魂の世界はごまかしが効かないんだろうな
年に一回くらい、7名ほど生徒が来るはずの曜日に、待てど暮せど誰も来ない日がある。で僕はどうしているかと言えば、本を読んだりうたた寝をしたりしているわけだけれど、神様がくれた休息日だと思ってぼーとしている。
窓から夕焼けを眺めながら、時に自分の人生などを振り返ってみたりするのだが、自分で言うのもなんだが、お金以外で言えばなかなかおもろい人生だったと思う。
やりたいことをやってきた。米作りもそう。作詞作曲もそう。卓球もそう。山登りもそう。神社巡りもそう。自宅や納屋のDIYもそう。自分の思いつくまま、身体を動かし、没頭してきた。
その基盤を作り得たのは、中学高校時代だった。勉強はしなかったが、興味のアンテナはとどまることを知らず、兎にも角にもやりたいことには手を出し、失敗しようがなりふり構わずチャレンジして行った。
その根底にあったのは、一度きりの人生めいいっぱい楽しもうぜと言うシンプルな思考だった。少年期が恵まれなかった分、反動として青春時代がはちゃけたのだと思う。
それにしてもとうに還暦を過ぎた爺いが、夕焼けを見ながら人生を俯瞰するなんて、僕も随分と黄昏たもんだと思う。
奇妙に聞こえるかも知れないが、最近は死ぬことが楽しみになってきた。もちろん自殺なんかは毛頭する気はないが、あっちの世界に興味深々である。
薄々感じることはあるのだが、魂の世界はごまかしは効かないんだろうなと思うね。その予行練習も兼ねて、これからの残された人生、自分に正直に生きようかな(笑)。
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