差値45以下の私立大学は選ばなければ全入の時代に突入した。

僕らの時代のような倍率10倍だとか20倍と言う過去はまぼろし〜と言うことだ。1970年代300あった大学が現在は3倍の900になっている。過半数以上の大学が定員割れだ。

前回の記事で予備校倒産の記事を書いたけれど、まさに受験界の状況はこう言う感じである。

大学を出たとしても残念ながらその学歴が自分の精神的支柱とはならなくなっている。誰でも入れる大学を終えたところで、それがなんなんだと言う自他共に認める学歴の空虚さが社会に蔓延している。

一流大学以外はそんなに大卒学歴のメリットはないよと言われてしまうと、莫大なお金をかけた意味がなくなるわけで、これは確かに動揺するね。実は僕も(笑)。

そもそもこのような少子高齢化の時代がやってくることなど、東大卒が集結した文科省の役人達は知っていたはずだ。それにもかかわらず、次から次へと大学を認可していった文科省にもその責任は大である。

大学を終えたのに高卒と同等の待遇なんて言う状況も増えている。

学ぶ機会を広げるつもりが、その学びの質をおとしめるだけでなく、社会に出る日本人の若者たちの自信さえも失わせ、社会に出る不安を助長させている。

お金の問題もあるだろう。結婚の問題もそうだ。自分が選択した仕事が本当に自分が望んだものかと言う問題もある。

本当は頭の良さは学歴じゃないんだよね。わかっている人はわかっているはずだけれど、社会という欺瞞がそれを沈黙させる。


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2025年1月16日 (木)

予備校のニチガクが入試直前に倒産閉校

昨年だけでも東京都において50校以上の大手予備校・学習塾が倒産廃校に追い込まれている。

受験倍率が高い都会でもそうなのだから、倍率が1倍を切る地方に於いては閉校する塾の数は鰻登りだ。

僕の塾のように開校当時から利益を出さない塾は、副業頼りで維持してきたものだから、負債を抱えて倒産と言う状況はないわけだけれど、それにしても、受験シーズンたけなわで、はいさようならは無責任過ぎるだろうと思う。

聞けばニチガクの講師の先生方には3ヶ月前から給料は支払われていなかったと言う。どうやって年の瀬を越したのだろうか、同業者として心が痛い。

少子化が大きな要因だとは思うが、塾や予備校に通わなくても学べるツールが増えたことが、塾産業最大の危機なのだと思う。

このブログでも何度か書いてきたが、生徒獲得のために無料の1ヶ月体験授業だとか、無料の春期講習や夏期講習などをやることで、塾業界そのものの首をお互い絞め合うことをやってきた結果が、このような崩壊を招いてしまったのだと思う。

資本主義社会に於いて、残念ながら消費者のニーズを満たさない産業は淘汰されて行く。予備校や塾と言う仕事が存続するためには、ハード面も大切だけれど、人間対人間の精神性を向上させる、言ってみれば魂を輝かせる指導が必要なのではないかと思う。

大袈裟かも知れないけれど、生まれてきた目的であるとか、生きる意義であるとか、人間としての死生観等を、哲学的な側面で指導出来る指導者の養成が急務ではないかと、自称プレアデス星人のかねごんは思うのである。


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よくやる行為

鼻くそをホジホジするとか、爪を噛むとかそういう行為じゃなくて、人間の原点に立ち返って非尊厳的な行為。

僕が一番嫌いな行為。家族があるのに愛人を囲っているやつ。

塾業界にもいたし、政治家や医師、教育者にもいたね。そういう輩。

女性がそんなに好きなら独身のまんま独走すればいいし、家庭なんていう隠れ蓑を持つべきじゃないね。

お金を持っている人もそうじゃない人も、男性に限らず女性も性欲はあるからね。それをダイレクトに求めるのは正直って言えば正直なんだろうけれど、やっぱり世の中をなめているよね。

中居くんが女性問題でテレビから干されつつあるようだけれど、まだ彼は独身だからね。僕は強姦とか暴力を振るったと言うのなら追放されて当然だけれど、よくやる行為をやっただけなら堂々とテレビで釈明するべきだよね。

僕は仕事がらその囲まれていた女性のお子さんを指導することもあるわけよ。お父さんはもちろんいるけれど、そう言うことで訳ありだよね。

影があるわけよ。昔のテレビドラマでは妾の子なんて言う表現があったけれども、現在はシングルマザーが増えているので、昔ほど目立たないけれど、本人のアイデンティティを思うと、やるせないよね。

金田先生はどうして〇〇さんが嫌いなんですかと地元著名人の名前を問われるのだけれど、そう言うことです。


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2025年1月15日 (水)

突然の感情に

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妻と塩竈神社に参拝した後、塩竈市内でラーメン屋さんに入った。僕らが席に着いてみそラーメンを食べていると、2歳くらいの女の子を連れた若い夫婦が向かいのテーブルに席をとった。

女の子はラーメンを待つ間、僕がラーメンを食べているのをじっと見ている。だいぶお腹がすいているようだった。

ラーメンがその子の前に運ばれてきて、最高の笑顔を浮かべて「やったー」と女の子が叫んだとき、突然僕の感情にスイッチが入って、涙がこぼれそうになった。

妻の手前、ラーメンを食べながら泣く爺いというのも全く様にならないわけで、胡椒が目にしみてなんて言ってごまかしたわけだけれど、幼子の純真さにハートを鷲掴みにされ持って行かれた爺いであった。

休日に幼な子が両親と一緒にラーメンを食べに来ると言うありふれた日常の光景に、僕は自分自身が忘却していた何か大切なものを思い出してしまったのかも知れない。

一杯のラーメンにあれほど感動したことがあっただろうか。あんなふうに喜びを素直に爆発させたことがあっただろうか。

と同時に、あんな感動をかつて見せたであろう息子たちの過去さえも忘却していた自分がいた。

味噌ラーメンが塩ラーメンの如くしょっぱかった。


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やっぱりね

僕はジャズ中毒ですね。2日間ジャズを聴かないと、精神が鬱状態になります。病気だと思います。

1950年代後半のモダンジャズに魂が奪われますね。アート・ファーマーやアート・ブレーキそしてジョン・コルトレーンなど、痺れますよね。

1960年代中頃から流行り出した前衛的なジャズはダメですね。ちっともいいと思いません。

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ジャズは心臓の鼓動じゃないとダメですね。やっぱり黒人奏者が最高ですね。アート・ペッパーなどの白人奏者もいいんですけれどね、やっぱり凄みみたいなものが違いますね。

藁小屋を自分でリフォームしてジャズのリスリングルームを作ってしまうくらいジャズ好きなもので、やっぱり病気ですよね。そのくらい熱心にお金も稼げればいんですけどね。残念ながらそっち方面には嗜好が向かなかったようです。

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この納屋に厨房とトイレを併設すれば、完璧にジャズcafeが出来るんですけれどね。先立つものがね〜

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2025年1月14日 (火)

虚な視線の先に

法政大学の授業中に起きた、女子学生のハンマー投打事件。逮捕後の彼女の虚ろな視線が声なき言葉の悲哀を感じさせる。

韓国籍の女子大学生が日本社会で何を思い何を感じていたのか、疎外感が事件の鍵を握っているようだが、その背景には、日本社会の目に見えないヒエラルキーが横たわっているように思われる。

自分の家庭環境・祖先の脈絡・学歴・経済力・そして帰属する組織、そう言ったものの総合的な要因が真綿の如くまとまりつくのがこの社会で生きると言うことの意味でもある。

先日宮城の塩竈神社にお参りして来た。境内周辺において交わされる会話は日本語より中国語の方が多かった。

平泉もそうであるが、外国人観光客が大挙して訪れている。外国人イコール裕福というイメージが定着しつつある日本に於いて、外国人に対するある種のコンプレックスが、日本人のプライドを喪失させている感がある。

かつては中国や韓国からの留学生は生活が大変で、僕らが学生の頃には、バイト三昧の苦学生が多かった。

ところが現在日本の有名私立大学に通う中国や韓国の留学生の仕送りが20万円を超えているというから驚きだ。日本の大学を出てもらう初任給でさえも、一般的な手取りではそんな金額はもらえない。

金銭感覚や異文化の軋轢では無くて、個体存在そのもの軋轢が生じている。今回韓国籍の女子大生が疎外感から精神のバランスを壊しハンマーを手にしたのではなく、ハンマーを振りかざした学生がたまたま韓国籍の女子学生だったのだ。

僕はそう思っている。

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2025年1月13日 (月)

因果応報

豊な暮らしの陰には、その豊かさをもたらすべく犠牲になっている国や地域や人がいる。例えば日本の平安時代の貴族の華麗な生活の支えたものは、紛れもなく虐げられた農民たちであった。

現在でも多くの搾取が発展途上国で行われている。世界経済の発展は発展途上国の抑圧を土台にして成り立って来たと言っても過言ではないだろう。

誰かがお金を手にすると言うことは、誰かがお金を失っていることに他ならない。本当は全ての人々がwin-winの関係を保てればいいのだけれど、どうも世界はそのようには成り立っていないようだ。

歴史を俯瞰してみるとわかるが、未来永劫栄えた帝国も国家も存在しない。栄華を極めた文明は必ず滅びる。

それは慢心が崩壊を招く。そして敵対心によって滅亡して行く。

僕は少年だった頃、金持ちで横柄な大人が一番嫌いだった。朝から夜遅くまで働いているのに貧乏な人がたくさんいる。一方何の仕事をやっているのかわからないけれど、高級車に乗り平日からゴルフをやり酒を飲む輩がいる。

僕は誓った。人を雇うような仕事はやるまい。人に使われるような仕事もやるまいと。故に農業と寺子屋を1人でやってきた。

人生のもしくは輪廻転生の因果応報から解脱したかった。

しかし常に僕をその解脱から遠ざけてきたのは、お金や欲望だった。霞を食べて暮らせるわけではなし、守るべきものがあまりに多かった。

でもお金以外は何も信用しないと言う人間だけにはなりたくなかったですね。


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カラスは何が見えているんだろう

僕の自宅の裏山は鬱蒼とした杉林になっている。その杉の木のてっぺんで一羽のカラスがある鳴き方をすると、ほぼ100パーセントの確率で近隣の方が亡くなる。僕が小さい頃からそうだ。

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先月もお世話になった別家のおじいさんが亡くなった日も、朝方一羽のカラスが独特の鳴き方をした。僕が妻に葬儀の準備かなと告げると、そうねと答えた。

妻も神奈川から岩手に嫁いで40年近くなるので、カラスの独特の鳴き声には気づけるようになった。

僕にそのカラスのことを教えてくれたのは祖母だった。小さい頃、祖母が「やんたごと、また葬式だわ」と言うと翌日あたりに近隣でご不幸が出る。あのカラスが鳴くからだと言って、追い払おうとしていた祖母の姿を思い出すけれど、そう言う問題じゃないだろうと、子ども心に思ったものだ。

人が亡くなることを察知出来るカラスは上空に何かを見出しているのだろうか。魂しいの飛翔とかそんな感じのものを。

そう言えばかつて志村けんさんが歌っていたな。カラスなぜなくいの〜♫カラスの勝手でしょう〜

庭先にやって来るカラスを見ていると、確かにあの目は吸い込まれるような色合いを秘めている。あまり友達にはなりたくない雰囲気の鳥ではあるね。

追伸・・昔読んだ本に、烏は葬式があるとお墓にさまざまな供物が御供えされるので、仲間たちに食糧が手に入るぞと教えるために鳴くのだと書かれていた。それにしても、なぜ人が亡くなるのが分かるのだろう。

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2025年1月12日 (日)

珍しく2、3日酒を飲まず

正月に飲み過ぎたのか、3日前から胃の調子がイマイチで、酒を控えている。急に寒くなったのも一因だろうと思う。

身体がだるかったり、頭痛がしたり、冬はどうもいけない。暖かい季節が待ち遠しいこの頃だ。

ところで今年年賀状を5枚頂いた。年賀状というものを書かなくなって久しいので、頂くことも少なくいのだけれど、いまだに返事も書かず失礼をしてしまっている。この場を借りて陳謝したい。

かつては気合いを入れて年賀状を書いたけれど、時の流れと言うのか、SNS 上のあいさつで済ましてしまっている。

ただメールを送っても、ハガキを出しても音信不通の方が増えて来た。特に大学時代の友人たちのやり取りが途絶えてしまったケースが多い。

メモしていた実家にハガキを送っても音沙汰がない。生きているのか死んでいるのかも確認出来ていない。特に独身のまま還暦を迎えたかつての友人たちの安否不明が多い。

Facebookの残像が残っていたりしても5年以上更新がなかったりする、どうか元気でいて欲しいと願うだけだ。

そんなこんなも含めて、今日は宮城の塩竈神社にお参りに行って来た。今年こそ景気回復出来ますようにと、心から祈願してきたかねごんであった。

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2025年1月11日 (土)

夕焼け小焼けで日が暮れて

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教室から綺麗な夕焼けが見えた日は、1日の終わりを実感する瞬間だ。

なんとなく毎日が過ぎて行く日々に於いて、夕焼け空は人生の大切なアクセントになってくれる。

この夕焼け空はいろんな人がいろんなシチュエーションで眺めているんだろうなと思う。会社の事務所や病室やそしてウオーキングの途中だったり。

若い頃にはあまり夕焼け空を眺めなかった気がする。余裕がなかったのか感性が乏しかったのか、そんな感じだったかな。

昨日教え子が亡くなったことを書いたが、12月そして1月と連続して、塾の近くのかつてのご父兄が亡くなった。

当たり前のことだけれど人は必ず死ぬ。あっちの世界に行くタイミングはきっと本人たちが決めているのだと思う。人生でやるべきことをやり、学ぶべきことを学んだその実体と魂は、次のステップへと駆け登って行く。

さよならを言うたびに、自分の思い出がまたひとつ欠けてしまったような気持ちになる。

別れが増える年齢になってしまったんだね。

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ころころと転がり落ちる小石のように

坂道をコロコロと転がり落ちる小石のごとく、高き場所から言わば安定した低き所に収まるのも、これも人生の歩み方なのかと思う。

高みを目指して登り続ける人生は、崇高ではあるけれど、やっぱり疲れるものだ。頂上に立った時の高揚感は素晴らしいものがあるけれど、そこに立ち続けることは出来ない。

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裾野から眺める頂の美しさを堪能するのも人生の醍醐味だと言い聞かせて、佇むのもまた人生。

与えられたチャンスや期待に順応することは悪くはないが、時には道をそれて傍観することも大切なことかも知れない。

新年が始まると、目標とか夢とか言う文字が何かと闊歩し踊っているが、人それぞれのタイミングで歩んではどうだろうか。

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2025年1月10日 (金)

哀しい知らせ

教え子が亡くなったことを今日知らされた。

頑張り屋さんで、医学部に入った生徒だった。

生前、大験セミナーで人生の指針を学んだと友人に語っていたと言う。

僕はただただ沈黙するのみだった。いつも宇宙の話と神社の話を授業の合間にしていたような気がする。

人生の指針などおこがましい。どこか遠くで起きた哀しい出来事のような気がしてならない。そうでも思わないとやきれない。

若くしてあっちの世界に逝ってしまった教え子に、僕はどんな声をかけてやればいいだろう。辛い。


青山学院大の箱根連覇に思うこと

15年間母校中学校の卓球部のコーチをやったわけだけれども、スポーツの指導と勉強の指導の徹底的な違いは、当たり前のことだけれど、頭脳コンデションと肉体コンデションの維持の仕方である。

試合競技も試験も、本番でいかに自分の本来の力を出し切れるかと言うことが勝負どころ。しかしである。あらゆる団体スポーツに言えることは、勝つための一番の戦略は、いかにして優秀な選手を集められるかと言うことに尽きると思う。

青山学院は、企業のコマーシャル、そしてテレビメディアに露出することで、駅伝部の学生をまるでタレントのごとく待遇し、優れたランナーの募集媒体となっている。

僕の母校の大学も数年前から駅伝部を作り、箱根を目指しているようだけれど、昨年の予選では20番台。まだまだ箱根の山は遠いようだ。

箱根駅伝は大学受験受付の直前に開催されるものだから、結果次第では受験者数の増加に寄与するようだ。故に大学も優秀な選手集めに必死である。

私立高校や私立大学は、看板部活の活躍が生徒募集の数字に影響する。学力偏差値で勝負するか、スポーツで勝負するか、経済効果と軍資金を天秤にかける経営者の判断はいつの時代も大変だろうと思う。

塾経営も、いかに志望高きやる気のある生徒が入って来てくれるかが、周りの生徒への影響も含めて大きなポイントになる。類は友を呼ぶではないが、学校も塾も指導者の生き方、哲学みたいなものが生徒学生の吸引力になる気がする。

本年度も襟を正して自分を律していきたいと思うかねごんであった。


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2025年1月 9日 (木)

最初の教え子は還暦を迎える

外山滋比古さんのエッセイを読んでいたら、教え子達が還暦を迎えたと言うのでお祝い行ってきた。と言うフレーズに遭遇した。

すげーな。それまで現役で仕事を続けるって。などと思って、ふと自分のことを考えてみた。

やば!僕もだ。

大学を終えてすぐ英語を教えた高校3年生は、今年還暦を迎える。そう言えば僕もこの仕事を始めて42年になる。正真正銘の爺いだ。

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ちなみにこの写真は、大学を終えて最初に入社した中野の進学塾の職員室で、同僚の先生に撮ってもらったもの。42年前の写真だ。

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そしてこれ現在の僕。怪しい教会の牧師みたいで笑っちゃうけどね。この間に横たわっている40年以上の歳月を思うとクラクラして来るね。まさに山あり谷ありの人生だった。

そう言えば、僕らはコロナのために還暦祝いをしなかった。同級生たちと酒を飲むなんてもう30年以上やってない。元気なうちに爺い祝いをやりたいものだね。

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2025年1月 8日 (水)

冬期勉強会が終了

12月25日から始まった冬期勉強会が本日終了した。数年ぶりのロングタームの勉強会。生徒たちは必死に勉強に取り組んでいた。

嬉しい誤算だったのは一関一高附属中学を受験する小6の児童たち。当初予定して教材が前半で終わり、新たに準備した問題集もやり遂げた。非常に意欲的だった。

僕の方はほっと一息と思いきや、明後日から私立高校での仕事が始まる。

ふと気付けば今年は蛇年。昨年は大好きな辰年だったけれど、今年は僕の苦手な蛇。でも金運をもたらすと言われているので、塾の神棚には一つだけ弁財天さんとペアで蛇の置き物を鎮座させた。

ちなみにに昨年は龍の置き物が10個くらい神棚に鎮座していた(笑)。

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薪ストーブの薪を重ねたところに蛇がやって来て脱皮をしていく。薪を取ろうとして蛇の皮が出て来ると本当にびっくりする。勘弁してよって感じ。

蛇の脱皮した皮を財布にしのばせておくと、お金が入って来るなんて言うものだから、嫌々ながら入れてみたりしたのだけれど、一向にお金がたまらない。残念。

正月気分もだいぶ薄れてきて、何処の会社も組織もいよいよ本格稼働。僕も気持ちを切り替えて頑張ろうっと。


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2025年1月 7日 (火)

占いや呪術を信じた時代

僕には持論があって、占いや呪術はそれを信じている人に効果があって、信じてない人には全く関係ない世界だと思っている。

今流行りの健康ドリンクも育毛剤もそれを信じる人には効果が現るけれども、信じない人には単なる飲料ドリンクであり、単なるヘアトニックと変わりがない。と思っている。

思い込みや自己暗示と言うものは、想像以上に人間を支配する。

昔昔の話だけれど、大学進学を決意した高校時代。このブログで飽きるほど書いてきたけれど、お金がなかったので大学受験用の塾や予備校に通うお金もなかったし、通信添削を受講するお金もなかった。かと言って当時僕が通っていた私立高校では、進学希望者の補講やゼミなど一切なかった。残念。

僕は当時中学英語に毛が生えたような高校英語の基本参考書を買ってきた。

この参考書に出ている内容を全て覚えたなら僕は大学に入れるはずだと自分に言い聞かせた。今思うと無謀な確信だった。言ってみれば一か八かの呪術を自分にかけたようなものだった。

平安時代、陰陽師の呪術が席巻したのは、不安な時代の中で当時の人々が信じて頼ったからだと思う。

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孤独に寄り添う


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こどもの頃から一人で遊ぶことに慣れていたせいか、大人になっても一人でいることが苦にならない。皆で騒いだり、大勢で飲んだりすることが、どちらかと言うと苦手だ。

一人でジャズを聴いたり本を読んだりすることが好きな僕は、今で言えば引きこもり的青年だったかも知れない。逆にそんな性格だから、40年以上塾教師をやってこれたのかも知れない。

生活があるから、他者と接することを拒絶することをしないだけで、孤独が好きな人間は多いようだ。僕のように。

人の感情や思考が、ダイレクトに入ってくることを拒絶できない人間がいる。感受性が強いと言えばそうなのだが、他人の領域に土足で踏み込んで来る人間が多いのも確かだ。

人間はとても多様なのに、無理やりスタンダードな人物像を作り上げ、そのカテゴリーに追い込もうとする。誰のための分類だろう。

規格外の人間を、まるで果物や野菜のようにつまみ出す現代社会の病巣は、弱者を痛めつけるだけだ。

はっきりものを言えない人間はダメ。自分の思考を文字に出来ないものはダメ。稼げないものはダメ。そんなダメ人間を増産して、社会はまるで喜んでいるような感じがする。変な社会だ。

人間関係が希薄ならば、社会は不幸なのだろうか。不登校や引きこもりを根絶することに躍起になっている人間が多いが、彼らや彼女らの声を聞き入れない人たちがトップでいるうちは、この社会は変わらない。

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2025年1月 6日 (月)

家族のために命をかけて働く

新年早々過激なタイトルで恐縮です。結婚をして子どもが生まれれば、大抵の男たちは、必死で家族のために頑張るよね。

そこには嘘偽りのない家族愛とそして男としてのプライドが横たわっている。自分の能力や資質を客観的に見定める前に、まずは行動を起こし世の中に自分を晒して行く。生きるために。

明日の飯代がなくても、明日はやって来る。小さな寺子屋塾にお金を融資してくれる銀行など昨今ない。自分の持っている能力と直感とそして運を信じて舵を取るしかない。そんなことをずっとやってきた。

世の中で成功した人間はたまたま成功したような話をするけれども、やるべきことをやってきたからこその成功であって、たまたまの成功などと言うものはない。

同じように失敗するにしても、たまたま運が悪くてなんて言う失敗はないのだ。失敗してしまうのにはそれなりの理由が必ずある。

お金に縁遠い人生だったけれども、29歳で始めた私塾を34年間続けてこれたことに、それなりの感慨はある。

ひょっとすると、塾を開きたいと思っている人が僕のこのブログを読んでいるかも知れない。厳し業界ではあるけれど、やりがいのある仕事だと思う。

電卓が普及してもそろばん塾が存在しているように、リモート授業が普及しても対面形式の学習塾は存在して行くと思う。生徒が求めているニーズを掌握さえできれば生き残れる産業だと僕は信じている。

あそこの塾に入ったら合格出来たと言う評価は、僕が住んでいる田舎町では皆無だ。倍率が1倍を切っている状況では落ちようがない。

僕の塾ように安さを標榜するのは危険がある。かなりの生徒を集めないと採算が合わない。

かつて僕の塾の周りにもいくつかの塾が開校した。しかしそのほとんどが数年で撤廃した。僕の塾の安さには太刀打ち出来なかったようだ。

最初から塾一本では生活出来なかったので、今日のタイトルではないが僕は命をかけて家族のために働いた。稲作農家も園芸のバイトも私立高校の非常勤も、短大の講師もそして近年では、岩手六芒星のツワーガイドも。頼まれればなんでもやってきた。

でも根性や努力じゃないね。家族への愛だね。

あとどれくらい走る続けられるのか、僕には分からないけれど、兎にも角にも見えないゴールに向かって前進あるのみだと思っている。

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行方不明の同級生たち

やんちゃな同級生たちが多かった高校なものだから、生きているのか死んでいるのか全く音信不通の同級生たちが何人かいる。

道を誤って塀の向こうにお世話になったのもいれば、東日本大震災以降生死が確認できていない同級生もいる。

30代の頃連絡を取りたくてかつてのクラスメイトの自宅に電話を入れたところ、親父さんが出て「何処でどうなっているのか、ここ10年間さっぱりうんともすんとも連絡はねえし、生きてんだか死んでんだもわがんね〜」と言う返答が返ってくる始末で、高校時代の友人の顔を思い浮かべては、途方に暮れるかねごんだった。

還暦を迎えたある春の日。僕のFacebookにハワイの男性から友だち申請が来た。一瞬ローマ字表示の名前が外国人だと思い、詐欺申請かと思い消去しようとした時に、誕生日が目に飛び込んできて、僕はそのハワイに住んでいる男性の記事をスクロールした。

高校のクラスメイトだった。彼の誕生日はゾロ目の珍しい誕生日だったので印象に残っていたのだ。

ハワイで不動産業を営んでいるようで、かつてのクラスメイトはキャデラックの運転席で微笑んでいた。

死んでいるのか生きているのかわかんね〜と言われていた同級生との再会であった。

一昨年知り合いの男性が東京都内のアパートで死んでいるのが見つかった。孤独死だった。死んで3ヶ月後の発見で、想像を絶する状態のご遺体だったらしい。

人生の光と影は年を重ねるほどに鮮明になる。

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2025年1月 5日 (日)

この記念碑は予言書?

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近郊に我が家のご先祖である金田庄太右衛門の記念碑が建っているのですが(興味がある方は検索してみてください)、その石碑に私の本名のような名前が刻まれています。初めて見た時はびっくりでした。厳密に言うと郎の字が僕には付いていないのですが、この名前間違って刻まれた名前のようです。

なぜかと言うと金田家の別家のお墓の石版にも、もちろん我が家の祖先にも金田庄治郎などと言う人はいません。あえて郎を取れば僕の本名ですが。

ちなみにこの石碑が建てられたのは昭和のはじめでして。僕どころか僕の父もまだ生まれていない時です。

紆余曲折があって僕は現在金田祥治と言う名前をプライベートで使っています。いろんな理由から講師で行っている私立高校では本名を使っているのですが、石碑を建立する際に寄付をして頂いた方々の名前の中にほぼ自分と同姓同名の名前があることに本当にびっくりです。

何度も言いますが当時金田庄治郎と言う名前の方は存在しておりません。この石碑が建立されて40年ほどして僕が生まれています。

ふと思うことですが、もし僕の本名が金田庄治郎だったならどんな人生を送っていたんでしょうね。やっぱり寺子屋などをやっていたでしょうか。

この石碑に名前を刻まれた方はどんな経路でこの名前を刻んだんでしょうね。名前の下に六芒星なんかがあったりしたら異次元の石碑ですよね(笑)。

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最近釣りをする夢をよく見る

ここ2、3日釣りをする夢を見ました。夢判断をググると静かな清流での釣りの夢は吉夢だと言うことなので、良しとしましよう。

ところでみなさんは正月に神社仏閣でおみくじを引いたでしょうか。僕も昨日隣町の猿田彦神社でおみくじを引いたのですが、中吉でした。

でも半世紀以上毎年おみくじを引いてきて、事業の欄に、『ご神徳のおかげ金運授かる』なんて表記は初めてのこことでわくわくしています。いよいよ貧乏生活脱出でしょうか(笑)。

ちなみに昨年買った年末ジャンボはスカスカでした。本業で頑張れってことなんでしょうね。

魚釣りと言えば、僕はホンモノの魚釣りはしません。子どもの頃はちょっとだけやりましたが、中学生になって以来この年までほぼ皆無ですね。

竿を握って当たりが来るのをじっと待っていると言うことがダメなんですね。イライラしてきますもんね。我が家の近くの溜池で釣りをしている人をちょくちょく見かけるのですが、感心してしまいます。あの忍耐力は僕にはありません。

短気な人は釣りが好きなんてことが言われますが、どうでしょうか。僕は若い頃かなり短気でしたが、釣りは好きにはなれませんでしたね。

近くの溜池も、氷が張り白鳥たちが羽を休めています。冬は釣り人たちも休息の季節ですよね。ふと思うのですが、彼らはこの季節休日は何をやっているんでしょうか。ちょっと気になります。

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2025年1月 4日 (土)

いつの間にか爺いになってしまった

いつまでも若いつもりでいたら、あっという間に爺いになってしまっていた(笑)。

何処かで年寄りとしての自覚のもと、リセットしなければいけないのだろうけれど、自他共にそれをなかなか許されない状況が横たわっていて、また年を重ねて行く。

60代半ばになって、自分をどこかに追い込むわけではないけれど、せめて体力が残っているうちに、今までとは違う地平線を眺めて見たいと言う野望はある。

同じスタンスで生きて行くことにちょっとだけ飽きたのかも知れない。あたり前のことだけれど、人は必ず死ぬ。その当然の現実に尻込みするほど軟弱ではないが、かと言って死を諦観しているわけでもない。

生かされているってことは、何かをしなさいと言うことだと僕は思っている。毎年新年を迎えるたびに、今年こそはと言うフレーズが浮かんではきてまた消えて行く。

いつ頃からだったろうか。生きて行くルーティンに妥協し始めたのは。それが大人になるってことだと気がついた時に、僕は将来と言う言葉を封印した気がする。

少年時代の生活は大変だった。さまざまな要因が重なって生活保護家庭だったものだから、自分の感情を表に出せなくて冬眠状態だった。

高校も大学も私立しか入れなかったものだから、なんとか高校・大学の授業料を自分で工面したけれど、その代償として根性とか努力と言うものが大嫌いになってしまった。

そして金持ちを見るとわけも分からず不機嫌になってしまう自分がいた。そしてそのまま爺いになってしまった。かなりひねくれた爺いなわけで、僕と付き合う方々は大変だったろうと反省している。

過去は反省しない主義だけれど、さすがにこれだけは反省かな。だって金持ちを見てわけもなく不機嫌になるやつなんておかしいもんね。さて今日より新年の仕事が始まった。

かつての教え子さんから年始の美味しいお酒を頂いたので、今夜は飲んで寝よっと。

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2025年1月 3日 (金)

正月休みも終わり明日から通常ゼミがスタート

正月休みもあっという間に過ぎ去って行きましたね。明日4日から通常ゼミがスタートです。昨日2日は家族で初詣でに行って来ました。場所は狩野英孝さんの実家の神社である櫻田山神社へ。自宅から車で40分ほどの距離です。

狩野英孝さんが帰郷していて、御朱印を書いていると言うので、いっぱい参拝者が訪れていましたね。神殿まで長い行列が出来ていて、参拝まで30分以かかりました。

身体がめちゃくちゃ冷えたので、神社から車で15分ほどの温泉場に行って温まってきました。

まだまだ行きたい神社があるのですが、まあ旧正月まで焦らずに参拝に行きたいと思います。

それにしても、今年新年の神社は何処も参拝者であふれていますね。不安多き時代が背景となっているんでしょうね。

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昨年の初詣では猿田彦神社。今年は櫻田神社。さるだ、さくらだ。なんか音が弾んでますね。

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なぜここに神社仏閣があるのか

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僕が神社仏閣に興味を持ち始めたきっかけは、ロケーションですね。

何故に昔の人たちはここに神社を造ったのか。その理由と意図を手繰って行けば、信仰の原点が見えてくるのではないか。そのような思惑で僕は神社仏閣に興味を深めていったような気がします。

そして東北に神社(八幡信仰)を勧請してきた源義家以前の信仰に僕の興味が暴走していきましたね。それが岩手六芒星の発見に至るのですが。

縄文時代からの山岳巨石信仰が見えてきましたね。

山の山頂にある巨石や、平野に突然のごとく鎮座する巨石に古代の人々は畏敬の念を抱き、そして巨石を天空の星々に重ね合わせ、古代の人々は大地と宇宙を繋ぐ神籬(ひもろぎ)として巨石信仰を拠り所としてきたのだと思います。

北極星を信仰とする妙見信仰や北斗七星や月信仰も、大地に磐座をもして信仰してきた跡が多数見受けられます。

我々のはるか祖先たちは、自分の魂の故郷が、天空の星々であることを知っていたのかも知れませんね。

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2025年1月 2日 (木)

2025年の元日に1977777アクセス数を達成

昨日の元日にこの大験セミナーわくわく日記の総アクセス数が1977777を迎え、いよいよ今年は200万アクセスに到達しそうだ。

岩手六芒星を発表して、新聞やテレビ等のメディアで紹介されてから一気にアクセス数が加速して来たわけだけれど、また今年の2月に岩手朝日テレビで天津木村さんと六芒星ツアーを以前企画してくれた松本和馬さんと共に六芒星を回り、僕が六芒星の歴史的裏話を語る番組が数回にわたって放映される。

きっとまたいろんな意味で多忙になることだろうと思うけれど、塾や高校の授業をおろそかにしない程度に対応して行きたいと思っている。

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古代史を研究している多くの先輩方がおられるわけだが、特殊な意味で僕が注目を浴びてしまい、正直喧嘩越しと言うのか(笑)、正統な歴史を研究されて来た方々より厳しい意見や質問もいただいた。

六芒星の根拠は何?と言うことだろうと思う。

ここ数年僕も多くの方々に出逢い、その根拠を語ってきたわけだけれど、自我自賛というわけではないけれど、正統派の歴史書も随分読んできたし、怪しい出どころの古代史も読んできた(笑)。そしてなによりも自分自身が現地取材を重ねて体感して来たものがる。

誰が何の目的で、どうしてこの場所なのかと言う六芒星神社の説明が自分なりに納得出来るようになった気がする。やっぱりこれは陰陽道を利用した坂上田村麻呂の結界と言うのが僕の結論だ。

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2025年1月 1日 (水)

運力を鍛える

身体を鍛えることも頭を鍛えることも大切だけれど、それ以上に運力を鍛えることが一番大切だと思うわけです。

いくらマッチョの肉体を持っていても、人も羨むような学歴があっても、そこに運がなければ真の幸福は手に入れられないですね。

僕は人生ずっとお金には苦労してきましたけれど、大人になってからはお金以外のことではずっと楽しい人生を送ってきました。

子どもの頃って家の経済力や想念みたいなものに支配されるじゃないですか。でも自分で稼ぐようになれば、お金を自分の運の強化に使えるんですよ。

例えば読みたい本は読めるし、行きたいところにも自分で車を運転していけますよね。僕のような自営業者は、関係したくない人に頭を下げてペコペコしなくていいし、自分の発案で動けますよね。

僕は運を良くする方法の一番の秘策はストレスを溜めないことだと思うんですよ。そして自分がやってはいけないと思うことを絶対やらないことですね。

お金のために妥協すると、お金の負のスパイラルに丸め込まれていくんですよね。犯罪をおかすのはその最たるものですが、罪に罰せられなくても人を傷つけては駄目なんですよ。

人に嫌な想いをさせると、その想いは間違いなく跳ね返ってきます。自分は悪くないと思っても、相手がそう思えば相手の想念は襲って来るんですよ。

だから言葉や態度は大切なんですよ。全ての人にニコニコすることなんて無理ですよね。だからこいつやばいなと思ったら関わらないことが一番なんですよ。何言っても被害妄想で受け取る方がいますよね。

触らぬ神に祟りなしですよ。でもどうしても相手から触ってきたらとりあえず逃げましょう。対敵するのが一番厄介ですからね。

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2025年の幕開けに寄せて

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新年の抱負みたいなことを毎年書いてきたけれど、ふと後何回書けるのかな〜なんて考える年頃になってきたね。

教育を取り巻く環境は、お金次第って言葉は使いたくないけれど、実際お金がないと大学も行けないし、塾にも通えない。お金の時代は今に始まったことではないけれど、なんかね。

貧困と言う響きを嫌う人は多いけれど、学校の給食費を支払うことが困難な家庭が急増している今、貧困対策をしっかりやらないと、才能を秘めた原石が埋もれたままになってしまう。

このブログで何度も書いてきたことだけれど、お金持ちだけがいい仕事に就き、貧乏人はそれなりの職場で頑張れということに、僕は義憤を覚える。

人間の力量を経済力で測ろうとする社会は悪くはない。悪くはないけれど、救済力がない社会だ。

今年で塾の先生業も42年を迎える。僕にとって今年やるべきことは、現状維持ではなく、前進だとおもっている。

子どもたちを指導するために現状維持では駄目で、僕自身がチャレンジャーじゃなければいけない。また世の中をざわつかせることも多々あるかと思うのだけれど、兎にも角にも今年もチャレンジャーであり続けたいと思っている。

そういうことで本年もよろしくお願いします。

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