親を失う悲しみよりも親が壊れて行く悲しみの方が大きい
僕は20代後半で父を亡くしたけれど、悲しみよりも、正直戸惑いの方が大きかった。いきなり一家の主人(あるじ)になったことへの不安と焦りがあった。
その戸惑いも多忙になった我が身ゆえ、薄れては行くのだけれど、父との別れは何処かで納得している自分がいた。運命とか宿命みたいなものを感じていたのかもしれない。
一方母は8年前にくも膜下で倒れ、命は取り止めたが、認知症の人となってしまった。初めは施設に入れていたのだけれど、面会に行くたびに家に帰りたいと泣かれ、自宅に連れて来た。
デイサービスやショートステイを利用しての自宅介護が始まって7年になる。
50代半ばの父は体調を崩してすぐ天国に行ってしまったので、毅然とした姿のままの父が脳裏に残っている。一方日々理解力が鈍化して行く母を見るのは当初辛かった。
日々壊れて行く母と接することが、想像以上に僕の精神を揺さぶった。しかし近頃はちょっと違う感覚に陥っている。子どもに帰って行く母を見ていると、それもありかなと思うようになった。
人は誰もが生まれてきたからには、遅かれ早かれみんな死んで行く。そこにもし不幸が介入するとするならば、残されたものたちの哀惜だろうか。
僕は僕が選択してきた介護に対して後悔はない。母への恩返しができていることに僕は感謝さえしている。
あとどれくらいの期間が残されているのか知るよしもないが、少なくとも母よりは僕の方が生きなければならないね。
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