不安な社会だからこそ
遠い記憶を遡って見ると、自分が勉強したくないと思った頃は、家庭がごじゃごじゃだった。家族が困難な時って落ち着かないし、お金に困っている時ってイライラしているし、笑顔がない時は、集中なんて出来ない。
子どもが勉強しない。集中力がない。反抗的だと思ったら、家族間の人間関係や、言葉や態度を見直して見るといい。
子どもの態度は親や家族の反映だと思う。今の学校やカウンセラーや心療内科の先生は、何かと病名を持ち出してしたり顔をするけれど、それは家族批判が出来ないための詭弁。
家庭に原因があるってことは百も承知だけれど、それが言えない社会になってしまった。
40年間の塾教師生活で、多くの不登校児や問題児と言われる子どもたちをみてきた。僕はある時その大部分の子どもたちの共通点を見つけてしまった。
個別には話すことはあるけれども、深刻過ぎてこのブログでは書けません。僕がそのことに気づいた時、世の中の知識人たちは、解決策として全く真逆のことを推進し始めた。
そして不登校や引きこもりは全国に蔓延した。
子どもが物理的にも精神的にも問題を起こすのは、ある存在への信頼の無さに起因する。日本社会がずっと育んできたあたり前の生活の知恵が、アメリカナイズされて軽視されてしまった結果、教育が空回りしだした。
平等だジェンダーだと正義を振りかざす前に、日本人が大切にして来たものをもう一度再認識してもらいたい。
イギリスで不登校が社会問題になった時に、学校に子どもが来ないのは親のせいだとして、国は不登校児の親に法的ペナルティを課した。親の逮捕まで敢行した。その結果不登校児の問題が劇的に改善したと言う過去の事例がある。
社会がとても不安定で、生活不安が真綿のように国民の首を締め付けているような状況だ。あらためて家族が団結する時かも知れない。
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