認知症の母のこと
生きるということの本質を問われたなら、僕は迷ってしまうな。長生きはしたいとは思ってはいないが、人生最後の日まで、自分の意志決定を完遂出来る人生でありたい。僕にとってそれが生きることの願いだ。
母の介護をしていて思うことは、人間とは実に不自由な生きものだろうということだ。一度身体の自由を奪われてしまうと、移動も排便も食事も援助がないとままならない。当然のことではあるが、一人では生きられない。
家族が居て、介護者が居て、そして福祉の支援があって僕の母は生きている。いや、生かされいると言った方が正確な表現になるだろう。
今朝は冷え込む朝だった。母は食事が終わると、僕が焚き付けた薪ストーブの前で暖をとり、久しぶりの雪景色を見ている。認知症の母との言語を介しての意思疎通は時々困難さを伴うが、母の思考状態を捉えることは意外とたやすい。
実の親子故の暗黙の了解とでも言ったらよいだろうか。
妻にも指摘されたことだが、母の認知症は蜘蛛膜下出血が直接の引き金になってはいるが、その前から進行していた感がある。
母が50代に入ってすぐ僕の父が亡くなったのだけれど、それを境にして性格や言語が急激に変わった。今思うと精神的ショックで感情のバランスが崩れていったのだろうと思う。
僕ら夫婦に長男が誕生し、孫を抱いた時の母の笑顔が、僕が見た母の笑顔の最後だった。その後すぐ父が他界してからは母は笑うことがなくなった。
しかし、くも膜下で倒れてから、皮肉なことに母は笑いを取り戻した。僕のブラックジョークに笑うのである。
母はこの世に生まれる前に父を亡くした。母子家庭で厳しい戦中、戦後を生きてきた。
僕が母から教わったことがあるとしたら、人生は厳しいと言うそのことに尽きる。常に発せられるネガティブな言葉や思考に、僕は文学や音楽に逃避した。その意味では母に感謝している。その逃避のおかげで教師として糧を得てきたわけだから。
今日は長男の誕生日だけれど、もちろん母の記憶の片隅から孫の誕生日は消滅している。
母の目に映る雪景色は、何を想起させていたのだろう。もうしばらく母との人生は続きそうだ。</
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