駒形神社の奇跡が始まりだった気がする
このブログで15年前ぐらいだったろうか、水沢の駒形神社に参拝に行くと、手前に信号機がある十字路があるのだけれど、必ずプレート番号に77がある車が信号待ちしていると言う偶然が数十回連続していると言う記事を書いた。
このことは神社の総代さんや神主さんも知ることとなり、僕も妻を乗せて行ったり、友人を乗せて行ったりして検証してみたのだけれど、やっぱり77の車が信号待ちしているのである。50回以上は続いた気がする。確率から言うと天文学的数字だ。
東日本大震災がやって来て、この奇跡は止まったけれど、ある日友人宅の佐惣珈琲豆店から200メート離れた自分の仕事場に向かう途中、『三峰神社へ行け』と言う言葉が僕の脳裏に舞い降りてきた。人生で初めての経験だった。
僕は躊躇なく衣川の三峰神社に向かった。それが初めての磐座神であるアラハバキとの遭遇だった。
そして一関や平泉周辺の磐座神の探索を始め、発見したのが配志和神社を中央に配置された7つの磐座神社六芒星だった。
東京から岩手に戻って、初めて登った山が駒形山だった。そして早池峰山や五葉山に登るようになって、磐座に対する僕のセンサーが鍛えられた気がする。
山には本当に似たような岩があっちにもこっちにも鎮座している。しかしある特定の岩だけが磐座として信仰の対象になっている。なぜ。
その解答が六芒星の発見に繋がった。きっと坂上田村麻呂も僕と同じことに気づいて結界を作ったのかもしれない。僕は気づくのに3年の年月を要したけれど、田村麻呂は瞬時に見出したのだろうな。さすがだ。
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