達磨さんが転んだ
そうね達磨さんは転んでも起きるからね。基本的に達磨さんが転ぶという表現は何かの比喩表現だよね。
弘法も筆の誤りとか河童の川流れみたいな諺的なものとも違うけれども、なんとなくだけれど奥が深いというか、謎が謎を呼ぶ表現だよね。
かごめ歌の『後の正面だ〜れ』もそうだけれど、子どもの頃慣れ親しんだ遊び歌は不思議が多いよね。
達磨さんが転んだとか、後の正面だ〜れなんて今の子どもたちはやるんだろうか。プログラミングがどうのこうのと言う小学生たちだから、やらないかな。
遊びは文化だからね。子ども時代にどんな遊びをやったかで、その後の人生の感性が決まるからね。ないがしろには出来ない。
モトクロスの如くバイクで山を走り回っていた僕の少年時代は、危険で無謀だったけれど、いまだにその感性は持続していて、無謀なことばかりやっている。
達磨さんが転んだではなく、ハゲ親父が転んだにならないように気をつけようっと。
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