生きると言うことは
自分の子どもを一流の高校や大学に入れようとする親ごさんの心理状況を分析すると大きく3つに分類できるようだ。
自分がいい高校、大学を終えて生活が充実してきたから、息子や娘にも同じ進路を歩ませたいと言う心情。
逆に学歴がなくて大変な思いをしてきたので、子どもには是が非でもいい大学に入って欲しいと切望する親ゴコロ。
もう一つは、いい高校いい大学に入るのが当然だと信じてやまない学歴信奉者。
どの動機でも構わないだろうと思うが、その親の願いに子どものスタンスが一致するかどうかである。
世間体や見栄で子どもなんとかしたいと言う欲望は、不思議なくらいほころびが表出する。うまく言葉にすることが出来ないが、あえて言えば勘違い。そんなところだろうか。
一流企業に入るのも、自営業で頑張るのもいいだろうし、生活の安定はさておいて、芸術家や芸能そしてプロのアスリートを目指すのもいいだろう。
生きるということは、基本的に翌朝起きたらやる事があるということだろうと思う。僕らは生きて行くために学びそして頑張っている。
起きて何もやることがなくなった時が、人生の潮時かなと思っている。故に起きてやることがあるうちは頑張って生きて行こうと僕は考えている。
生きるとはその日その日のやるべきことを粛々とこなして行くことだと思う。粛々と飯を食う。粛々と惰眠を貪る。ありだと思います。
そこに何らかの価値観とか意義を持ち込むから、生がややこしくなる。
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