教室の隅っこには僕の青春が寄りかかっている
一昨年叔父が亡くなった。僕が小学4年生の時だっだと記憶しているけれど、叔父がまだ独身で仙台のアパートで一人暮らしをしていたときに、遊びに行ったことがある。部屋にギターが置いてあった。
今思うと叔父は単なる飾りとして部屋に置いていたような気がする。生前叔父がギターを手にしたところを一度も見たことがなかったので、そういうことだったんだろうと思う。
人生で初めて触ったギターがその時だった。今でも鮮明に覚えている。いい楽器だな〜くらいの印象だったが、子どもながらに言い知れないざわめきを感じた。
それから2年半後僕はギターを買うのだが、中学で勉強をしない原因がそのギターだった。この年になって当時を回顧してみて気づくことだけれど、僕がギターに惹かれたのも、中学時代音楽三昧で勉強しなかったのも、必然だった気がする。いろんな意味で。
実に失ったものは多かったけれど、当時の我が家の家庭環境を考えると、ギターに癒されたことは間違いない。いやギターがなかったら間違いなく僕はやばい方向へ行っていたね。自信を持って言える。
中学3年生の時に、自分が生徒会にいた特権を利用して、文化祭でライブをやらせて欲しいと学校に要望した。オーディションをやり、僕を含めた4組のバンドが歌うことになった。その文化祭が僕の人生における初舞台だった。
45年以上も前のことで何の歌を歌ったのか覚えていないが、確か弾き語りで井上陽水の歌とNSPの歌を歌ったことだけは覚えている。
高校時代も大学時代も音楽三昧だった。中学に入って買ったギターから数えてこの年になるまで7本ほどギターを買った。今は3本残っている。30代半ばで買ったギブソンのアコギが、僕がライブをやる時の相棒になっている。今後新しい楽器を買うことはないね。
死んだら棺の中にとも思ったけれど、ギブソンのギターなんて大きくて入らないよね。笑
息子たちはギターをやらない。この教室の片隅の壁に寄りかかっているギターたちは、僕の青春時代からずっと共にいたギターたちだ。きっと必要とする人の所に行くんだろうね。
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