曲を作る行為は人生の覚え書きみたいなものかな
新型コロナが流行してしばらく人前で歌うことがなかったけれど、昨年は平泉のイーハトーブ音楽祭と地元の秋祭りで歌わせていただいた。
ライブで歌うのはオリジナルの歌が大部分なわけだけれど、還暦を過ぎてからは曲を作るモチベーションが下がり、ダラダラと過ごしている(笑)。
昔は曲を聴くことよりも自分で歌うことの方が好きだったけれど、今はジャズを聴くことに生き甲斐を感じている。納屋cafeというリスニングルームを自分で作ったと言うこともあるのだが、年齢とともにジャズが沁みてきた。
やっぱり1950年代のモダンジャズがいい。ジョンコルトレーンやハンクモブレー、アートファーマーと言った職人技とも言える奏者のジャズは聴くものを圧倒しそして沈静化させてくれる。
僕が勝ってに思っていることだけれど、曲を作る行為ってジャズのアドリブ演奏に近いような気がする。コードとテンポだけを決めていてやる即興演奏は、奏者のいわば感性や人生をも物語るものであり、人生の覚え書きみたいなものじゃないだろうか。
僕も20代に作った曲や30代に作った曲をたまに爪弾くことがあるのだけれど、当時の自分の生き様が見えてきて赤面すること多かりきである。
シンガーソングライターが還暦を過ぎて新曲をリリースしない理由はよく分かるような気がする。過去の自分と向かい合い過ぎるからなんだと思うね。
当塾のホームページはこちら☞➡大験セミナー
« 34回目の春 | トップページ | 雑念とした想いの中で »
コメント