少彦名の神が岩手宮城に多い理由

磐座信仰とアラハバキ神信仰には浅からぬ関係があるようだけれど、巨石の周辺に少彦名神が祀られているのは、単なる偶然ではないようだ。
岩手東和の丹内山神社には巨大な岩がアラハバキ神として祀られている。実は丹内山神社の宮司は代々物部氏の末裔が祭祀者としてこの神社を守ってきた。
物部氏は飛鳥時代蘇我氏との宗教戦争で敗れ衰退した。聖徳太子は仏教擁護派、神道の物部氏は蘇我氏によって追放された。
彼等はどこへ消えたのか。故郷である出雲へか。違う。中央政権の手の届かぬこの陸奥の地蝦夷住む東北の地へやってきたのだ。
古事記によると少彦名の神は、海の向こうからガガイモの実の船でやってきた小人神で、大国主のアドバイザー的役割を果たすわけだけれど、これって小説「小さな宇宙人アミ」を彷彿とさせる神様の登場のように思える。
ところで逃れてきた物部氏たちは仏教勢力から駆逐された手前、堂々と大国主を祭るわけにはいかなかっただろうと思う。そこで大国主と縁がある少彦名を祭り縄文から信仰されてきたアラハバキ神とタイアップさせたのではないかと僕は考えている。
一関界隈には少彦名の神を祭る神社が多いのだけれど、同時に聖徳太子を祭るお堂も数多く点在する。
物部氏vs聖徳太子と言う歴史上の事実を鑑みると、坂上田村麻呂が毘沙門天を建立して蝦夷の信仰するアラハバキを封印したように、太子堂を建立することによって物部氏の復活を封印しようとした中央政権の意図があったのではないかと妄想するかねごんであった。
当塾のホームページはこちら☞➡大験セミナー
« 岩手なのに連日35度越え | トップページ | 飽きることは悪くない »
コメント