お寺さんの都合と庶民の都合
昨年義母が亡くなった時のお寺さんへのお布施は25万円。東京新宿の菩提寺である。
こっちの地元のお寺さんは70万円。この金額の差はなんだろう。真言宗と曹洞宗の違いなのか、それとも地域の慣例なのかわからない。
僕の母もきっと終焉が近づいている。僕は70万円でも50万円でもそんなお金は払えない。もしまけて貰うことが叶わないければ、今の檀家はやめて、友人のお坊さんにお経だけはあげてもらうか、もしくは神道の葬祭にしようかなと考えている。
僕の時は葬儀などいらないと思っているのだけれど、父が曹洞宗で祀られているのに、母を神道でってわけにも行かないような気がして迷っている。神道の葬祭だと20万円ほどで済む。
葬儀屋さんに支払うお金だけで200万円。祭壇や会場費、バスの手配、初七日の料理。そして返礼や親戚の旅館代等。それにお寺さんのお布施が加わる。
葬式のお金の話はご法度という風潮があるが、僕はこのブログで赤裸々に今こうやって書いている。
戒名を書いて4回お経をあげて70万円という金額が妥当だと僕は思わない。一般庶民は70万円稼ぐのにどれほど大変か。
死んだ人は天国に行くので何も問題はない。よは残されて生きて行く家族だ。100万も200万もかかる葬式。考えてしまう。
大病等で身体が不自由になれば、病院やその後の施設費等で多くのお金がかかる。そこへ最終的に多額の葬儀代。
余裕がある人は掛け捨ての葬儀保険がかけてあるからいいよと言うが、余裕がない人はどうしたらいい。
実は昨日から明日まで、僕は隣人の葬儀に出ている。本家として。
農村の葬儀は言ってみればお祭りのようなもの。いま流行りの家族葬など出来るわけはない。お悔やみの会葬者だけで200人はやって来る。
しょうがない働くか。先日貧乏生活への宣戦布告と言う記事を書いたけれど、また新たな壁が生じた。
それにしても、お寺さんが70万円のお布施をもらわないと寺が維持できないとするならば、それは明らかに重大なシステムエラーだと思う。
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