岩手六芒星の結界は誰が仕掛けたか
岩手六芒星を発表してから7年ほどになる。発表当初は、アラハバキの磐座を信仰してきた安倍氏が、前九年の役等の中央政権との戦いのために巡らした結界ではなかったかと仮定して、この六芒星を取り上げてくれたメディアにお話したのだが、その後調べて行くにつれて歴史上のビックネームが六芒星に絡んできた。
坂上田村麻呂である。六芒星の磐座には、坂上田村麻呂が鬼退治をして岩の下に埋めたとか、岩に封印したとか、暴れる龍を封じ込めたとか、これでもかと言うくらい坂上田村麻呂の武勇伝伝説が浮上して来る。
まるで坂上田村麻呂が蝦夷討伐のために六芒星の結界を作ったかのように。
坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命したのは平安京を遷都した桓武天皇である。実は平安京は陰陽道や風水を用いた六芒星の結界が埋め込まれている。
桓武天皇が、難航する蝦夷討伐に陰陽道の結界を坂上田村麻呂に進言した経緯があったのではないだろうか。これは僕の妄想である。
東北には坂上田村麻呂が作ったと言われれるレイラインがいくつか語り継がれている。アラハバキ神を信仰した阿弖流為に対して毘沙門天をバックにして臨んだ坂上田村麻呂。
古代の宗教戦争がここ岩手で繰り広げられたと思うと、岩手六芒星を提唱した僕自身も身が引き締まる思いである。
ちなみに岩手六芒星をメディアに仕掛けたのは僕だけどね。笑
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